燃え尽き症候群を防ぐ開発組織
昔ながらの燃え尽き症候群
燃え尽き症候群(バーンアウト)という言葉は、多くのソフトウェアエンジニアにとっても馴染みのある言葉かもしれない。これまで活力に溢れていた人が、あるときを境に無気力となり、仕事への意欲を削がれ、ついには会社を離れていく。そのような問題に、これまで多くの人が気を払ってきた。
燃え尽き症候群と言って最初に想像するのは、働きすぎによる燃え尽きであろう。働きすぎによる燃え尽きは、トレイシー・キダーによる傑作ノンフィクション『超マシン誕生』にも描かれている。同書はデータゼネラル社のハードウェアエンジニアであるトム・ウエストを主人公に、革新的なミニコンピュータ、Eclipse MV/8000の開発経緯を活写している。ウエストは厳しい制約のなかでその開発を推し進めるため、開発チームを世間から隔離して昼夜を問わず働かせ、ウエスト自身も猛烈に働いた。その結果、MV/8000は商業的な成功を収めるのだが、完成から間もなくしてチームメンバーのほとんどが虚脱状態に陥り、会社を去ってしまうのであった[1]。
このようなエンジニアの献身と自己犠牲は感動を呼び、同書は1982年のピューリッツァー賞に輝くこととなった。しかし現代のソフトウェア開発現場において、このような燃え尽きは許されないことである。ソフトウェアには完成ということがなく、終わりなき改善と安定した運用を求められるからだ。それゆえに、これまでも多くの人が、長く働くことを美徳とする価値観に警鐘を鳴らしてきた。たとえばソフトウェア工学者のトム・デマルコらは、皮肉めいて次にように語る。
この種の企業文化では、死に物狂いに急ぐことと効率良く成果をあげることが同一視される。このような組織にいたら、中毒にならずにいるのは難しい。切迫感があることがよしとされる。ばかみたいに短い納期に間に合わせようと徹夜で仕事をするプログラマーがもてはやされる(完成品の出来は関係ない)[2]。
現在のソフトウェア開発においては、デマルコのような考え方は広く浸透しており、猛烈に働くことを良しする現場は稀である。もちろん開発現場によって差はあるし、厳しいビジネス環境の中では火急となる開発要件も少なくない。しかしそのような場合においても、できるかぎりは働きすぎを避け、燃え尽きを防ごうと心がけるのが普通であろう。
そうなると、燃え尽き症候群の心配は今では無くなったと言えるのか。決してそうではないのだ。実際多くのエンジニアにとって、猛烈に働いているわけではないのにも関わらず、突然に仕事に対する意欲を失ったり、無気力になったり、仕事の愚痴ばかりが口から漏れてしまう、そのような経験があるのではないか。それこそが、現在における燃え尽き症候群の兆候なのだ。
あたらしい燃え尽き症候群
飲み会を開けば上司や同僚への陰口で盛り上がる。仕事中はなるべく労力をかけず、手をぬく機会を伺っている。同僚が困っていても手を貸すことは無く、かえってその失敗をあげつらう。そのような人と一緒に働いたり、あなた自身がそうであった経験があるかもしれない。このような人々に対して、ビジネスリーダーたちが厳しい態度をとってきたことは驚くにあたらない。そして、前向きに働こうと呼びかける。
不満、冷笑、嫌味は誰の助けにもならないし、(中略)代わりに、上手くいっていること、改善されていること、一緒に働くとできることを伝えよう。不都合な真実も隠さず、ユーモアを使って雰囲気を和らげよう[3]。
もちろん、厳しい状況のなかでも現実の課題に立ち向かい、前向きであろうとする姿勢は好ましいことである。しかし、攻撃的であったり冷笑的であったりすることが、燃え尽き症候群に陥った人に広く見られる傾向であるとしたらどうだろう。そして、己の感情を抑えて前向きに振る舞うことこそが、燃え尽き症候群を深刻化させているとしたらどうだろうか。神学者のジョナサン・マレシックは、自身が燃え尽き症候群に陥ったことを次のように振り返る。
私の場合は、目的──学び、教え、学者仲間のコミュニティに貢献するという目的──を達成するため自分のキャリアに邁進したが、その結果、疲弊し、冷笑的になり、絶望し、そうこうするうちに当初の目的を達成する力が削がれてしまったのだ[4]。
もちろん、元から攻撃的な人はいるし冷笑的な人もいる。はじめから仕事に意欲をもてない人もいるだろう。とはいえ、それまでは夢を抱き、熱心に仕事に打ち込んでいたのにも関わらず、次第にそうなる人も多いのだ。そして、これこそがあたらしい燃え尽き症候群なのである。だとしたら、攻撃的な人や冷笑的な人に対して、疎んで交遊を避けたり、やりがいのある仕事をわざと与えないようにしたり、解雇すれば済むわけではないことがわかってくる。つまり、燃え尽きは組織の問題でもあるのだ。では、なぜ人はこのように燃え尽きてしまうだろうか?
