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ピーターの法則を避けるいくつかの方法、あるいは「ビジネスのわかるエンジニア」として望まれていること

2024/02/29に公開

概要

世に「ピーターの法則」という名前で知られる法則・現象があります。Wikipediaによると、その内容は次のようなものです。

  1. 能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。
  2. 時が経つにつれて、人間はみな出世していく。無能な平構成員は、そのまま平構成員の地位に落ち着く。また、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は、無能な人間で埋め尽くされる。
  3. その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。

では、どうやって無能になるのを避けるか?
これには、組織論や数理的な対策と、個人としての対策と、いずれの方向からもアプローチを考えることができます。この記事では、そのようないくつかの方法を紹介します。

出世する人の選び方で対策をする

ランダムに出世する組織にする

一つの方法が、ある階層において有能な人を次の階層に昇進させるのではなくて、完全にランダムに昇進をさせるという方法です。それによって、「個人としては運悪く」次の階層に昇進しない人が、有能な人として同じ階層に留まって仕事をこなし続ける場合がランダムで生じるようになります。
個人のレベルでミクロに考えると、物凄く非合理・理不尽な判断のようにも思えますが、全体ではランダムに選ぶ方がまだ合理的である、ということです。これは、てきとうな数理モデル的には実際に有効な方法で、かつ、知ってか知らずか、実際にそのような運用になっている組織も複数あります。しかし、現実の個人の感情としてそれを受け入れられるかというと、中々難しい部分もあります。特に、社会的に人材流動性が高く転職しやすい空気があると、「個人としては運悪く」出世できない人には転職するという戦略があり、その会社を去るという判断が発生する可能性もあります。

最も優秀な者と、最も無能な者を交互に出世させる組織にする

別の方法として、最も優秀な者と、最も無能な者を交互に次の階層に昇進させる、という方法があります。
これも、てきとうな数理モデルにおいてはピーターの法則の影響を逃れる事ができます。ただし、これを実際に適用しようとすると、個人が意図的に無能になることで出世できるために、意図的に無能を目指す人が多数発生する可能性があります。
もちろん、意図的に優秀になろうとする人も一定数いるでしょうが、多くの場合、優秀になる方法はあまり知られていない(というのも、優秀になる方法が知られているならば、みんながそれを実践すればピーターの法則が根本的に当てはまらなくなるので、他の対策を論じる必要がない)一方、無能になる方法としては単純に仕事をサボるなどがあって、「それが最も無能になれるかはさておき」いくつか思いつくことでしょう。実際には「最も無能」でないと昇進できないので、結局は相対的な競争になりますが、とはいえ昇進を目指 そうとすると最も無能か最も有能かのいずれかを目指すということになり、個人に対して無能になる方向の圧が加わる場合があるのは確かです。

出世しない選択に対してインセンティブをもたせる

これは、上記2つの方法とはまた異なった視点で、有能な人がその階層に留まりたくなるようなインセンティブを用意することによって、ある階層での仕事を継続させる、という方法もあります。早い話が、昇進させずに昇給させるということです。
そうすると、有能な人を有能なままに保つことができますが、一方で市場原理的な問題により、昇進した場合と比較して十分なインセンティブをつけることが難しくなる場合があります。
というのも、一般に「上位の階層」における仕事をできる人は「下位の階層」における仕事をできる人よりも人数が少なくなる場合が多く、数的希少性から「上位の階層」の仕事ができる人には市場原理の観点で高い値段がついてしまいます。そのため、昇進させずに昇給する対応にも一定の限界がある、ということになってしまいます。

次の階層で必要な能力が十分に身につくまで昇進させない

これも上記の方法とはまた異なった視点ですが、そもそも「次の階層で無能になる人を昇進させない」という対策もあります。
これは当たり前に効果がありそうですが、しかしながら次のような落とし穴があります。

次の階層で通用するか否かを事前に判断するのが難しい

根本的に、次の階層で無能になるか否かを見抜くのが難しいということがあります。階層が変わったときには、少なくとも一部は別の能力が必要になりますが、その能力があるかないかは、やってみないとわからない部分も正直ある、ということです。また、今の時点で多少足りなくても、やっていると身につくという場合もあります。

