Chapter 04

第二章 変異

松井実・伊藤潤
松井実・伊藤潤
2022.08.19に更新

HOW

「エラー」 (p70)

を十把一絡げに扱い議論をしているので、破綻が生じている。
ドナルド・ノーマンの『誰のためのデザイン?』に従い、「エラー」を計画段階での「見当違い」である「ミステイク(mistake)」と、実行段階での「し損い」である「スリップ(slip)」に分けるとする。創造性で必要とされる「エラー」は様々な可能性を試し、正解以外を選んだ「ミステイク」である。一方、DNAの変異は転写翻訳複製を正しく遂行できなかった「スリップ」である(伊藤、@Dominique_Domonの指摘により2022-07-31修正、転写翻訳だとDNAじゃなくてタンパク質できちゃう><)。本文中の「エラー」を正しく「ミステイク」と「スリップ」のどちらかに置換すると相当読みやすくなり、また論理の破綻もより明らかになるだろう。
「エラー」を二種類に分けて考えることは世間一般的であるとは言い難いかもしれないが、著者のいう「解剖」の視点を「エラー」に適用しさえすれば達することのできる視点であろう。少なくともデザイナーがノーマンのベストセラーを読んでいない、では不勉強の誹りは免れられまい。 (伊藤)

「では、何が創造を洗練させるのか。[...]創造を洗練させるのはユーザーや市場への適応なのだ」 (p72)

これは全く(といもいえない。後述)同意する。本書での数少ない集団的思考への言及である。市場こそが自然淘汰の舞台だ。とはいえ色々と改善できるのではないかと思う表現はある。創造を洗練させる、というのはやや主観的な表現だし、適応が洗練「させる」という表現はピンとこない。自然淘汰という言葉は生物進化にとっておいてほしい(自然naturalという言葉が、人為的でもhigher entityによるものでもないことを意味するので)。また、創造という言葉選びも本書を通して同意しがたい。デザインもしくは設計のほうが私はしっくりくる。たとえば、次のような文章であれば私も同意できる:「では、何が設計をより複雑だったり、より使いやすかったり、より製造しやすかったり、より安価だったり、むしろより高価だったり、より壊れにくかったりするのか。すでに市場にある競合にくらべて欠陥が多かったり、総合的な価値が著しく劣るものはその市場において満足な需要をうめず、市場から淘汰されやすくなる。物を新たに作る人は、既存のデザインを意図せず改変してしまったり、意図を持って変更したりという変異を生み出すことで、デザインのプールを変更・更新するが、デザインの良し悪し・成否・繁栄と衰退を決定するのは、その物のユーザーたちだったり市場といった環境であり、それらへの「物」の適応ぐあいである」(前半が非常に長くなってしまっているのは、本書が「洗練」、つまり「優れたデザイン」を定義していないからだ。安価であることが優れたデザインなこともあれば、高価であることが優れたデザインであることもあるので、これらの衝突する「よさ」は互いに排他的ではないことを示すために、〜だったり、という表現を用いた。後半が非常に長くなってしまっているのは、本書に欠如した集団的思考を詰め込んだためだ) (松井)

「失敗=変異的エラーがなければ、成功=創造的進化もない」 (p73)

失敗・成功の定義が曖昧だが、適応度の上下につながる変異をすべて変異とするのなら、失敗の要因⊂変異だし、成功の要因⊂変異となる。有害変異は失敗である、というのであれば、有害変異がなければ成功しないという論は成立しない(実際には有害変異なしで有益な変異ばかり作り出す、という)ので、この記述は間違いになる。 (松井)

「部下の発想は論破するのに代案を出せない残念な上司」 (p73)

は「非創造的な人」か?変異と適応が両輪だというのなら、部下の提出した変異を適応(というか吟味による棄却)するのはたいへんに創造的な人だと思う。また部下の(実現すればたくさんの複製を産めるようなポテンシャルを秘めた)有益な変異をもってきていたとして、それを棄却するのもまた進化のプロセスの一部だろう。 (松井)

「進化は必ずしも進歩ではな」い (p74)

こういう進化学にとって基礎的で重要な記述は確かに本書に登場するのだが、それが全文に反映されていないのは残念だ。 (松井)

「ボケは変異、ツッコミは適応だ」 (p76)

それをいうならツッコミは「淘汰圧」(p83)である。 (伊藤)

「人類は爆発的なスピードで道具を発明し、発展してきた。」 (p78)

別に構わないが、本書の論旨に沿えば、ここは道具を「創造」し、であるべきではないのだろうか。
と思ったら既に「発明」と「創造」はあちこちで混用されていた。 (伊藤)

「人類が道具を創造するスピードもさらに速くなった。」 (p78)

スピードをどう計測するのかわからないが、「人類は言語の発明によって、変異的な構想が自然発生する仕組みを身に付け」たかどうかはなんとも言えないだろう。相関関係があるとしても、それが因果関係と言えるのかは別であり、これは学術の基本的な考え方である。1つの可能性としては、言語によって、知識の伝達、継承が可能になり、変異の結果が残りやすくなったため、次なる変異に至れるようになった、ということは考えられる。 (伊藤)

「言語と遺伝子の類似性こそ、言語によって人が道具を発明し、自らを進化させられた理由だと考えると、創造と進化が類似している謎が氷解する」 (p80)