人はなぜ燃え尽きるのか
まずはじめに、燃え尽き症候群(バーンアウト)とは何かを明らかにしていこう。燃え尽き症候群を初めて学術論文に取り上げたと言われるのが、心理学者のハーバート・フロイデンバーガーである。彼が1974年に発表した定義は次のようなものだ。
辞書的な意味で言えば、バーンアウトという言葉は、エネルギー、力、あるいは資源を使い果たした結果、衰え、疲れはて、消耗してしまったことを意味する。…中略…実際のところ、バーンアウトは、人によりその症状も程度も異なる[5]。
これを受けて、燃え尽き症候群の定量的な尺度化に取り組んだのが社会心理学者のクリスティーナ・マスラックであった。マスラックの研究によれば、燃え尽き症候群の症状は「情緒的消耗感」「脱人格化」「個人的達成感の低下」の3つに大別できるという。この分類は、現在の燃え尽き症候群研究におけるスタンダードとなっており、本論でもそれを踏まえて議論を進めていく。
さて、人はなぜ燃え尽きるのか。その原因は多様である。そのため一律の基準を示すことはできないが、おおまかに、近年の主要な関心ごととなっている3つの傾向を見ていこう。
能力主義
やればできる。努力は必ず報われる。こういった励ましの言葉が、いたるところで響き渡っている。しかし現実には、努力しても成功できる人は稀であり、これらの美辞麗句は、努力しても成功できなかった人々を傷つけてきた。倫理学者のマイケル・サンデルは次のように指摘する。
懸命に働くすべての人が成功を期待できるとすれば、成功できない人は自業自得だと考えるしかないし、他人の助けを頼むことも難しくなる。これが能力主義の過酷な側面だ[6]。
あらゆる仕事には向き不向きがあるし、状況によっても「役立つ」能力は異なってくる。だから、長く懸命に働いたとしても、満足な成果が上がらない人が少なくないことは不思議ではないはずだ。しかし成果が出ないとき、努力を怠っていることが原因だと見做されるのが現状なのである。自らの努力が否定されるとき、人は燃え尽きる。能力主義はその大きな要因だと言えるだろう。
パフォーマンス測定
能力主義の傾向を助長しているのがパフォーマンス測定の流行だ。現在では数多くの企業においてパフォーマンス測定が行われており、たとえばOKR(Objectives and key results)はその主要なツールとして広く用いられている。目標を定め、その進捗を測ることにより、個々人の成長を支援するのだ。とはいえ、パフォーマンス測定には良くない結果をもたらすときもある。それは、パフォーマンス測定が人事評価に直結する場合だ。Google社の人事を担ってきたプラサド・セティは次のように語る。
昔ながらの業績管理システムは大きな誤りを犯しています。完全に切り離すべき2つのこと、つまり業績評価と人材育成を結びつけてしまうのです[7]。
また、会社が求めるパフォーマンス測定の項目が、個々人の価値観と合致しているとも限らない。たとえばエンジニアが抱えるジレンマには「速度と品質のどちらを優先するか」「コストと安全性のどちらを優先するか」といったものがあるが、その片方がパフォーマンス測定の項目として示されたとしても、もう一方を軽んじて良いわけではない。しかし、パフォーマンス測定が人事評価に直結する場合、エンジニアは難しい判断を求められることとなる。
プロフェッショナルは自らの職業倫理や判断と矛盾する可能性のある目標の強制を不快に思う傾向があり、このために士気が低下する[8]。
このようにして、会社と個人の価値観の違いに苛まれたり、画一化された評価項目により脱人格化されると、人の心は燃え尽きてしまう。
感情労働
燃え尽き症候群の研究が早くから進められてきた職域に、対人サービス業がある。たとえば看護師や介護士、客室乗務員、コールセンターのオペレーター、小売店の店員などだ。彼らは常に、自らの感情を抑え、明るく丁寧に振る舞うことを要求されている。このように「心」を酷使する労働を「感情労働」と言う。そしてかねてより、感情労働者の精神疾患が数多く報告されてきた。
