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『その仕事、全部やめてみよう』を読む - 戦略・ネトゲ・平時と戦時で読み解く"CTO戦記"

2020/11/01に公開


Amazonの「カテゴリ 投資・金融・会社経営の参考図書・白書」でベストセラー1位となっている書籍、『その仕事、全部やめてみよう 1%の本質をつかむ「シンプルな考え方」』。
(2020/11/1現在)
ベストセラー1位となっているぐらいの本なので、分かりやすくメッセージ性もあり、読者が自分で意味を見出だせるような内容になっています。そのような本の感想文を、なんで今更?という事もあるのですが、これまで私が考察をしてきた領域と重なる部分も多く、具体的に参考になったポイント・私の琴線に触れたポイントを中心に簡単に再整理を試みます。

骨格となる5つの主張

この本では、大きく5つの主張を、それぞれ一つずつ章立てして説明しています。

  • 「谷」を埋めるな、「山」を作れ!
  • 「ハンマーと釘」の世界の落とし穴
  • 「ラストマン戦略」で頭角をあらわせ
  • 「To Stopリスト」をいますぐ作る
  • 職場は「猛獣園」である

すべての軸にある「ラストマン戦略」と生い立ち

この本の主張は非常によく整理されていますが、もし5つの主張の中で根幹を成す考えを一つ挙げろと言われたら、ラストマン戦略なのかなと思いました。ラストマン戦略というのは、

  • 狭い集団の中でも良いので、何かの領域において、自分がその分野の第一人者・"最後の一人"である状態を目指す。
  • もし対象の集団を広げた時に自分がラストマンで無くなるときは、知見を深める/領域を変えるなどして、ラストマンであるという状態をキープする。

という戦略です。この戦略が、

  • 個人の成長戦略
  • 組織の価値の最大化
  • 組織自体の取るべき戦略(「谷」を埋めるな、「山」を作れ!)

いずれにおいても多くの場面でワークする、という事が軸になっています。
つまり、特化型人材としての個人の"和"ないし"重ね合わせ"が組織の価値になるので、偏った個人を集めれば組織としての"合計"が最大化されるというような事が言えるので、個人としても組織としても戦略が有効であること。また、個人を組織と読み替えることによって、組織自体の取るべき戦略も規定されるということ。

一方で、むやみにこの戦略を取ればうまくいく、という事でもありません。
この軸となる戦略を踏まえた注意点が、「ハンマーと釘」にならない事=市場から外れた自己満足に陥らないことであり、「To Stopリスト」をつくる=本質的でない時間を掴まされないようにすることであり、「猛獣園」たる特化型人材のチームをうまく機能させること、なのです。
個々の主張に基づく実践にも価値があるのかなと思いますが、全体で機能する状態が組み上がっている、という事が重要な事かなと思いました。

なぜそれを自然に掴み取ったのか?

私は、なぜこのような戦略を自然に掴み取ったのか?という事に興味を持ちました。

そのざっくりとした答えはおそらく簡単で、この本のあとがきに記された著者の生い立ちにありました。
つまり、元々興味のあることしかやらない、四則演算も覚束ない落ちこぼれ少年であった著者が、山田先生という家庭教師と出会い、「面白さを体験して、自ら進んで勉強をすることによって得意分野を伸ばす」という体験を経て、クラス最上位の教科もあれば最下位の教科もあるという、偏った状態になったこと。この経験を通じて、得難い何かを得るという経験を繰り返した結果、自然に掴み取られた戦略がラストマン戦略であり、「山」を徹底的に作るという事であり、それを落とし穴から守る術が残りの3つの主張。
そのようなストーリーで私は(勝手に)理解をしました。

ただ、もっと気になる部分もあります。例えばこうした経験が「戦略」に結びついたのはなぜか、ということ。これは、多分ゲーム、特にネトゲでの経験が大きいのではないかと私は勝手に思っています。