言語そのものが進化するので、これは「人間の進化と遺伝子の進化の類似性が、人間がこんなに複雑な人工物を発展させた理由だ」と言っているようなものだ。原因と結果がめちゃめちゃになっている。 (松井)

「この言語と遺伝子の類似性こそ、言語によって人が道具を発明し、自らを進化させられた理由だと考えると、創造と進化が似ている理由が氷解する。」 (p80)

理由だと考える理由と、仮にそう考えるとしてもその仮説の妥当性が全く理解できない。ここは明らかに誤りであり、以降この誤りに立脚して論を重ねていくのだとすれば、すべて無意味であろう。また「道具」とは「疑似的な進化だ」(p47)ったのではないか。「生物は、自分自身の身体を、自ら望んで進化させることはできない」ので「道具」を作る、という話だったのだが。 (伊藤)

「創造にとっての言語≒進化にとってのDNA」 (p82)

なるほどとは思う。しかし図面は?楽譜は?手にとって触れる実物は?言葉がないビーバーにとってのダムづくり遺伝子は?となり、言語以外にもDNAの座の候補はいくらでもある。一言で言えば、「メディア」はすべてDNAの座の候補だ。 (松井)

「これらの会話がDNAの交配に相当するなら」 (p82)

会話はたしかに言語に変異を生む重要なメカニズムのひとつではあると思うが、ひとつにすぎないし、交配という有性生殖のメカニズムとは関連が薄い。「会話はアイディアのセックスだ」という言葉のキャッチーさはわかるし主旨にも同意するが、それを科学的に妥当な仮説だと捉え、科学的に検証するには非常に長い道のりが待っている。交配は遺伝子変異とはイコールではない。しかもDNAは交配しないのでは?個体が交配する。「もしAなら、Bである」という文章が非常に多く登場するが、仮定しているAの妥当性、説得力が弱く、そのあとの議論が滑っているのは、もはや伝説となったヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」シリーズを思い出させる。「もし古代の宇宙人が地球を訪れていたなら、彼らは何者で、一体どこからやってきたのでしょうか…!?」エリオット・ソーバーのグレムリン仮説にも関連した考えがある。実際に色々と実験室環境で調べてみればこの仮説が妥当であるかどうかはわかるはずで、著者のやるべきことは、この未検証の仮説Aが尤もらしいという前提からさらに未検証の結論Bを引き出すことではなく、仮説Aを検証すること、もしくは仮説Aを検証している学術的な研究を紹介することではないだろうか。これもまたリドレーの『繁栄』の冒頭「アイディアがセックスするとき」が参考になる。 (松井)

「これらの会話がDNAの交配に相当するなら」 (p82)

しないだろう。DNAの交配の結果は次世代が誕生するわけだが、会話における言語のやりとりは「交配」ではないだろう。日本語と英語の交配はルー大柴みたいになるとでも言いたいのであれば別だが、日常会話の結果、何らかの新たな考えが生まれることもあるかもしれないが、それを強いてDNA関連のものに例えるならば、誤って転写翻訳された新しいタンパク質、ということになろう。 (伊藤)

「言語から創造につながる変異の発生数は、進化より桁違いに多くなる」 (p83)

意味がわからない。比較できるものではない。まず言語の変異と創造につながる変異は違う。仮にここで言いたいことが、言語の変異は生物進化での変異よりも頻繁であるということだとしても、変異が多ければよいということでもない(生物進化でも、遺伝子の変異率が今より高くなるとうまくいかないと読んだ記憶がある)。変異率じたいはたしかに文化伝達のほうが高いと言われているが、それは「会話がDNAの交配に相当する」からではないし、その数が1年間に4京880兆語にのぼるからでもない。変異が発生しうる回数だけでいえば、細菌の数、彼らの分裂頻度、彼らの染色体の総塩基数を考えれば「進化のほうが桁違いに多くなる」ことは容易にわかりそうだ。(2022-07-14追記:言語の進化が生物の進化よりも早い、という主張であれば同意できる。) (松井)

「進化に比べて淘汰までの時間が短い」 (p83)

淘汰までの時間とは…?生まれて数分で死滅する細菌は?もし人間進化を対象にしているならそのように書くべきだ。人間の、今までの生物的な世代交代による遺伝子の変化よりも、彼らのつくった文化の変化のほうが早い、ということは確かに起きている(常にそうだというわけではないが。例えば石器をつくったことによって我々の肩は回りやすくなったらしい。この場合は「文化の変化スピードに生物的世代交代による進化がおいついている」と言ってもそこまで間違っていないだろう) (松井)

「自然のほうがデザインが巧妙なのは、こうしたスクリーニングのプロセスの圧倒的な違いが原因だと考えられる」 (p83)

文化においては変異が桁違いに多く、また淘汰圧がゆるすぎるからと。研究開発にかけた時間と資源の差では…? (松井)

「地球上で人間以外に言語を操る生物が確認できていないこと」 (p83)

はない。
鳥ですら鳴き声に文法があるらしいことが知られていることを著者自ら書いているではないか。「言語」ではなく「文字」と言いたいようであるが、人間においても文字の発明と言語の発明は明らかに異なる事象である。 (伊藤)

