ナイーブなデザインの進化4: Evolutionary Theories and Design Practices
はじめに
- 初回は太刀川英輔 (2021) 進化思考,
- 第二回はLongo, G. (2009) Epistemological Turn,
- 第三回はPetroski, H. (1992) The Evolution of Useful Things (未完成)
- 今回はWhyte, J. (2007) Evolutionary theories and design practices を紹介する。
MIT PressのDesign IssuesにはLangrish (2004)[1]というかなりまともな論文がある。今回はLangrishの内容を踏襲しつつ拡張したDesign Issuesの進化論文第二弾、Whyte (2007)[2]を紹介する。この論文じたいの内容はそこまでナイーブではないが、やりたいことの一貫で読んでいるのでこのシリーズに入れる。論文PDFはResearchGateにあった。
Introduction
- Langrishに倣い、
pre-Darwinian
とDarwinian
で分けて議論している。長期間の変化を追う理論的なフレームワークとして有用だが、特定のプロジェクトでは誤解のもととなるとしている。バサラ、ペトロスキー、BijkerやGardiner、Vincenti[3]をあげて「すでに進化論の立場から人工物を論じた例がある」としているし、デザインの理解にもSteadmanがあるとしている。
進化理論の性質
- The Nature of Evolutionary Theories
- 変異と選択はダーウィン理論の根幹だ。進化と進歩は違う。ラマルクの考えとの違い
- variation and selective retentionというDonald Campbellの論文があるらしい。次はこれ読むか…。Campbellの本はC Hayesが訳している
- スペンサー・ラマルクの梯子的・チェイン的理解。Lalandらによる批判が紹介されている
- Langrishはこの進歩的進化観を批判している。Tonkinwiseなど
- pre-Darwinianな規範的視点
prescriptive view
とneo-Darwinianな説明的視点descriptive view
の違いを、生命の樹の違いで説明しようとしている - 前者の代表はヘッケルで、人間が最後にいるが、後者は種よりも分子をもとにした分析であり人間は特別視されないとしている[4]
- 1世紀にわたってダーウィンの考えは改善されてきた。それを次の章で説明する
進化的思考と技術の変化
- Evolutionary Thinking and Technological Change
- 進化経済学がまず紹介されている。平衡理論(でいいのか?
equilibrium models
)に代わり、シュンペーターは資本主義を決して静的にならない経済的変化であるとした - NelsonとWinter (1982)はシュンペータリアンな考えをさらに推し進め、進化経済学とした。しかし進化経済学は厳密にはダーウィン的ではない。ラマルク的な学習した内容・獲得形質の継承があるとしているからだ。進化理論による経済の変化は:組織的なルーチン、そのようなルーチンの評価に関する探索(その変更や交換につながることがある)、そして選択環境だ。選択環境には市場の他のファームや著作権制度ほかさまざまな組織的なコンフィギュレーションだ
- Freeman (1982)も同様に科学に関連する技術の歴史的勃興を加工の技術革新、合成素材、そして電子技術によって説明した。マルクス経済学の考えに影響を受け、色々な技術が次のようなメタファーで説明される:波、パラダイム、そして軌跡(trajectory)だ。コンドラチェフ循環など。この研究もまた厳密には進化学的ではないが、技術的軌跡やpath dependenceやlock-inといった考えは進化的理論づけに関連がみいだせる
経済学の素養がないためよくわからない…
- もっと最近の研究では技術変化の分岐的な性格が強調される。分岐が存在するが、どれが選ばれるかはわからないとする。変異はランダムではないが、レジームやパラダイムによってあらかじめ構造付けられているとする。生成されるプロダクトの選択プロセスに加え、選択環境じたいの変化によって技術、産業構造、そしてそれを支える組織の共進化につながる。Bijker (1995)[5]は試行錯誤のモデルが、技術的発展をゴール・目標指向形として説明しようとするモデルよりも優れていると主張する。しかし、Bijkerは経験的データを進化的に説明する時の二つの問題を指摘している。1. そういった進化的な考えは3層のレイヤーが必要である。問題、解決法、そしてそれに対応する人工物のそれぞれに関して変異と選択を必要とする。2. このような説明が完全にはふさわしくない場合、どうしても人工物に関しては静的な、固定された要素であると考えざるを得ない–変異のプロセスで生成されてから、選択のプロセスに持ち込まれる
ushered in
ものとしてだ
最後のパラグラフがよくわからない。人工物を静的なものとして考えるのは問題の単純化としてじゅうぶん合理的だし、そこまで重要なものを取りこぼしていない気がする。何を気にしているかがわからないがBijkerがなにかを問題だと思っていて、そうだそうだとWhyteが考えていることだけはわかる。読まなければだめそう。
現代的な生物・人類・文化進化の知見
- Contemporary work on biological, human, and cultural evolution
