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NVC 会読会の感想を書いてみた
はじめに(自分の関心事)
- NVCの成り立ち・経緯、NVCに対する理解
- 炎上現場・理解困難なコミュニケーションの場・修羅場 [1] に対する他の対応 [2] との共通点・相違点の整理
- アジャイルコーチやスクラムマスターが「正しい」アジャイル・「正しい」スクラムを伝える際に非暴力的に伝えることは本当に可能なのかという根本的な(?)疑問
- ヤジウマ的な好奇心を満たすため
- 読書会の運営方法
やっていること
ちょっと事情があってきちんと参加できるか怪しいし、何よりいろいろわかってないためXP会読会のNVC 会読会 第1回に、まずは聴き専で参加してみた。
1回目がどんな様子だったかは、小泉さんが書いてくれた記事があるので、そちらを参照すると吉かと。
思い浮かべたこと
NVCの成り立ち・源流(7/16 Update)
- M.ローゼンバーグがカール・ロジャースの影響を受けていること・ロージャースの3原則[3]を念頭に置いているように感じた。特に第2章は共感的理解や無条件の肯定的関心を実践しようとしても如何に妨げられるか、何によって妨げられるかの視点で読んでみると理解が深まるようにも感じた。
- 以前、自分が師事しているセラピーの先生が「対話は礼法によって成り立つ。技法にこだわりすぎると礼法がどうしても疎かになる。技法ありきだとどうしても押しつけになる」という話を思い出した[4]
PTMFからみた NVCに対する理解
NVCのプロセスが、最近の関心事である PTMF (Power Threat Mean Framework)
と似ているなぁと思ったので、その視点で整理してみた。
なお、あくまでも、かとう個人の思いつきです(所属する組織・関連する組織。。(略))
- PTMFは必ずしも会話だけに焦点をあてたものではない。が、普段単なるコミュ障と片付けがちな ある局面での会話、ついなかったことにしたくなる、向き合いにくい会話に向き合って見つめ直すきっかけになりそう。PTMFの主な目的は Threat と Threat response とのつながりを取り戻すことにあるから。
- NVCは、アサーティブコミュニケーションや M3.0の feedback warpといった技法ではなく、世界・人の在り方、インド哲学に根差したものととらえたほうがよい気がする。「非暴力」という動物の本能に逆らう部分もあるからいざやってみると難しい。
- やはり「聴く」「話す」をわけることから始めるのが基本のように思える
Open Dialogue(OD) ・ Antipation Dialogue(AD) やプロセスワークとの違い
- NVCには「場」「システム」の概念がない(気がする、あえて除外しているのかもしれない)
- あくまでも発話に限定しているので、OD/ADやプロセスワーク(ワールドワーク)の「場」の中でも使えそう
- 会話の技法という視点では、クリーンランゲージを思い浮かべた。クリーンランゲージはどちらかというと「聴き方」になるのかな。
その他の炎上現場でのコミュニケーションとの対比の視点で
- トムアンデルセンのリフレクティング・プロセスをローゼンバーグがどうとらえていたのかは興味がある
- 「本当のねがい(=必要としているコト)は思考をこえた深い洞察によって得られる(その手段が対話)」という立場は共通のように思える
- 他の本、W.ユーリー「ハーバード流最後までブレない交渉術: 自分を見失わず、本当の望みをかなえる」と言っていることと結構共通するかも
つぎやること
面白かったので引き続き参加してみる。炎上現場でのコミュニケーションでの他の方々の考え方・手法との相違点、共通点、あと参加者の皆さんの関心事の交流ができたらとおもしろいかも。
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例えば、エンカウンターグループ。鋼鉄のシャッター―北アイルランド紛争とエンカウンター・グループを想定。例えば、スクラムの場合、ぬるいアジャイルレトロスペクティブではなくハードな炎上しているアジャイルレトロスペクティブな場合 ↩︎
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例えば、広い意味での OpenDialogue や プロセスワーク(とくにワールドワーク)、アダムカヘンさんの一連の本とか ↩︎
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礼法が大事ということは、以前ダイアローグの基本:聴くこと、その覚え書きで書いた ↩︎
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