「変異の9パターン」 (p84)

オズボーンのチェックリストの派生版と言えよう。p89にオズボーンの言葉を引用しているのに、チェックリストには触れていないのは不自然である。盗用とまでは言わないが、様々な「共通」性を見付け出すことに興味があるのであれば、異なる観点から始まり、たどり着いた発想法のパターンが9つと「共通」したことについて何らかの言及があって然るべきではないか。
また、言語のエラーの「擬態」がどういうものなのか例示されておらず、理解不能である。 (伊藤)

p86: 別に構わないが、「エンジンが馬に「擬態」した」証拠として「馬力」の語を挙げるまでもなく、馬車から自動車へと「進化」したことに対して異論を唱える者はいまい。 (伊藤)

p88: 創造が生まれるとき、偶然にあとから理由がつくのか、論理を積み上げた先にあるのかを問うて、「偶然の変異が先にある」が答えである、というのは対応するのだろうか。偶然にあとから理由がつく、というのと偶然の変異が先にあるというのは同じことを言っていない。さらに続けて、「歴史上の発明や法則の発見の多くは、偶然起こってしまったエラーや、計算式のなかのわずかなエラーの発見」から来ているとするが、その2つのエラーは別物。前者はアクシデントとしてのエラー、後者は測定と理論の差としての誤差だ。verbalな議論は曖昧で誤解を生みがちだが、本書もまさにその典型になってしまっている。天動説も相対性理論もエラーの発見というよりも実測値と旧理論がずれるという後者の「誤差としての」エラーで、それはまさに「論理を積み上げた先にある」創造だ。ふつうにペニシリンやポストイットを例にあげればよかったと思うが… (松井)

p88: 重要なパートだが、ここも「エラー」が問題である。
「偶然の変異が先にある」「偶然起こってしまったエラー」はスリップである。
一方、創造性を高めるための「エラーへの挑戦の数」はミステイクである。 (伊藤)

「生物でも、たくさん卵を産めば生存確率が上がる」 (p89)

上がらない。サケの生存確率>>>>人間の生存確率?むしろたくさん卵を産めば産むほど生存確率は下がる(因果の矢印はないにしても。因果は生存確率を下げるような育児戦略をとるなら、たくさん産まないと個体数が長期的に維持できない、か) (松井)

「肝心なのは成功確率ではな[い]」 (p89)

そうではなく、成功確率も試行回数と同様に重要なのだが、成功確率は試行回数のようには線形には伸ばせず、訓練によってある程度伸びるにしても頭打ちであるが、試行回数は誰でも伸ばせるからがんばろうねということだ (松井)

1 変量 (p90–)

p93: 細胞分裂と細胞肥大は異なる現象である。
桑実胚までは受精卵の全体の大きさは大して変わらない。 (伊藤)

「もし細胞分裂がわずか一回でも多ければ、私たちの身体はすぐに2倍の質量になってしまう」 (p94)

もし細胞分裂がわずか一回でも多ければ、私たちの細胞数は2倍になってしまうかもしれないが、質量は変わらないのではないだろうか。大人の半分くらいの体重の子どもの細胞数は半分よりも多かったと記憶している。彼らの細胞そのものが小さく、体も小さい。 (松井)

「ラジカセを超小さくした」 (p96)

言わんとすることはわかるが、「ラジカセを超小さくした」ものは「ウォークマン」とは言えないだろう。ここでは創造の例ということなので、初代「ウォークマン」で考えるべきであろうが、次に挙げられているように、「スピーカーを超小さくした「ヘッドフォン」」がなければ初代「ウォークマン」では音楽は聴けない。ほとんどのウォークマンはスピーカーは内蔵されていない。また、「ラジ」は「ラジオ」のことであるが、ラジオチューナーを搭載したモデルは主流ではない。デザイナーとしては、日本のデザイン界のマスターピースの「ウォークマン」を正しく扱うべきではないか。
「木を超薄くしたもの」は「紙」ではないことくらい小学生でもわかるだろうからツッコむのも野暮ではあるが、「経木(きょうぎ)」という。紙的にも使えないことはないが。むしろ紙は繊維を取り出して再構成したという観点で言うと「分離」の例ではないだろうか。 (伊藤)

「『宇宙からは国境線は見えなかった』」 (p100)

とても良い言葉だと思う。と同時に、好むと好まざるとにかかわらず、国境は大きな文化の差を近距離で保持しうる、重要な環境だ。北朝鮮と韓国は採用しているシステムが非常に異なるため、地理的にも民族的にもほとんど差異がないのに極めて異なった国家になっており、その差は宇宙からも照明の多さという歴然とした差で見えたはずだ。同じことは統合して久しい東西ドイツについても未だに言える。均質な環境で似たような遺伝子をもっていたある生物の集団が、ある日突然川が流れ込んでくるとか火山噴火による隆起などで地続きでなくなる、といった地理的隔絶~~地理的隔離を受けることがある。このような断絶隔離が種分化を生むことが知られており、国境もまた文化的な断絶と種分化(と表現するには非常にためらいがあるが)を生む重要な環境だといえる。 (松井)

2 擬態 (p104–)

「擬態」 (p104)