クレーム対応などで相手に度重なる感情労働を行使した結果、過度のストレスによる精神的疲労や精神的負担が増し、メンタルヘルスに大きな影響をもたらすことが懸念されます[9]。
だからこそ、先に述べたように、「己の感情を抑えて前向きに振る舞う」ことがその人自身の心を蝕んだとしても驚くことはない。そして現代の開発現場は、ますます感情のコントロールを要求している。職責が求める人格に徹しながら、それがいつまでも報われないとすれば、やがて人は燃え尽きてしまうだろう。
いかにして燃え尽きを防ぐのか
これまで燃え尽き症候群の多様な要因に目を向けてきた。では、それをどのように防ぐことができるのかを考えていこう。残念ながら、燃え尽き症候群を防ぐ確実な手立ては存在しない。フロイデンバーガーが述べたように「人によりその症状も程度も異なる」からだ。だが、いくつかの取り組みによってそれを抑えることはできるだろう。
小さな成功に目を向ける
消極的なようだが、期待値を下げるというのは現実的な選択だ。実際、一人の力は小さいものである。そこで組織論者のガレス・モーガンが提唱した「15%ソリューション」という概念が参考になる。
人は自分の働き方や環境の85%以上をコントロールできないという前提に立ち、コントロールできる15%の方に焦点を当てるというものだ。これはモチベーションを高めるだけでなく、組織文化や既存の階層、厳格な手順など85%のコントロールを難しくしている壁にとらわれず、改善を小さく保つ。誰もが自分で変えられ、機会があるところから始めれば、それぞれの15%の変化が雪だるま式に合わさり、組織全体の大きな変化となるだろう[10]。
期待と現実が釣り合わない。努力しても見返りがない。そのようなときに人は燃え尽きる。だからこそ、開発組織としても個々人の小さな成功を見逃してはならない。広く用いられる振り返りの手法であるKPT(Keep, Problem, Try)においても、良かったことを振り返る「Keep」の時間は軽んじられがちだ。しかしそこにこそ、人の努力を認め、燃え尽きを防ぐ力が備わっているのである。
アウトプットを促す
これまた消極的に見えるかもしれないが、社内で努力が認められないとすれば、社外で認められる場所を探すのも一案だろう。実際、企業活動には優先度があるから、個々人の野心と不調和があったとしてもしかたのないことである。大切なのは、その不調和を重く捉えすぎないことだろう。テクノロジーの進歩とビジネス環境の変化は目まぐるしく、物事の優先度はすぐに変わってしまうからだ。
だからこそ、個々人が重視する価値観があるのであれば、社外にアウトプットすることで、社内では得られない承認を得てモチベーションを新たにすることができる。Windows95のソフトウェアアーキテクトを務めたことで知られるエンジニアの中島聡は次のように述べる。
せっかく良い仕事をしていても、誰にも知られていない人はたくさんいます。いくら実績は素晴らしくても、残念ながら彼らのパーソナルブランドは高いとは言えません。
何が違いを分けるのかというと、要は大衆に向けてアウトプットすることなのです。言い方を変えれば、アウトプットしていないとどれだけいいものを作っても、やがては埋もれてしまうのです[11]。
ブログを書けば「いいね」を得られたり、同好の士からフィードバックを受けたり、イベントに呼ばれたり、評価が無かったとしても積み上がった原稿量そのものが自信に繋がるかもしれない。このような小さな承認が、燃え尽きを防ぐのだ。だから、開発組織としてもアウトプットを積極的に支援しよう。損はないはずだ。むしろ個々人の名声が高まれば、組織の名声もおまけに付いてくる。
人として向き合い人として承認する
最後になるが、これが最も根本的で最も重要なことだ。人を人として扱うことである。