(対戦型の)ゲームというのは、我々の身の回りの様々な物事と違い、明確な目的が存在する場合が多いです。一方で我々が勉強を"強要"されるとき、まさしくこの本のあとがきで語られる通り、そこには根本的な目的が欠如している場合がしばしばあります。ゲームに深く親しんでいる or 深く親しめる性質を有しているとき、おそらく目的にそって物事を処理するという事が鍛えられていて、それが戦略的思考に結びつくのだろうなと思っています。

もう一つ、私がなるほどなと思った事があって、それは「うまくいく構造化の成功体験」でした。
この本の中で、WoWというゲームの翻訳についての2005年〜の話が述べられています。要するに機械翻訳+人力翻訳の仕組みを作るという話です。あとがきによると、著者は英語がとても得意だったのですが、ゲームの翻訳をする時にはまず機械翻訳に突っ込み、かつそれに自分自身が介在しない解決方法を取るのです。つまり、機械的にやれる事をできる限りやったうえで、人力に落とすのですが、その人力部分も自分自身が直接は介在せずに、いろんな人が参加できるという構造に帰着させる。
このような構造に帰着させることは、「本質的に人が複数関わるような物事であって、かつある程度緩い参加も許容されるような形」でないと難しいだろうなという気がしていて、ゲームを通じてそのような成功体験を積めるという事には大きな価値があるのだろうなと思いました。

他にも、例えば特化型の人材の長所を組み合わせるという考え方も、ゲームでパーティを組む際には頻出の考え方であると思います。これも理屈としては簡単な話ですが、社会に出て仕事をすると、一個人としてある程度自己管理ができる・自己完結的であることを求められる場面も多いです。それを貫けるのは、その考え方に基づいた成功体験があることが大きいかなと想像をしていて、それもまたゲームのもたらした影響の一つかなと勝手に思ったりしました。

自分を通して「なぜ」を理解する+まだ分かっていないこと

この辺りは、私と同じところ・違うところがあって、なぜ著者がこのような戦略に至ったのか、という事を深く理解できたのかなと思ったりしました。
「同じところ」でいうと、

  • 興味のある事しかやりたいと思わないこと
  • 何らかの分野・教科において、最上位である事も最下位である事も経験をしていたこと
  • 楽しみが勉強や物事の理解を深める上で根本的・重要な要素であると信じていること
  • 「ゲーム」が好きなこと

「違うところ」でいうと、

  • (私にとって)谷を埋める事の比重が、山を作る事と同程度であること
  • 私はネトゲをやらなかったこと
  • 私が身近で尊敬する人は、おおむね谷を埋めることも重視していて、かつその戦略で成功していたこと(これは著者の身近な例を知らないですが)

直近の私の課題は「スケールする組織づくり」なのですが、この違いの部分が、スケールする組織を作るという点において重要なポイントなのかな、という事を思っています。
私個人は、自分の苦手の克服みたいな事ではじめて努力の意義を感じた部分があり、その延長線上に生きています。それはもちろん良い事も悪い事もあって、実際にいま自分が仕事をする上では、埋めた部分で生じている価値を常に実感しています。ただ、それによって私の属人性が高くなってしまったというか、「一つ一つの仕事は本来属人的ではないはずなのに、最後まで物事を完遂するという部分において替えがきかない」みたいな状況になってしまっています。これはある程度の構造化が必須なはずで、それが自然にできる考え方との違いはなんだろう、みたいな事が最近の個人的なテーマだったりします。

ただ、特化型人材が揃ったチームをつくるにしても、それを整える調停者なのか、チーム内での自律的な調停能力なのか、少なくともいずれかは必要だろうと思っています。それが調停者に帰着してしまうと、結局単一障害点というか属人性というかその辺に問題があるので、チームの自律的な調停能力を期待したいなと思っています。(それで、自律的な調停能力を期待する水準で発揮するには、マッチョの集団じゃないといけないのだろうか、みたいな事を思うこともあります。)
また、いわゆる「文化」は自律的な調停能力の一つだと思いますが、「WHO YOU ARE」などではその文化とはつまり調停者そのものであるという事も示唆されていて、結局単一障害点になっちゃうじゃん、みたいなところがとても気になっています。(この辺は、CTO戦記という言葉の元ネタとも絡めて、いつか整理して書きたいなと思っています...)

