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「首尾一貫感覚」と継続的に成果を出す人材

2020/10/18に公開

この記事は、「1兆ドルコーチ」に集約される「シリコンバレー流」のうち、あまり日本では流行っていないと思われる方の考え方に焦点をあてたものです。
Google等の"平時の組織"ではない方の組織の拡大期において、何が本質的に必要な能力なのか?
2019年、私はそれについて真剣に考える事になり、それを考え続けた結果の一つの答えがこれでした。
具体的には、スタートアップや零細企業の、創立初期〜一次拡大期(?)において、活きる組織・人材とは、ということへの答えでした。

この答えの先に、同じくベン・ホロウィッツの書いた「WHO YOU ARE」をベースにした文化とプリンシプルについての考察があります。
ちなみに、私が常々Googleの掲げる世界観の欺瞞と思っていたこととHARD THINGSの内容を整合的に説明・昇華させたのが「1兆ドルコーチ」でした。1兆ドルコーチで描かれるビル・キャンベルは、HARD THINGSの登場人物でもあり、ベン・ホロウィッツのメンターでもあったのでした。
この記事の続きは、文化・プリンシプルとその効果のメカニズム - 反脆弱性と個人と組織 - (結論・骨子編)にあります。

目標と現状によって組織の形は違う、そういう当たり前のこと <HARD THINGSでベン・ホロウィッツは何を語っているか>

FacebookやTwitterをはじめ様々な企業に投資をし、またそれ以前は自分自身が世界初のクラウドコンピューティングの会社のCEOを務めた人が、経営の「綺麗事ではない部分」に焦点を当てて書いたHARD THINGSという本があります。
この本は他の多くの類書と比較して一線を画する部分を有しています。それは、CEOを「平時のCEO」と「戦時のCEO」という概念で区別して語り、そしてその上で主軸を戦時のCEOに置いた上で話を進めているところです。曰く、

平時と戦時とでは、根本的に異なる経営スタイルを必要とすることを私は経験から学んだ。多くの経営書は平時のCEOの経営技術にほとんどのページを割いており、戦時についてはほとんど言及されない。たとえばたいていの経営書で「決して部下を公の場で叱責してはならない」と絶対の原理であるかのように説かれている。ところがアンディ・グローブは、大勢の出席者がすでに着席している会議に遅れて入ってきた社員を「この世の中で私が持っているのは時間だけだ。その時間をきみは無駄にさせている」と叱った。

アンディ・グローブはインテルを大きく成長させた事で有名な経営者ですが、その彼はいわゆる「絶対の原理」を侵しているのです。その理由は、少し省略して答えると

会社にすでに弾丸が一発しか残っていない状況では、その一発に必中を期するしかない。戦時には社員が任務を死守し、厳格に遂行できるかどうかに会社の生き残りがかかることになる。

という事になります。
当たり前のことではあるのですが、「会社のライフステージや目標によって、そこにあるべき組織の姿は違っていて、それゆえにCEOの役割・期待される機能性も異なる」ということなのでした。

類似の事を語っている箇所を、抜き出します。

逆に検索市場で覇権を確立したあとのグーグルは、幅広いイノベーションを目指すという平時の例の典型だ。グーグルの経営陣は社員が創造性を発揮することを許しただけでなく、すべての社員に就業時間の20パーセントを自分の好む新プロジェクトに割くよう命じた。平時の経営テクニックと戦時の経営テクニックは、それにふさわしい状況で適応されればそれぞれ大きな効果を発揮する。だがこの両者はまったく異なった経営スタイルだということに注意しなければならない。平時のCEOと戦時のCEOは別人格だ。

平時のCEOは社員の自己実現と適切なキャリアパスのために研修を提供する。戦時のCEOは戦いに負けて会社がなくなってしまうことがないよう社員を鍛える。平時のCEOは「市場で1位ないし2位が獲得できないならその市場からは撤退する」というようなルールを設けることができる。戦時のCEOにはそもそも市場で1位や2位になっているような事業がないので、そんな贅沢なルールに従う余裕はない。