擬態と真似、模倣は違う。モノマネは擬態ではない。子が親の鳴き声に影響を受けるのも擬態ではない。模倣imitationは集団内、特に親子の社会的学習の方法のひとつで、サルや鳥もする。擬態が真似に似ているからといって、これらを結びつけることはできず、擬態でくくるのはあまりに乱暴だろう。擬態はほとんどの場合種間だろう(脱皮後の弱さを隠して強がるなどの同種をだます擬態もある) (松井)

「数万年前、人類も国家やコミュニティを作るよりも前から、動物の声真似をしていたと考えられている」 (p104)

動物の声真似をしていたことが言語の起源であるとする19世紀の学説からそう言っているのだとしたら、少なくともその説は現在は支持されていない(模倣する能力じたいは言語の進化に影響を与えていたにしても)。また、そのはるか前からヒトは集団で生活していたと思うのだが、それはコミュニティではないということだろうか。 (松井)

「相手の目を欺く擬態」 (p106)

主に視覚的なものが多いのはたしかだが、擬態はそれだけにとどまらない。音を真似するもの、化学的なもの、触覚的なもの、はてには電気的なものさえあるらしい。 (松井)

「天敵にとって嫌な相手に化け、強いふりをするタイプの擬態はベイツ型擬態と呼ばれている」 (p107)

ベイツ型擬態の「嫌な相手」は「有毒」なことであり、食べると不味い、ということで、「強いふり」ではない。強いふりは直前の「トラカミキリはアシナガバチにとても似た外観を獲得している」のmimicry(標識的擬態)の例が妥当だったのに、何故余計なことを書いてしまったのか理解に苦しむ。 (伊藤)

p107: フクロウチョウは人間から見れば確かにフクロウの頭部っぽいが、フクロウを模しているかはわかっていないようだ。また、目のような模様は非常にポピュラーだが、それが「驚かせるため」「強そうに見せるため」ではなさそう、というのが最近の学説だったと記憶している。むしろ、目立つ目のような模様をめがけて攻撃されても、羽の端っこのほうなのでクリティカルなダメージを避けられる(お腹を攻撃されるよりは、端っこがやぶれるほうがまだマシ)という囮としての役割は少なくともある、ということになっているはずだ。 (松井)

「〜型〜と呼ばれるものは例外なく擬態的な思考による発想」 (p110)

ノートPCはノートに擬態しているのか?ノート「っぽい」だけでは?ノートを半開きにして横にして指で打つことはない。擬態の人工物例ならExeファイルに擬態するウィルスとか、潜入捜査とか、軍事用の迷彩(これは言及されている)とか、ステマとか、偽ブランド品とか、監視カメラありますとか猛犬注意とか、伊達メガネとかのほうがよい例だと思う。 (松井)

p110: リリエンタールのやってたことは擬態ではなく模倣だ。また、リリエンタールはプロペラを不自然と嫌い、羽ばたき型の飛行機を模索していたので、ガイカワサキの言うところの冷蔵庫2.0のウェーブに乗れなかった。その死が技術を革新させた。 (松井)

p110:「既にあったAと新奇のBは似ている。だからBはAの擬態だ」 というのはさすがに無理がある。タラバガニはズワイガニの擬態ではない。「既にあったAに似せて、Aの外見的・構造的特徴を真似てBを作ったら、それは擬態的発想だ」とRabbitの例をあげている(p112)が、これも違うと思う…。「外見的・構造的特徴を似せることで、環境に溶け込んだり相手(たいていはデザインにとっての資源を持っている人。たとえばウィルスメールを開こうとしている人のPCとその連絡先)を騙して資源を奪おうとしているデザイン」であれば擬態的発想からうまれていると言えると思う。この定義でいえばたとえば地球儀は地球に擬態したものではなくて、単に似せることによって情報を記述しようとしている媒体だし、Rabbitは擬態ではなく似せることによっていろんな意味を表現しようとしている媒体 擬態には何かしら騙し要素が必要な気がする (松井)

p110: 人工物における擬態の例が悪すぎる。すべて単なる模倣である。たとえば以下の例はどうか。外国のパッケージの、(本当は全く意味をなさない)日本語の表記。読める人からはJibberishに思えるのだが、当地の消費者に「日本っぽい商品だ」ということを伝えるには十分なレベルまで擬態している。生物の擬態も目的を達成するまで似せるので、人間には到底似ていないように見えるものでも十分うまみのある擬態できている場合がある。また、少し外れるかもしれないが、GANもうまく擬態することで生存しようとする(偽札を作ろうとする)forger/generatorと、それを見抜いて捕食?しようとするinvestigator/discriminatorとの競争、共進化といえなくもない。 (松井)

p112: ファインマンの件、「動きを真似」るのはタモリのモノマネのようなことを言うのではないか。動きを再現する方程式を考えることまで「擬態」に含めるのは妥当ではないように思うが、まあいいか。そもそも擬態的な発想以外も偶発的に発生すると思うのだが。 (伊藤)

「あらゆる形態には理由が宿っている」 (p113)