- 進化的な考えを拝借するとき、デザインのコミュニティは進化生物学を「閉じた」、名声の確立した分野であると考えがちだ。デザイン学者はダーウィンやラマルクを習慣的に引用し、たまにドーキンスを引用するくらいだ。しかしそういった分野で実際に活動している研究者にとって進化生物学は太古からの論争が続いており、知識水準は進化しつづけている。近代的な進化生物学は遺伝子、表現型、集団に興味があるが、ダーウィンは有機体、種分化、そして個体に興味があった
- 人間社会生物学はある意味、他の流派の先駆者だ。非常に重要な進化的なコンセプトである互恵的利他主義がコアにある。人間社会生物学の進展を追うように人間行動生態学
human behavioral ecology
と進化心理学は人間行動のダイナミクスに焦点をあてる。文化によりフォーカスをあてているのがミメティクスmemetics
と遺伝子-文化共進化gene-culture coevolution
だ。「ニッチ構築」niche construction
という考えを用いて、生物の行動や意思決定、そしてメタボリックプロセスを通じて自らのニッチを定義したり、選んだり、改変したり、部分的に創り出すのだ
最初の段落でふつうにevolving knowledge-baseと進歩の意味でevolveを使っていてさすがにどうかと思う。表1に人間社会生物学?human socio-biology
が聞いたことないしhuman behavioral ecologyも「数学的なモデルで最適な人間の行動を計算する」などとあり、分野を知らないのでわからないが、ほんとう?というのが正直な感想だ。このあたりはLaland & Brown (2002)を読むしかなさそう。ニッチ構築に至っては「本を読んだからかいておきたい」くらいの勢いしか感じない。これが流派・分野間の差異を理解するのにどう役立つのかがわからない。
文化進化と技術進化の理論を比較する
- 一文目が意味不明瞭のため飛ばす。文化進化や人類の進化、技術進化の理論は似ている。共通点は世代をまたぐ伝達のメカニズム、そして環境との関係および共進化にまつわるものだ
- たとえば、
ミーム
と、組織がそのナレッジを記号化encode
したり再利用する際に使われるルーチン
の考え方は類似している。技術的変化の研究者は両方のコンセプトを用いるが、最近増えているデザインの進化に関する文献では前者が人気だ。ミームは伝染的であるのに対し、ルーチンは組織の強みcapabilities
のコアを成すものであると捉えられ、外部への伝達の方法ではなくむしろ内部での知識の複製の方法であるとする - 近代的な技術においては選択環境が技術的な軌跡から完全に独立であるという仮定を起きにくいということが言われている。それゆえに進化的なアナロジーには限界があるとする者もいる。いっぽう、共進化は遺伝子-文化共進化の文脈において生物学でも注目されてきているし、技術と組織の共進化も注目されてきている。たとえば、フランスの印象派は、アートにおける「高品質」を大きく変革させることに成功した。アカデミーに所属するアーティストによる評価から独立評論家による評価への選択環境の変化によってこのような変革が説明できる。ニッチ構築は環境的持続性を確保するために代替的な技術的軌跡をつくりだす介入方法として探求されている
- しかし、産業化と複雑な技術的システムの扱いに関しては面白い差異がうまれてくる。人間や文化進化は西洋化されていない先史的な社会を対象にすることが多い。進化経済学や科学的な社会学
sopciology of science traditions
においては、産業化以後の社会に進化的思考を適用する。さらには複雑な技術的システムにも応用しようとしているのだ
最後のパラグラフは非常にベーシックだが私は「文化進化はモダンなものにもいちおう適用できるな、面白いな」くらいにしか考えておらず、改めて考えてみると非常に重要な指摘だと感じた。たしかに文化進化は産業化以後の急速な技術的進歩についてあまり扱ってこなかった(とはいえ、最近急速に増えているためこの指摘は全然あたらないかもしれない。Acerbiの本など)。世代間での情報のやりとりに主眼がおかれ、それに加えて斜めや水平の伝達が議論される。いまや親→子への伝達よりも先輩→後輩、上司→部下、そしてOSSのようなコミュニティ内での多数のデザイナーによる頻繁な更新まで、文化形質・情報・技術の伝達のされ方も変異の生じ方も異なるため、ある程度はそのまま適用できても、先史時代とデジタル時代をつなぐなにか理論的な補強が必要だと思う。Missing linkというかmissing pieceというか…。
進化理論の応用と限界
- デザインの実務の経験的なエビデンスと進化理論は整合するのだろうか?デザインの実務を説明するのに有用だろうか?応用の限界はどこだろうか?現実世界の実務的デザインの演繹的研究はデザインの理解を大いに助けており、新たな疑問をうんできた。プロトコル分析、デザイナーへのインタビュー、歴史的そしてエスノグラフィックな研究手法が商業的なデザインの実務の解明に用いられてきた。こういった研究は、さまざまなデザインの領域におけるデザインという行為の性質に関して重要な疑問をなげかけてきた
- 進化的理論は一連の新たなツールをそこに提供するが、最も熱心な支持者ですら限界や異論を唱えている部分がいくつかある。そのひとつは、分析の単位だ
- 生物進化の考えを技術に適用しようとすると、あらゆる原理で困ったことになるとConstant (2000)[6]はしている。何が進化するのか明確でなく、「選択」がそもそも起きているのか、何が原因で起きているのか、そしてどのレベルで?と。ミームやルーチンのような考えは進化的なストーリーテリングに過ぎないと批判されている。これらはリサーチの枠内で「実働
operationalize