次の階層で無能になる人がランダムで昇進できる会社に転職してしまう

人材流動性が高い場合には、「今の階層で有能だが次の階層で無能になる」というような人が個人の利益を最適化しようとすると、別の会社に転職した方が有利ということになります(無能だが昇進できる可能性があるため)。
そうすると、この戦略は今の階層で有能な人を減らす方向の圧力となります。

このように、どの対策も一長一短というか、「どの角度から見ても問題がない」という状態を作り出すことは難しいことがわかります。また、個人としては理不尽な戦略が組織としては合理的である、といった場合もあり、難しさを感じますね。

個人として無能にならないように対策をする

さて、ここまでは組織的にどうやって対応するかという観点での対策について述べましたが、別のアプローチもあります。つまり、根本的に個人として無能にならないようにするには、ということです。
これは、いままで述べてきた話とは全く異なる考え方での検討になります。

個人の利益を最大化するには、当然ですが(望む水準まで)昇進し続けられる方がよいです。つまり、どの階層でも無能にならずに仕事を続けられると、その人の価値は上がります。それをどうやって実現していくか、ということです。

次以降の階層で必要になることを、下の階層に居るうちから考えて訓練する

素朴ですが、しかし重要なことは「次以降の階層で必要になることを、事前に想定して訓練しておく」ということです。多くの場合、自分の上司やマネージャー、チームのリーダーといった人とは直接接触する時間があり、そうした人が何をしているかについて、少なくとも部分的には見ることができます。
そうした自分から見える景色を元に、

  • 次の階層では何が必要になるのか
  • 次の階層では何をしていくのか
  • どうやって(どんなメカニズムで)仕事が動いているのか
  • どうやって仕事を動かせなければ無能になるのか

といった事を学んでいき、ときに直接上司と話をしたりしながら、次の階層で必要になることを自分から取りに行くことで、無能になることを避けやすくなります。
昇進してから「よし、昇進したからこれから必要な能力を調べて身につけよう」となるのと、昇進する前から「こういう能力が必要だから、事前に身に着けておこう」とやっているのと、どちらの方が良いかということですね。
これはめちゃくちゃ当たり前に後者の方が良いでしょう。
ただ、自分ひとりで考えるだけだと片手落ちになるので、仮説を立てた上で、可能な範囲で都度周囲のいろんな人にそれを確認していくようにします。
次の階層で通用するか否かを事前に判定するのは難しいですが、それでも個人として準備をしていき、可能な範囲では積極的に挑戦もしていく、というような事でした。

それは搾取か先取りか

このような事を、会社の職責が上位の人が、職責が下位の人に対して強く言うと、搾取のように捉えられる場合があります。実際、下の階層の人が、本来上位の階層にある人の仕事を為しているとすれば、その人は会社に対して過剰に貢献している、と捉える事ができるかもしれません。
これは難しい問題だと思いますが、ただ、一般論として、事前に準備をしている人とそうでない人を比べたとき、事前に準備をしている人の方が成功率は上がります。また、その会社の社風や文化によっては、下の階層の人がチャンレンジした時の失敗の様々な責任を会社が負ってくれるケースや、その成功をいろんな方法で評価したり、成功した事を受けて昇進させたりといった事ができたりもします。
もちろん、チャレンジの失敗の責任をすべて個人に負わせるケースや、成功が上司だけの手柄になって下の階層の人が評価されない場合もあったりするので、すべての会社・シチュエーションで「先取り」が良い戦略であるとは言えないですが、「先取り」が有効に機能する環境は存在していて、そこでは個人の成長が加速され、また無能になる確率が減ります。
(私個人的には、そのような意味での成長ができるか否か、という事をすごく重視して環境を選んできました)