生物のあらゆる形質はすべて適応的であるといったん仮定(いわゆる作業仮説を設定)して、そのメカニズムを究明しようとするアプローチを適応主義という。この記述はそれに近い姿勢であり、非常に賛同できるものなのだが、わずかな変更が必要で、「あらゆる形態には理由が宿っているはずだという姿勢で臨もう」であれば賛同できる。偶然によって形態が決まっている(遺伝的浮動、中立進化など)ことも十分にあるし、理由が解明できないものもある。「適応主義は何もないところに適応を見つけ出すかもしれないという問題がある。しかし作業仮説であるから、研究の結果その形質は適応でないと結論されることもある。適応主義アプローチは「全ての形質が適応である」のような信念を告白しているのではなく、仮説構築の指針である」Wikipediaより。すべての形質が適応である、あらゆる形態には理由が宿っている、というのは汎適応主義の誹りを免れない。 (松井)

p114: 何故ここで「擬態」ではなく「コピー」という新しい語を用いるのか理解に苦しむ。 (伊藤)

「擬態的な思考は現在まで、『見立て』や「メタファー」など、人類史の数千年にわたってさまざまな文化領域で発想の手法として用いられてきた」 (p116)

その通り。既に名前の付いた概念に別名を与えるのは単なる無駄である。「見立て」と「メタファー」でおそらくほとんどの日本人に通じるのだから。 (伊藤)

p117: 別にいいのだが、「猫型ロボット」を例に出さなくても良いのではないか。文中で既に「犬型ロボット」を揶揄しているので猫にしたのかもしれないが、クマとかブタとかでも良かったのではないだろうか。世界中で最も有名な「猫型ロボット」は耳がなく、青い。2足歩行が基本だし、爪もない。擬態という点ではどちらかというと不出来な方であろう。逆に「猫型ロボット」を考えろと言われて「耳がなく青い」ロボットはまず思い付かない筈であり、藤本弘の天才ぶりをこれ以上ないくらいに示しているとも言えよう。 (伊藤)

3 欠失 (p118–)

p118: 欠失はDNAの一部が失われることであって、(正しい意味での)退化とは違う(「系統発生における退化とは、進化の過程における器官の縮小、萎縮、消失など…」)。退化という言葉を使わなかった理由はなんとなくわかるが、欠失を使う積極的な理由もない。何故この区別にこだわるのかというと、遺伝子の欠失ではなくむしろ「ある遺伝子があることによって」なにかの部位が親個体のようには発生しない・成長しない・形成しない場合が十分ありえそうだから。ある遺伝子が何かを阻害する、はよく聞く。つまり、DNAの欠失によって生物になんらかの機能が追加される・形質が複雑化する、ということもありうるし、なにかが正しい意味での退化をしたからといってそれが欠失によって引き起こされているとは限らないということだ。 (松井)

p119: アルビノは色が欠失した個体ではなくメラニン色素の生成に障害をもつ個体であり、このふたつは同じではない。小人症が身長が欠失する障害ではないように。

p119: チンパンジーには尻尾はない。チンパンジーはApeであってMonkeyではない。 (松井)

p119: コアラはクマの一種ではない。有袋類。 (松井)

p119: ヒトに尻尾が無いのは表面的なことである。本書の「進化」的に言うのであれば、尾骨が数個残っているので「うっかり」「作り忘れ」られたものではなく、短くなった「変量」ではないか。「進化」とか「生物学」とかいわなければ、表面的になくなったことを「欠損」と表現してもまあ目くじらを立てる必要もないので、「進化」を援用することの弊害がここに出てしまっている。 (伊藤)

p121: 既存のものから不合理な部分を取り除くのは人工物における退化(という言葉をここでは使う)なのか?一見合理的に見える足をなくしてしまったヘビ、バランスとるのに有利そうな尻尾をなくしたApe、顎を小さく弱くした人間、そういう大胆なトレードオフをあげたほうがいいのでは… (松井)

p121: ゼロの概念が欠失だというが、ゼロという概念はむしろ付け加えられたことによって数学を進歩させたので、それは欠失でも退化でもないのでは…。たとえばなにかを仮定して解けないはずのナヴィエストークスを解けるようにする、とか、モアレフィルターなくして画質向上なら退化かも いや、前者は違うな… (松井)

「当然のように起こっている差別もまた、存在する必要はないはずだ」 (p122)

お気持ちは大変そのとおりだと思うのだが、差別のメカニズムと著者のお気持ちは関係がない。進化の看板を掲げるなら差別はなぜ起こるのか?のメカニズムを進化的に説明すべきで、差別をすることが適応的であるからこそ根が深く厄介なのであって、「差別は悪いですね、存在する必要がないからやめましょうね」というのは中学の道徳の授業である。よそもの差別の適応的メカニズムについてはヘンリックの『文化がヒトを進化させた』、ミラーの「消費資本主義!」が詳しい。 (松井)

4 増殖 (p128–)

p129: 反芻動物の四つの胃はセルロースなどを分解吸収するための仕組みであるが、「三つは正確にいうと食道を変形させたものらしい」という由来もさることながら、役割も異なっている。同じものを増やすのが本書の言う「増殖」ではないのか。 (伊藤)

「生物の発生自体が細胞の増殖によって起こるため、複製は仕組みとしては容易なのだ。」 (p133)