どちらの道が絶対的な意味で良いか?という事ではなく、それぞれの道があって、自分たちがどちらを選択するか?という事なのでした。

心理的安全性は重要ではあっても、取り組む対象として最優先すべき課題ではない

HARD THINGSで示された数々の事実は、戦時の組織において、いわゆる心理的安全性が全てではない、ということを納得させるには十分でした。(後述しますが、結果としての心理的安全性を軽んじている訳ではないです。)
HARD THINGSの記述を信じるならば、ベンが雇った営業のリーダーは「文化的適合性が無い」という一点において強烈な恨みを特定個人から買う人物で、役員のほぼ全員が落選扱いするような人物だった、でもそれでうまくいったということ。逆に、WORK RULES!の記述を信じるならば、グーグルという会社は心理的安全性が重要であるという結論に達する前に、そもそも相当に厳しい選別を、例えば一般のバイト募集媒体などでは1万人の応募があっても1人も採用しない程度には厳しい選別をしているということ。
また、私の実体験としても、開発チームが勝手に最善と思っている作業を進めたことで重大な障害を発生させてしまったり、あるいは最終的にプロダクトがまとまらなかったというような場面を見た事もあります。もちろん、それぞれの立場ではそれぞれの思いはあるにしても、その結果を誰がどう収めるのか?という事を考えた時、その責任が空中に消えてしまっているかのように見える場面は多々ありました。
最後に挙げた問題点は、責任を個人に還元すべきか?というような事ではありません。そうではなくて、例えば開発組織が自己完結的に最善と思った結果についての考えが足りなかったり、最終的に物を作り上げるための仕組みが欠損していたり、という事のデメリットを抱えられる規模の組織でないならば、そもそも、もっとそれらの発生を抑えるような仕組みが組織機能として必要である、ということです。
すき家やファミマぐらいの規模があれば、バイトがお客様をバカにした投稿をSNSに上げても全体が潰れる事は無いですが、それが一店舗の問題であれば、簡単に潰れます。
事業部やチームの単位で言えば、どんな大企業であってもその人の責任は決して軽くは無いでしょうが、一つの事業に関する失敗/一人の人の失敗でただちに大企業が潰れるほどの責任は発生しないでしょう。

心理的安全性、それ自体は円滑に仕事をする上であった方が良い要素であるのは間違いありません。
ただ、それを最優先できるのか?というと、それは必ずしもそうではないのかな、と思います。

「多くの人が潰れる環境」で潰れない理由の根源は何か <首尾一貫感覚>

苦労している経営者の話を聴くと、本当に苦しいと思う場面が多いです。
もちろん、経営者として得られる経験はマイナスなことばかりではないと前置きをしますが、HARD THINGSのベンに限れば、妻が倒れていても自社を存続させる為の仕事をしないといけない。自分が心から認めて採用した社員の首を切らないといけない。自分がうまく立ち回れなかったせいで。
いわゆるIT業界で、例えばホリエモン、藤田社長、南場会長、まあ苦しい出来事は外に見えているだけでも山程あるように見えますが、それでも彼らは潰れずに前向きに事業を進めています。
彼らに襲いかかる外圧は、いわゆる一般的な社員よりはずっと強烈なはずです。
なぜ、それで潰れないのでしょうか?
彼らは、肉体的に何か特別なのでしょうか?

私はとてもそれが気になっていて、かつ、そこに確実な答を持っていません。
ただ、これが答なのではないか、と思っているものがあります。
それが、「首尾一貫感覚」です。

首尾一貫感覚とは

首尾一貫感覚という言葉は、「健康生成論」という文脈の中で生まれました。これは、「健康」というものが、与えられるもの/正常な状態として定義されるものではなくて、むしろ「生成」されていくものである、というような考え方による論です。
一般的には、我々は健康な状態が正常な状態として存在して、そこに疾病などが「生成」される事で異常な状態になる、というような、異常な状態が生成されるものだというような観念で捉えがちです。
イスラエルのアントノフスキー教授は、そのような古典的な考え方ではなくて、健康というものも生成されるようなものである、という考えのもとで論を展開したのでした。
この理論の極端な事例として、ナチスの強制収容所に収容された人のメンタルヘルス、というものがあります。ナチス強制収容所で生存していた女性の29%が、対照群の51%と比較して、肯定的な感情的健康を有していたという事を発見したのでした。
同じ人間であっても、強制収容所のような強いストレス源に触れさせられたとしても、耐えられる人と耐えられない人がいる。その差が何なのか?ということを説明するために考えられた概念が、首尾一貫感覚です。

首尾一貫感覚の定義は、以下のものとされています。

汎用的な方向性をもち、普及した、信頼性のある力動的な永続的感情であり、
1)日常生活において内外の環境から生じる刺激などは、それにより構造化され、予測可能であり、説明可能である
2)それら刺激によってもたらされるニーズは、それを満たすためのリソースが利用可能である
3)これらのニーズは、これからも投資し関与していくにふさわしい課題である
ものである。

より具体的に落とし込んで、首尾一貫感覚には以下の3つの要素があると言われています。

把握可能感(Comprehensibility): 物事は秩序ある予測可能な方法で起こるものであり、あなたは人生の出来事を理解可能であり、将来起こることを合理的に予測できるという考え。
処理可能感(Manageability): あなたはスキル、能力、サポート、ヘルプ、または物事の世話に必要なリソースを持っており、そして物事は管理可能であって、あなたのコントロール内にあるという信念。
有意味感(Meaningfulness): 人生とは、面白くて満足感の源であり、本当に価値があって、これから何が起こるかを気にする良い理由や目的があるという信念。