下の階層に居るうちから「全貌」を想像して、ブラッシュアップしていく

自分が直接接触する上司etc.の仕事を観察することもそうですが、そもそもとして、自分の仕事の「全貌」を想像するということも重要です。
ここでいう「全貌」とは、自分の仕事が他の人にどう影響して、最終的に受益者の人に対してどのような効果があるか、ということです。
例えば私の仕事でいえば、「チケットシステムを開発する」という直接的な事によって、営業や運用の人はどう影響を受け、クライアント(チケット販売者)はどう影響を受け、顧客(チケット利用者)はどう影響を受けるのか。
顧客はチケットを購入・利用できる事が受益だが、もう少し広い見方をすれば、顧客が本来やりたいことはイベント参加なり施設入場なりをして有意義・素敵な時間を過ごすことであって、私達の作るシステムはその有意義・素敵な時間を過ごすことに貢献できているのか。イベントや施設を良い形で支える事ができているのか。その体験をもっと良くする事はできないのか。
そういう、実際に受益者に対して益を届けるまでの、文字通りすべての事 を想像しよう、ということです。
この例はシステムの開発ですが、実際にはそれ以外にもいろんな仕事があります。そのできる限りすべてについて、「全貌」を想像することを習慣にしていきます。

当然ですが、これは高度なことで、最初から高い解像度でできる事ではないと思います。しかし、それに取り組むか否かで、少しずつ確実に、差がついていきます。
一般に、上位の階層の仕事をするには、「そのビジネス的な構造を把握して、不足している箇所を補いながら、自分の監督範囲の全体をマネジメントしていく」という事が必要になります。
その練習としても、また自分が実際に無能でないことの証明としても、「全貌」を想像することは有効です。
というのは、実際に受益者に対してこのような意味があるのだ、という事を示すことができれば、たとえ他人にどのように言われたとしても、自分は確かに無能ではないという自覚と自信を持って仕事をすることができます。
(もちろん、実際にはそんなに簡単なことではなくて、「自分が本当に価値を届けているのか」という疑問はあらゆる場面で常についてまわると思いますが、それと向き合いながら、自分の仕事の「全貌」を想像して、そのうち自分はここのパートをやっているのだ、みたいに思い続けることで私はとても救われた部分がありました。)

また、「全貌」を考えることによって関わる相手の人の気持ちや考えも想像できるようになり、会話も円滑になっていきます。開発の文脈でドメイン駆動というとき、例えば共通言語としてのユビキタス言語を作ろうと言われますが、言語を作るだけでなく、その世界観や「全貌」を共通認識として持つことはもっと重要なことで、単純に開発するものの質にも大きく作用します。

むすび - 「期待を超える」ことが無能を避ける、一つのメカニズム

ピーターの法則をテーマとして、組織論や数理的な対策と、個人としての対策について述べました。
以前からなんとなく考えていたことを、改めて言語化してまとめてみて、

最後の方に述べた個人としての対策は、「期待を超える」という事が結果的に無能を避ける事につながり、組織の継続的な成長につながる、という一つの事例になっているのだな

と思ったりしました。

組織としてはピーターの法則のような事象が一般に存在するという前提のうえで、しかしなるべくそれに当てはまらない組織を、理不尽なくうまく構築するにはどうすればよいか。
まだその答えはないと思っていますが、とりあえず個人として無能にならない対策を続けることで、気持ちよく仕事ができるんじゃないかなあと期待をしています。
もちろん、この対策が妥当でない組織も存在して、例えば高度に分業された組織体制においては、個人が全貌を考えることは徒労であったり、無駄な混乱を生じたりするケースがあるかもしれません。あるいは、失敗可能性のある挑戦が直ちに致命的な事象に直結するために、それを認められないようなケースもあるかもしれません。これは組織の目的や規模や風土によって変わってくることで、唯一の正解があるような事ではないと思いますが、今のところ私個人としては「個人として無能にならないように対策をする」事ができるのが自分にとって適した・楽しい環境だと思っています。
それをできる環境の条件が、「期待を超える」という習慣が定着していることであり、また成長を目的とする考え方が根付いていることであり、それを支えるチームワークがあることであり、一方的な搾取者がいないことであり、関わる皆にとっての益を追求していくことなのだと思います。

あと、最近よく「ビジネスのわかるエンジニア」という話を耳にしますが、この言葉で表現したいことは、ここで述べたような無能にならない対策をすることで、直接的な開発に閉じない受益者に益を届けるまでの「全貌」を、たとえ低い解像度であったとしても心に置いて会話をしてほしい、という事なんじゃないかなあと思ったりしました。

おしまい。

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