仮にこれを正しいと認めるとしても、直前の椎骨は1つ1つが同じものではないのは挿絵からも明らかである。「既に獲得した要素の増殖は、細胞分裂の時点で分岐を増やすだけで発生できる」と言えないことは明らかであろう。多指症を例に出すならば、阿修羅のような多腕症や三つ目などの多眼症は何故頻発しないのか? (伊藤)

「わずかに違う同じようなものをアソートした」 (p135)

というのは「増殖」ではなくパラメータの「変量」であろう。色鉛筆を例に出すならば、進化ワーク03「超~なx」的に「超色がいっぱいある色鉛筆」となる。「増殖」ならば「色鉛筆セット」3つ買うと割引、とかそういうことになる筈であろう。 (伊藤)

p136: 布は「進化」のプロセスからすると「増殖的」な創造ではない。まず糸を一本だけ作るのは蚕や蜘蛛である。一方、人類がはじめに手にした糸(繊維)は植物性の繊維であろう。一本だけ手に入れる、ということはできない。すでに最初化から「増殖」され「たくさん束ね」られた状態であった筈である。そこから、大きな葉や動物の皮のように面積のあるものが作れないか、とその「構成」を創造したのが布である。
糸と布は「増殖」の例としてはあまり適当ではないだろう。布は糸を縦横に「構成」せねばならず、そこでは「増殖」の思考とは別の思考が必要である。またその実現も容易ではないという点でも「布」はあまり適当な例とは思えない。経糸を固定するためのごく「原始的な織機」がないと織るのは難しい。本書にもある様に、34000年前の繊維から6000年前の布の服まで、相当な年月を経ている。布を織るまでには、繊維を紡績して糸を作るプロセスも必要で、糸車のようなイノベーションが生まれているし、また織機というイノベーションがあってようやく実現されたものである。つまり、布の創造においては、「糸を「増殖」させた」という発想のもつ重要度は比較的小さいのだ。
同じように植物性の長いものを「増殖」させた例としては、木片を並べて繋げ、紙のように文字を書いた木簡や、細い茎を並べて繋げた簾(すだれ)などがわかりやすいだろう。また、布よりも網の方がまだ簡単で良い例だろう。これらを挙げた上で最後に布を挙げるのであれば良いと思う。 (伊藤)

p137: トランプやタイプライターは数と文字の問題なので、増殖なのか?と思うが、まあ著者の考えということで尊重しておく。 (伊藤)

p138: メンデレーエフの元素周期表は増殖的らしい…わからない…。本書であげられる9つの変異はどれも互いに独立でなく、馬車から馬が「欠失」させたのが車で、馬をエンジンに「交換」したのが車で、馬車に「擬態」したのが車で…といわばラベル状に付与できるのが違和感がある。 (松井)

5 転移 (p142–)

p142: 『転移」転移という言葉だけを使うとガンの転移だろう。水平転移=水平伝播は生物進化では世代間(垂直)ではなく世代内での遺伝子のやりとりだし、文化進化では水平伝達、垂直伝達、斜めの伝達を類似の意味で使い分ける。このあと水平転用(p146)という横井軍平の水平思考のような言葉も出てくるが、これらをまたぐ転移という曖昧な言葉を使うことでこれらを結びつけようとしているが実際にはメカニズム的な繋がりは薄い。生物にとって移動することやニッチが重要なのはそのとおりだが、それと水平転移はつながらない。転移よりもたとえば「移動」「移住」のほうが近いのではないだろうか。 (松井)

「かたじけない」 (p142)

(忝い)は感謝の意を表す語である…。さすがに編集者もこれくらいは気付いて欲しい。 (伊藤)

「太古の昔に魚類が陸に上がって爬虫類になったり」 (p143)

魚類が陸に上がってティクタアリクのような陸生動物、四肢動物にはなったといっていいと思うが、四肢動物には両生類なども含むため爬虫類のみになったわけではないし、そもそも爬虫類は側系統群なのでここで魚類の陸生版としてあげるには流石に不適切ではないかと思う。 (松井)

「イチイヅタは急速に大量発生し、毒を持っていたため数年のうちに在来種の海藻を死滅させ」 (p143)

この書き方だとイチイヅタがアレロパシー(Allelopathy、他感作用)を持っているように読める。だが、イチイヅタの「毒」であるコーレルぺニン(Caulerpenyne)は捕食者(つまり動物)に対する「毒」である。イチイヅタだけ生存能力が高く、結果的に繁殖したと解釈するべき現象である。 (伊藤)

「私たちが子どもの頃を思い返してみると、おもちゃ屋とテレビゲームの関係は現在よりも深かったように思える。」 (p152)

単著であるのでここは「私」でなければならない。読者の年齢などわからないのだから。 (伊藤)

「托卵」 (p153)

はどう考えても「交換」ではなく変異のパターン5「転移」だろう。カッコウが托卵先の巣の卵を落とすかわりに持ち帰り、自分の卵として孵化させて育てていくのであれば「交換」と呼べるが。 (伊藤)

6 交換 (p156–)

「カッコウの托卵も、交換によって適応した進化だ」 (p157)

交換によって適応する、適応した進化、托卵が進化である、と、この文すべての表現に問題があるが、表現はさておき、托卵はBrood Parasiteという片利共生的・寄生的な習性である。寄生であることはこのページでも述べられており、なぜp340の寄生ではなく交換としたのかわからない。 (松井)

