Chapter 01

このZenn Bookについて

松井実・伊藤潤
松井実・伊藤潤
2022.08.20に更新

これはなに

これは、2022年6月26日に日本デザイン学会研究発表大会で発表した、太刀川の『進化思考』(太刀川、2021)における記述の科学的妥当性に関する問題点を中心に指摘したリストである(松井、伊藤(2022))。発表スライドはCC 4.0 BY-SAで公開している。スライドに直接コメントもできるのでどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=iFAO_-PSxDI

リストからこのZenn Book形式へのフォーマッティングと出版は松井によって行われた。投稿時から発表にかけていくつか加筆修正した。発表時以降の加筆修正については、各指摘の末尾に付記する。各指摘で登場する引用文は太刀川(2021)からのものである。3章への指摘のみ有料とし、(2022-07-30三章も無料に、購入特典(予定)を別に設定した)太刀川(2021)の投稿時の単行本定価と同額に設定した。筆頭著者(松井 matsui-minoru@aiit.ac.jp)にご連絡くださればMarkdown形式で有料部分をお渡しします。

問題意識(伊藤)

『進化思考』に対する問題意識は松井と伊藤では若干異なっている。
伊藤は当初生物学の視点で批判をするべく読み始めたが、次第に問題の本質はそこではないという結論に至った。
生物学のリテラシーをもたない著者による本であるため、生物学に関する記述は大概誤っている。例えばp107のベイツ型擬態やp143の「キラー海藻」イチイヅタの話やp166の水鳥の「ワンダーネット」、p192の「水平遺伝子」などである。これらは一目でわかる明らかな誤りというわけではないが、「…本当かな?」と思って調べると案の定間違った理解をしている、という感じである。伊藤はこの生物学に関する誤りの数々については「著者は門外漢なのだから仕方がないよね」と思っている。ただし、門外漢が土足で他所様のコミュニティに踏み込んでいるのは良くないだろう。特にデザイナーはそのような姿勢を取るべきではないと思うのだ。

松井は「誰が言ったかではなく、何を言ったかを重視する」、というスタンスであるが、伊藤は「誰が言ったか」を重視する立場を取る。そうしないとこの本は「間違いだらけかつ非論理的なトンデモ本」ということで話が終わってしまう。
筆者はインダストリアルデザイン協会の理事長という立場にある人物である。日本のデザイン界の始祖たちが集って発足したJIDA「インダストリアルデザイナー協会」が69年の歴史をもつその名を「インダストリアルデザイン協会」に改称したが、その理由として、当時の理事長田中一雄は2020.11.20付けの動画「協会名変更に向けて」の中で、「目的」としてJIDAを「活力ある協会へと変革させ」るため、入会資格を拡大し「従来は入会が難しいと考えられていた『リサーチャー』『プランナー』『エンジニア』『プロモーター』『研究者』『教育者』『行政関係者』などの入会を可能と」することを挙げている。だが少なくとも「研究者」は学術的な厳密性のない理論や書物はそもそも歯牙にかけず、またそのような発信をする人物ならびにその人物が長たる団体に信を置くことはないだろう。疑似科学的な『進化思考』を放置することは、「やっぱりデザイナーって学のない人たちだな」と思われ、JIDAならびに日本のデザイン界にとって大きな損失となるおそれがある。そもそもインダストリアルデザイナーの祖、クリストファー・ドレッサー(1834-1904)は植物学の博士号をもつ人物であった。デザイナーは「学のない人たち」であってはならないのだ。

生物学に関する誤りの数々は仕方がないとして、擁護できない大きな問題点を3つ、冒頭に指摘しておく。

  1. 論理の飛躍(例えの不適当さを含む)
  2. 自己矛盾(用語の統一感のない用法を含む)
  3. 勉強不足(ファクトチェックの甘さを含む)

である。それぞれについてもう少し詳しく述べておく。

論理の飛躍

「〇〇は▲▲と似ている」がいつの間にか「〇〇は▲▲だ」になってしまったりしているのがまずい。意図的に飛躍させているのかもしれないが。
「似ている」点を何に見出すかは書き手の自由である。例えば「人間はチンパンジーと似ている」と思ったとしよう。進化を信じていない宗派の人以外からは異議が出なそうである。では「人間は犬と似ている」だろうか。チンパンジーより犬に似ているかと問われればノーと言いたくなるが、哺乳類という点では恐竜よりは似ているだろう。しかし、無生物であるサッカーボールと比べれば「人間は恐竜と似ている」とも言えるだろう。このように「似ている」は相対的な概念である。だが、「人間は恐竜だ」とは言えないのは明らかである。

自己矛盾

以下何ヶ所か指摘するが、特にキーワードの一つであろう「創造性」の使い方が一貫しておらず、理解不能である。おそらくこの点については無自覚なのだろう。勿論、なんとなくは理解できる。だが、読み手にその努力を求めるべきではない。
また、自らが提唱する語の定義とその後の用例が矛盾する例も多い。

勉強不足

勉強不足については、まず致命的なものとして、著者が「変異」として重要視しているであろう概念の1つである「エラー」に対する「解剖」の不適用が挙げられる。少なくともヒューマンエラーに関する研究を参照すべきであろう。
ファクトチェックの甘さについては、編集者ならびにスタッフの責任かもしれない。だが、2015年の佐野研二郎の盗作疑惑騒動でも明らかなように、スタッフのミスの責任は結局はボスの監督責任と見做されるのが世の常である。
もう少し言えば、上記の「 論理の飛躍」と「自己矛盾」の2つも文章を書く基礎の勉強(トレーニング)不足、である。少なくとも大学の卒業論文で指導され体得すべきものである。この『進化思考』の書き振りでは、ちゃんと査読した場合、修士論文はおろか卒業論文としても認められないと思う。書いてある内容(例えるなら素材)の良し悪しではなく、書き方(例えるなら調理法)が悪いのである。普通の指導教官であれば、ここまで懇切丁寧な朱入れをせず、少し読んだら即書き直しを命ずるであろう。

この指摘リストは、酷い文章に対する懇切丁寧な指導という面で、これから卒論を書こうという学生全員にとっては格好の教材ともなろう。

本批判に対する批判の受付

このリストは進化学の初学者によって作成されているので、多数の間違い、勘違いを含んでいる可能性が高い。より正確な知識をお持ちの方で、指摘の間違いを見つけたり、このリストに新たな指摘を追加したい場合は、筆頭著者までご連絡くだされば吟味のうえで反映いたします。その際は、各指摘の末尾に付記している指摘者の欄に修正についての説明とともに追加させていただきます。

例:p58において筆者は地球が丸いと主張しているが、実際は平らである正しい。(松井、xxからの指摘により2022-06-25修正)

間違いや誤解を招きそうな表現の訂正ではなく、単にQOL的な読みやすさの改善や誤字脱字は付記なしで変更する。

指摘は3章に偏っている。2022-04-21時点での指摘文字数の分布。少しデータは古いし、URLは文字数としてカウントしていない。

参考文献

太刀川英輔, 進化思考: 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」. 海土の風 , 英治出版 ( 発売 ), 2021.
松井実, 伊藤潤 (2022) 『進化思考』批判. 日本デザイン学会第69回春季研究発表大会
J.M.W. Turner (c1825) Death on a pale horse. Tate Britain, via Google Arts & Culture