HARD THINGSの世界観を踏まえた理解

上でも少し書いたように、私の特に興味関心のある分野はチームづくりの部分にあります。
何を隠そう、この本もいきなり5章の『職場は「猛獣園」である』から読み始めました。
この章を読んでいて思ったのは、HARD THINGSにおける「平時のCEO・戦時のCEO」という世界観でした。
(平時のCEO・戦時のCEOについては「首尾一貫感覚」と継続的に成果を出す人材に少し書きました)

この本では、マネージャーの2分類として調整型とリーダーシップ型というものを挙げています。
具体的な型はこの図のとおりです。


これは、ほぼほぼ平時のCEO/戦時のCEOという概念をマネージャーに落としたものとして解釈できます。
このような2つのモードがあるという事を指摘した上で、どんな組織であっても、部分的にはこの2つのモードを行ったり来たりする・バイモーダルなあり方の必要性が記されています。

このマネジメント観は、作業者・担当者のレベルでも意識をしておく必要があるかなと思います。つまり、自分がどう管理されたいかという事を理解していないと、自分のナチュラルなあり方と全く逆のマネジメント方式の会社に入って、お互い不幸な結果になるという事があるからです。
私自身、このような観点でマネジメントのあり方を整理したうえで、採用の場で提示・説明してミスマッチを避けるようにしようかな、と思ったりしました。

総括

いい本なので、読むと面白いと思います!(Amazonの「カテゴリ 投資・金融・会社経営の参考図書・白書」でベストセラー1位だから、そりゃあそうだろう...)

その他小ネタで思ったことや、整理しきれなかった事など

他にも大小様々面白いところは沢山あったのですが、それをすべて整理して文章にするのがちょっと大変になってきたので、以下では雑に感想を垂れ流します。

自分自身のマネジメント観

(上で引用した表を元にしたコメント)

私にリーダーシップがあるかどうかはともかく、全部右だな
見事に全部右
例外一つもなく全部右...

プロダクトの方向性までは左も必要だとわかっていて実務レベルではできるけど、その下半分は実務レベルでもできない。
整った資料は必要なら作れるし、部門間の調整は仕事ならするし、数字は必要なら徹底的に出すし、ユーザー調査とかABテストも本当はしたい。
あとは無理...規則とかマジでゼロで良いと思うところがあるし、安定性は全く要らないし、悩みがあるんだねと思っても根本的に共感できずに理屈の話になっちゃうね

左の上側は、営業で必要なんだよね。
つまり、自社のプロダクトでも投資ではなく顧客からお金を引っ張る場合があり、それをうまく通すためには左上が必要だった。それで磨かれているところもある。
左下は内政というか社内の在り方なので、これまでは全く要らなかった。もちろん、そういう価値観がある事も、それが必要な局面がある事も理解はしている。でも自分でできるかというとまー無理だな。

天然

ちょいちょい天然が露呈してるなと思ったところがあったけど、個人的に面白かったのはここ。
私は昔から他人の昔話をするのが得意だったけど、普通の人は他人のエピソードをそんなに覚えられないし、それに実感を持てる量にも限りがある。
このエピソードを思い出せ、と普通はならないけど、彼にとってそれは能力も習慣も当たり前で、だからここでエピソードを思い出すというコメントが出てくる。
ここは面白いなと思った。これが半分計算だろうけど、半分は素なんだろうな。かわいがられる/かわいさがポリシーであるということがわかる。