「親鳥はその頃になっても、まさか自分の子が偽物だとは気づかない」 (p158)

そういう場合もある。托卵された側の親鳥は、差に気づいてはいるが、それに対する反応を持ち合わせていない場合が多いという研究がある。 (松井)

p158: 言葉の曖昧さが気になる。カッコーの托卵の「交換」と電球の「交換」は交換という言葉でのみつながっていて、メカニズムもなにも違う。変量:10x thinking, 擬態:アイディアは既存のものの組み合わせ, 欠失:10x thinking, TRIZの5. Merging, 増殖:TRIZ 26copying 19periodic action, 分離:TRIZの1.分けよ 2.離せ といった既存のフレームワークの提案を再話して、進化という串で通そうとしているが進化とのアナロジーとしての関連は弱いように思う。 (松井)

「目的は手段よりも常に優先される」 (p161)

この本を貫く哲学と思われる。「進化思考」を提唱するというのが目的であろう。 (伊藤)

「契約書を取り交わして約束を買ったり」 (p162)

「約束」を「契約書」で売る側と買う側がいる、という例が思い浮かばないのだが… (伊藤)

7 分離 (p164–)

p165: 生物進化における「分離」 進化のプロセスの話をしているのだから、単に形質としての分離だけではなく、集団の分離として地理的隔離をはじめとした生殖的隔離を紹介してほしかった。 (松井)

「実は水鳥の体内には二種類の体温を保つ血管が走っていて、脚から上がってくる冷たい血管と、脚に向かう温かい血管が平行に体内を走っている」 (p166)

別に何のことはない。静脈と動脈のことである。もちろんヒトも同じである。 (伊藤)

「その血管同士の熱交換によって血管が凍らないようにできているのだ」 (p166)

著者は対向流熱交換について誤った理解をしていると思われる。鳥は「ワンダーネット」(熱交換の「仕組み」のことではなく、網の目状の毛細血管のことである)での熱交換により、足に向かう血液が持っている熱を無駄にせず、どうせ水温で冷やされてしまう(熱が奪われてしまう)足に温かい血を流し込む前に「足から上がってくる冷たい」血液を温めることで先に使ってしまう。その結果、足に流れる血液ははじめから冷たくなっており、冷たい水温との温度差は少なく、奪われる熱も少なくなる。そして心臓に戻っていく冷たい血液はまた「ワンダーネット」で温められるため、心臓や脳に冷たい血液が流れ込まないようになっている。鳥の命にとって重要なのは足の「血管が凍る」ことを防ぐのではなく、体全体の体温が下がることなのである。 (伊藤)

「膜にほぼ等しい、さまざまな素材でできた分離壁で何層にも包まれている」 (p167)

著者の膜と壁の使い分けが不明である。膜は生物で壁は人工物と言いたいのか?その割にはp165「進化の過程で袋状の分離壁を発達させたのだろう」と書いているので、生物にも壁はあるらしい。厚みのあるものが壁なのか? (伊藤)

「一八九三年にジッパーを発明した」 (p169)

一般名詞である「ファスナー」もしくはウィットコム・L・ジャドソンが特許図に使った「CLASP LOCKER」と書くべきであろう。「Zipper」の語を最初に使ったのは1923年のB.F. Goodrich社とされ、30年も後のことである。「ジッパー」の方がわかりやすい、と言いたいのかもしれないが、「ジッパー」はかつては登録商標だったようである。 (伊藤)

「1 膜の分離」 「2 開口の分離」(p175)

「1 膜」と「2 開口」だけの方がわかりやすいのではないか。特に「開口の分離」は言葉だけ見ると意味不明である。どうしても分離の語を使わなければならないのであれば「1 分離における膜」「2 分離における開口」という感じであろうか。 (伊藤)

8 逆転 (p176–)

p177: 左利きは左右が逆転しており、LGBTは正認識が逆転している…「正常」から逆転しているのではなく、単なるバリエーションだと思う 「進化のために必要なエラー」 LGBTはエラーという立場なのだろうか。確かに「染色体異常」とかも異常・エラーなのかという話はあるとは思う。便宜的なレーベルであるにしても…同性愛が進化的にどんな適応なのか、そもそも適応なのかについては未だに決着していなかったと理解している 左利きに関しては進化的なバランスの結果うまれたもので、協力のためにはみんな同じ利き手がよく、競争のためにはマイノリティの利き手がよいというせめぎあいであるとTED-Edに動画がある。逆転の生物をあげるならハルキゲニアが最もよいのではないだろうか。彼らは何も逆転していないのに、我々が逆に勘違いしまくっていたので。「逆」という感覚そのものが人間の固定観念由来の主観な気がする (松井)

「ネズミと同じ真獣下綱なのに空を飛ぶコウモリも『空飛ぶネズミ』だ」 (p179)

ネズミ目(齧歯目)とコウモリ目(翼手目)は確かに真獣下綱であるが、カンガルーなどの有袋類を除いた、有胎盤哺乳類つまりほとんどの哺乳類が真獣下綱に属している。つまりヒトを含むサル目(霊長目)も同様である。そのためコウモリを「空飛ぶネズミ」だと言うのであれば「空飛ぶヒト」とも「空飛ぶカバ」とも言えてしまうのだ。系統樹的にはコウモリ目はネズミ目よりもネコ目やウマ目の方が近い。 (伊藤)