あたりまえのようだが、ビジネスの現場では「高い成果」を上げることが求められる。そして一度「高い成果」を成し遂げても、その次は「もっと高い成果」を求められるのだ。この要求に終わりは無い。このようなことを続けていると、自分が歯車の一部のようだと感じたとしても無理はない。カール・マルクスは古典的な著作のなかで「人間疎外」について語っているが、それは企業の利潤追求の末に、労働者が人間らしい営みから疎外されてしまうことであった。これが燃え尽き症候群の主要な症状である「脱人格化」を呼び起こすのだ。実際「人材(human resources)」という言葉は広く使われているが、これほど人間疎外を端的に表している言葉はない。ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは次のように指摘する。
人間がそのために挑発され、用立てられる場合には、人間も、むしろ自然よりいっそう根源的に、用象に属すのではないか?人的資源、臨床例といった広く流布している言い方はこれの証拠である[12]。
人は会社に属したとしても、会社の歯車ではない。だから、人に人として向き合うことはすべての出発点である。もちろん、誰とでも友達になれと言っているわけではないし、己の感情を抑えて振る舞う必要もない。人の努力を応援し、人の悩みに共感し、人の成功を祝おう。人の良いところに敬意を示そう。それで全ての燃え尽き症候群が防げるとは限らないが、その一歩を踏み出すことができる。
-
トレイシー・キダー 著, 糸川洋 訳『超マシン誕生 新訳・新装版』2010, 日経BP ↩︎
-
トム・デマルコ, ピーター・フルシュカ, ティム・リスター, スティーブ・マクメナミン , ジェームズ・ロバートソン, スザンヌ・ロバートソン 著, 伊豆原 弓 訳『アドレナリンジャンキー プロジェクトの現在と未来を映す86パターン』2009, 日経BP, pp2 ↩︎
-
Christiaan Verwijs, Johannes Schartau, Barry Overeem 著, 木村 卓央, 高江洲 睦, 水野 正隆 訳『ゾンビスクラムサバイバルガイド』2022, 丸善出版, pp12 ↩︎
-
ジョナサン・マレシック 著, 吉嶺 英美 訳『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』2023, 青土社, pp31 ↩︎
-
久保 真人 著『バーンアウトの心理学 燃え尽き症候群とは』2004, サイエンス社, pp21-22 ↩︎
-
マイケル・サンデル 著, 鬼澤 忍 訳『実力も運のうち 能力主義は正義か? (ハヤカワ文庫NF)』2023, 早川書房, pp138 ↩︎
-
ラズロ・ボック 著, 鬼澤 忍, 矢羽野 薫 訳『ワーク・ルールズ! ―君の生き方とリーダーシップを変える』2015, 東洋経済新報社, pp274 ↩︎
-
ジェリー・Z・ミュラー 著, 松本 裕 訳『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』2019, みすず書房, pp19 ↩︎
-
田村 尚子 訳『感情労働マネジメント 対人サービスで働く人々の組織的支援』2018, 生産性出版, pp20-21 ↩︎
-
Christiaan Verwijs, Johannes Schartau, Barry Overeem 著, 前掲書, pp192 ↩︎
-
中島 聡 著『結局、人生はアウトプットで決まる 自分の価値を最大化する武器としての勉強術』2018, 実務教育出版, pp22 ↩︎
-
マルティン・ハイデッガー 著, 関口 浩 訳『技術への問い (平凡社ライブラリー)』2013, 平凡社, pp32 を元に、文脈に合わせて文面を一部書き換えた。 ↩︎
Discussion