」させるのが難しく、実験的な研究につながっているわけでもないのだ - Bijker (1995)による批判は、技術を固定の存在とみなしていることについてだ。またCampbell (2000)はダーウィンも指摘した、進化的説明をするにじゅうぶんな集団サイズがあるかという点について指摘する。つまり、ある程度の集団サイズがないと実証的な検証の足がかりにならないということだ
ここのCampbellの引用は意味がわからなかったが、要するに政府の機関よりも近所のランドリーのほうが数も多いし(競争が激しく)死亡率も高いので、選択が働いていると考えやすい、みたいなことなのだろう。
- あるプロジェクトのレイヤーでは、ドローイングの形でマテリアルと会話するのがデザイナーのしごとだ。エキスパートはノービスよりも効果的なデザイン戦略を採用することが知られている。デザインはデザインプロセスをへてだんだんと変化していく。コンピューターによる進化的デザインの研究は多いが、人間デザイナーの乱雑なやりかたとは似ても似つかず、このレイヤーにおいては進化的アプローチが実際の現象の解明に役立ちそうにない
- デザインファミリーというアイディアを導入したのはGardiner (1985)だ。自動車や航空機デザインが似た構成になっているいっぽうで、特定のマーケットに応えるべく微調整されていることを説明するのに使われた。進化理論はこういったものを説明するには有用に思える。デザインファミリーの可視化は、すでにある技術の歴史的な進展を深堀り
interrogate
するには有用であると提案したい - しかし、現代の生物学においても異なる遺伝子を用いれば異なる生命の樹が描写できてしまうのと同様に、異なるアイディアをもとにすれば異なるデザインファミリーが仮定
postulate
できてしまうだろう。たとえば、建築のような複雑なデザインを分析する際は、持続的な開発や屋根のデザインなどさまざまな因果のリンクを見つけ出すだろう
散文としての印象が強い。パラグラフどうしが論としてつながらず、転がっていかない。これを調べた、あれを調べた、こんなことが書いてあったという寄せ集めになってしまっていて、「だからどうした」の部分がどうも弱いように思った。可視化が云々、の話も系統樹の話をださないのはリサーチ不足としか思えない。それとも2007年時点ではろくな文化系統樹研究がなかったのだろうか。
結論と含意
- 進化理論によって、デザインの研究を問い直し拡張することができる[7]。Laland & Brownは進化理論の実証可能な仮説生成能力をあげている。しかし、理論的なメカニズムが実際に存在しているかを確認する必要がある
- 特定のプロジェクト内で変異と選択の考えを適用するのはミスリーディングである。何が差異で何が選択されているか–知識なのかデザインなのか、部分組立品
sub-assembly
なのか他のなにかなのか–が明確でないためだ。エキスパートデザイナーの多めに変異を作り出して競争させ、最も適しているものを選び取る、という実務はかんたんには説明できない。そのため、変異と選択はもっと長期的なデザインファミリーの変化を理解するための理論的なレンズとしては有用であると主張したい。またサンプルサイズも大きいことが多い。しかし、進化的な現象は、産業化以後ではなく産業化以前の社会において、また建築やインフラなど複雑なものではなく機械などを追跡のにむいているだろう - 技術進化がダーウィン的かラマルク的かについては論争がある。学習はいくつもの進化的な技術理解において取り入れられている考えだ。しかし、ここで引用した文献をみると進化理論の進展を示している。進化生物学が進展するように、パス依存
path dependence
や技術的軌跡technological trajectory
、デザインファミリーdesign families
のようなアイディアによって人工物に関する理解も変容してきている - イノベーティブな製品がデザインファミリーをまたいで開発されるメカニズムを理解するためのさらなる研究に、進化理論は有用だろう。その応用可能性や限界についての理解は始まったばかりだ!
間違ったことはあんまり言っていないが大して有用なことも言っていない、正直退屈な論文であった。ただし、文化進化が先史時代に目が向いている、というのはそのとおりだと思う。Modern cultural evolutionが必要とされているのではないだろうか。
Whyte (2007)はThe first of the two famous papersで、学習内容のまとめといえる。
-
Langrish, J. Z. (2004) Darwinian Design: The Memetic Evolution of Design Ideas. Design Issues 20(4) 4–19. ↩︎
-
Whyte, J. (2007) )Evolutionary theories and design practices. Design Issues, 23, 46–54 ↩︎
-
この3人は知らなかった、読まねば・・・・・・ ↩︎
-
ちょっと適当な説明だ ↩︎
-
Bijker, W. E. (1995) Of Bicycles, Bakelites, and Bulbs. MIT Press ↩︎
-
Edward Constant, II, “Recursive Practice and the Evolution of Technological Knowledge” in Technological Innovation as an Evolutionary Process, John Ziman, ed. (Cambridge: Cambridge University Press, 2000), 219 ↩︎
-
その後の文意味わからず ↩︎
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