「アインシュタインは〜ちょっとした矛盾から」 (p184)

ちょっとした矛盾を無視しないことが大切だというのは著者のお墨付き。 (伊藤)

9 融合 (p190–)

「微生物が水平遺伝子の移行によって交配」 (p192)

水平遺伝子とは…遺伝子の水平移動のことか?であっても、交配ではない。交配とは基本的に人為的な有性生殖をさす。微生物を人為的に変異させることは基本的に(最近はもちろんものすごくやっているが)やってこなかったし、有性生殖しない。「微生物が遺伝子の水平伝播によって変異」などか。 (松井)

「細菌層」 (p192)

細菌叢が正しい。レイヤーではなく「くさむら」である。 (伊藤)

「微生物が水平遺伝子の移行によって交配していることが発見された」 (p192)

水平遺伝子、というものはない。何らかの文章で「水平遺伝子移行」という語の並びでも見て誤解したものと想像する。この場合は「水平遺伝子の移行」ではなく「水平な遺伝子移行」と解釈しなければならない。親から子へという世代を経ての遺伝子の伝達が通常であり、これを垂直伝播と呼ぶのに対し、親子関係もないのに侵入などで他の遺伝子が入り込むのが水平伝播である。
また、細かいことではあるが、交配の語は個体間での受精を指すのが通常であり、遺伝子やDNAのレベルでの現象に用いられる語ではない。 (伊藤)

p193: 『遺伝子プールを保つため、DNA遺伝子がそのままたされるような融合はめったに起こらない」遺伝子プールを保つため…?犬と人間が生殖できないのは、両者のDNAの遺伝的距離があまりに大きいせい(生殖的隔離)だと思うが。 (松井)

「融合的な思考から発明された道具」 (p193)

「融合」と「結合」は違うと思うが、そこは受容するとして、「弓矢」は弓と矢を融合したのではなく、矢を飛ばすために弓が発明されたのではないだろうか。これは「融合」とは言わないのではないか。「ペットボトル」は何と何を融合しているのか不明である。まさかPETがポリエチレンテレフタレートとは違うものを意味しているのだろうか…? 「電気こたつ」はp86で「馬がエンジンに「交換」された、あるいは内燃機関と荷車が「融合」した馬車でもあった」という例で挙げているように、炭火から電熱器に熱源を「交換」した例である。馬車の場合には、元々動力である馬と荷車が分離していたのを「融合」したといえるが、こたつは元々熱源のうえにふとんをかぶせるという構造は変わっていないのではじめから「融合」している。 (伊藤)

「ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは」 (p196)

ノーベル賞を受賞したのはもうひとりモーリス・ウィルキンスがいるし、その前にはウィルキンスの同僚ロザリンド・フランクリンがいる。決定的な論文を発表したのは確かにワトソンとクリックだが、決して二人だけの功績ではない。そしてここには「学際融合」を超えた研究倫理が絡むので、融合が無条件によいものであるわけではないという意味で紹介する意義があるのではと私は思う。 (松井)

「郵便馬車を次から次へとつなげるようなことをしても、鉄道は決して生まれてこない」と語る。つまり融合から発想するには、足してもなおシンプルな状態を保つ工夫、すなわち最適化を目指すデザインが不可欠だ。」 (p197)

シュンペーターの郵便馬車の話は、同じものを「増殖」させるのではなく、異質なものを結合することがイノベーションには必要だと言いたいのであろう。それが著者のシンプル云々という見解とどうつながるのか全く理解ができない。 (伊藤)

「進化は、偶然だ」 (p200)

キャッチコピーかなにかか?生物の変異や中立進化はたしかに偶然といってもいいが、文化の変異(特に誘導された変異)、自然選択、バイアスのある伝達は偶然ではない。「あらゆる生物進化は、偶然からはじまる」であればまあ問題ないと思う。進化をはじめとした難しくて巨大な概念を、よくよむと意味のわからない、短くてそれっぽい言葉で断定的に決めつけることに魅力を感じる読者むけの本であることは重々承知しているが…。 (松井)

「無数の変異的挑戦による・・・」 (p200)

「結果を恐れずに偶然に向かおうとする挑戦のパターンそのもの」偶然に向かおうとする挑戦のパターンとはなにものをさすのか理解できている自信がないが、生物の変異は挑戦ではなくエラーである。文化の変異についても、挑戦であるとは限らず、偶然によってうまれたコピーミスだったりする。デザインにおいて新しいアイディアを創造することは挑戦だ!と著者が閃くことは自由に表現していただければと思うが、そのひらめきを説明し正当化するのに変異という学術的な用語を使ってよい妥当性はないと私は思う。 (松井)

「進化は[...]壮大な結果論なのだ」 (p200)

結果論とは、結果がわかってからあとづけで結果のみを根拠に説明することだと思っているのだが、違うのだろうか。進化理論じたいは後付けではないし、適応主義にしても結果のみを根拠にするアプローチではなく、結果をもとに原因まで逆流する推論で、リバースエンジニアリングに近いものだ。 (松井)