つまり、戦時のCTOが必要となるような整っていない状況の中であっても、把握可能感があり、処理可能感があり、有意味感があれば、その人はその状況で潰れるどころか、苦境をチャンスに変えて成長することすらあり得る、ということなのでした。
ピンチはチャンス、とは昔からよく言ったものですが、実際にはピンチはピンチ、ピンチはアウト、みたいな場面も多く目にします。そのようなピンチをチャンスに変える為に必要な感覚が、上記の首尾一貫感覚であって、それが個人の精神的な健康を増進する役割も持ち、いわゆる「前向きに物事を受け止める」というような事と密接に結びついている、ということです。

これらの3つの要素のうち、特に「有意味感」が重要であるとされています。自分自身や、自分の行動の価値を強く信じられるかということ。
これらの要素は、心理的安全性において重要な要素とも密接に関連しているように思えます。ただ、首尾一貫感覚は当人の感覚として、心理的安全性は場や考えの共有を含めた概念として、それぞれ成立しています。特に大きな違いは、首尾一貫感覚は、完全ではないにしても外部的な要因と切り離して考えることができる、ということですね。

ジョブズのスピーチと首尾一貫感覚

実際に、首尾一貫感覚というものの重要性を感じさせるスピーチがあります。
スティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチです。
和訳で https://blog.goo.ne.jp/babinchom/e/96fad2ab886e263511e011d93ec8dd74 から一部を引用します。

あなた方は、これらの点を将来に繋いでいくことはできません。あなた方は振り返って、それらを繋ぐだけです。ですから、あなた方は、現在の点が、とにかくあなた方の未来に繋がるということを信じるのです。あなた方は、何かを信じなければなりません。・・・・自分のガッツ、運命、人生、カルマ、何でもいいでしょう。 その点が繋がり道となると信じることが、あなた方が自分の心に自信を与えます。 たとえそれが常識的な道から外れるとしても。それが全てを変えるでしょう。

これは、上記の定義に基づけば、有意味感についての話を述べています。スピーチの柱が3つあって、そのうちの初めの話は、まさに有意味感についての話なのです。点と点がつながり道となる、つまり今は見えないとしてもこれから良いことが起こるという目的が存在していて、それは何でもいいけれども、何かについて自分自身で価値を見出して信じるのだ、ということ。

一方で、このスピーチの中では未来について予測できないとも言ってしまっています。これは、把握可能感を薄れさせる要因になりますが、今の世の中では予測できない事が多く、先を正確に見通せるとすればそれは神でしょう。
ただ、把握可能感の全てを否定している訳ではありません。把握可能感の一部と、あと処理可能感を足して割ったような内容が、残りのスピーチの「することを好きになること」に含まれ、「死を意識して自分の人生を生きること」に含まれます。
徹底して好きになること・好きなものを探し続けることにより、その対象への理解は深まり、うまく処理ができるようになる。死を意識することにより、逆に自分の把握/処理可能なものを規定して、限られたリソースである人生をうまく使うことを考え続ける。
やや極端で強引な説明の仕方ではあるかもしれませんが、ジョブズのスピーチの本当のエッセンスはなんだと聞かれたら、それは首尾一貫感覚だということなのかな、と私は勝手に思っています。
ジョブズ自身が、おそらく最も大事だと思った事がこの話の内容だと思うと、首尾一貫感覚がいかに重要なものであるか、という事を改めて感じます。

実は私自身が、このスピーチの良さが全くわからなくて、最近首尾一貫感覚という言葉を知って、ようやく理解ができたのでした。というのも、おそらくジョブズの言っていることは首尾一貫感覚が強い私にとっては当たり前に感じられて、何を言いたかったのかがわからず、それに感動する人についても何に感動しているのか全くわからなかったのでした。

結局どうするのがよいのか

まだ考察が終わった訳ではなく、したがってこれが答だという事は無いのですが、おそらく戦時の組織として求めるべき素養は首尾一貫感覚であり、また首尾一貫感覚を養う方法があるとしたら、それは実践すべきなのだろうなと思っています。
まだ、その具体的な方法は分かっていません。今後の課題ですね。

首尾一貫感覚を養う方法(チーム構造)が見つかりました!
そのチーム構造をデュアルマネジメントと呼ぶことにしています。
https://zenn.dev/339/articles/10da795debba3f

参考:
HARD THINGS
WORK RULES!
健康生成論(wikipedia)
ジョブズのスピーチ: https://blog.goo.ne.jp/babinchom/e/96fad2ab886e263511e011d93ec8dd74

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文化・プリンシプルとその効果のメカニズム - 反脆弱性と個人と組織 - (結論・骨子編)

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