理想とする仕事のありかた

私の信念は、「全部拾った末に見える世界がある」、つまり要望を徹底的に叶えながら、それを高度に抽象化して得られる価値が生まれるという事にある。
これは、尖ったところで勝負するというより、尖ったところを持ちながら短所も引き上げ、それを抽象化して洗練させる。
ボトムアップな抽象化型の戦略で、根本的にトップダウンではない。
そこが、自分の持つ資産を集中して戦うタイプと根本的に違う発想なんだな。
満遍なく苦手を克服して戦う、優等生/王道で、かつ携わる人の全ての想いを拾った先にそれをうまく解決する道があると信じている。
それを、神の視点からアーティスティックに実現する感じなんだな。ある意味で数学的なんだけど、そういえあり方を無意識的に目指していて、それで各レイヤーの構成員に全体や相互の位置が見える事を求めているフシがある。
実際、能力のある人は、顧客とかでもそれをやっている人がいて、同じスタイルの仕事の人が集まっているなという感覚もある。
これはチームスポーツで、100%ではないにしても、駒が自分とチームの状況を理解する事を求めるか、徹底的に駒としてのみ動くか、みたいな差がある。

ラストマン戦略の場合も、考えを放棄している訳では当然なくて、自分のポジションは組織の中でこなせている仕事から自然に決まってくるし、そのポジションについては徹底的に考えるという事が必要になる。

私が拾ってきたような、様々なこぼれ球を拾う能力というのを、各ポジションの人にどこまで求めるかみたいな、そういう事がある。
仕事の枠を決められると困るけど、とはいえ自分の得意な分野を軸にして欲しいというのは当然ではあるし、人間の身体構造的な問題として楽しい方が身に着くという事も間違いない。
拾う仕事が必要なのは構造が悪いという考え方もあるが、構造を良くするにはコストがかかる場合もある。
やはり本質はそこなのかな、というような感じはある。

仕事の規模が大きくなると自然と分業が発生する一方で、仕事が固まってないと一人で拾うべきことがたくさんあり、またピボットする必要が出てきたりもする。
この事実とのバランス、この事実を踏まえた現実的な解がどこにあるのか、みたいな事を知りたいなというのがあるな。
その規模までビジネスを広げられていない時点で失敗という考え方もあるが。
これは結局、VCみたいにたくさん打って一部当たればいいという事なのか?個人として、何があってもとにかく成功する、みたいな事を目指す時に、王道ハイスペック戦略は誰もが取れる戦略ではないのか?みんなそれを取りたくはないのか?
みたいなところが気になりポイントだな。

携わる全員がワクワクする、やりたいと思えるようにする、一時的にやりたくない事があってもそれを超えてやりたいと思える気持ちを維持しやすくする、その意味での環境づくりは必要。
だから逆説的に、何にワクワクするか、何にワクワクしないか、という事のフィットが大事になる。
私自身は仕事をしていてワクワクしない事が無いから、そもそもワクワクできるできないみたいな事は見失っている。
便宜上ワクワクと言ってはいるけど、別に安定志向でも良い。要するに、心理的安全性というか、自分が全力でやれるなという事を確信できる条件がどこにあるか、ということ。

そういう事をまとめた資料みたいなものを作って、それを元にして合うか合わないか判断する、みたいな事はあるな。

そもそもの起点に戻ると、私が細かい穴を埋められて推進力のある人を探していたのは、そのような人が足りなかったからだった。逆に、そうでない人は簡単に集まったのだった。
それで、結局自分の期待する水準まで物事を高めたいなと思った時に、そこを埋める人が最低でも必要で、それを探して、みたいな事をやっていたのだった。
水準を求めないという解決は当然あり得るが、現状を踏まえて、そっちで勝負はしたくない。水準を求めたい。
ではどうするか。
すぐには拾えない前提で、もっと時間を取ればいいのか?テストとかをする時間を長く持てば、自然にわかる?時間にだけ目をつぶれば到達する?
そのような人は拾えない前提での考え方をするのか?

と考えると、やっばりそちらを正解にはしたくないなという気持ちがあるな。つまり、王道を集めて殴る戦い方をしたい。コマの動かし方を工夫して戦いたくはないな。

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