「哲学」はUMLで考えると面白い vol.06 〜 アウグスティヌス1 - 「悪」とは何か?
はじめに
「「哲学」をUMLで考えると面白い」。今回からは、中世哲学にはいっていきます。
まず、アウグスティヌス(Augustine)を取り上げます。
アウグスティヌスは、354年に現在のアルジェリアにあたるタガステという町で生まれました。
アウグスティヌスといえば、キリスト教の教義を確立し、多くの人々によって聖人として崇められています。しかし、若い頃は放縦な生活を送っていたようです。
16歳の頃は、友達と近くの農園から梨を大量に盗みました。また、17歳になると、ある女性と知り合い、同棲生活を開始し、未婚のまま子供も授かりました。
アウグスティヌス自身、「肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた」と回想しています。彼はまた、マニ教や新プラトン主義に興味を持つなど、様々な哲学や宗教的な思想に触れてきました。そして、32歳の時、彼はキリスト教に回心し、洗礼を受けました。
彼がどうすることもできない欲望と向き合ってきた経験が、後に1000年以上続くキリスト教の基礎的な教義を構築する能力をもたらしたのではないでしょうか?
つまり、彼は人間の弱さを肯定しつつ、その克服の道を示す教義を確立することができたのです。
アウグスティヌスの「悪」についての考え方
以下のような疑問に対するアウグスティヌスの答えをみていきましょう。
「神が全知全能であるならば、この世に悪は存在しないはず。しかし、明らかに悪は存在する。これはどういうことなのか?」
アウグスティヌスは、善と悪という、それぞれの実体が存在すると考えるから、このようなジレンマに陥るものと考えました。彼も一時は傾倒したマニ教の教えは、この善悪二元論的な考えになります。
このような考えをUMLのクラス図、オブジェクト図で表現すると以下のようになるでしょうか。
善人とは、「善」を持っている人。悪人とは、「悪」を持っている人。単純化するとこのような考えです。そして、すべての創造物である「神」は、「悪」も「善」を造ったことになる。全知全能である神がなぜ、「悪」など造ったのか?という疑問が残るのですね。
しかし、アウグスティヌスは、「悪」というもの自体が存在するわけではないと考えました。彼によれば、「悪」とは「善の欠如」と定義されます。つまり、「悪」という独立した実体は存在しないと彼は主張しました。なるほど、そういった考え方からすると、全知全能の神が「悪」を創造したわけではありません。ですが、なぜ「善の欠如」という状態が成立するのでしょうか?
それは、神が人間に「自由意志(free will)」を授けたためです。つまり、人間には「自由意志」があり、それによって「善の欠如」という状態に陥る可能性があるというわけです。
この考え方を、クラス図やオブジェクト図で表現してみましょう。
ここでは、悪人とは「悪」を持っている人ではなく、「善」が欠如した人のことを言うのです。
そして、このような状況が成立するのは、人間が「自由意志」を持っているからなのです。
参考文献
「ともしび 第815号」
※ アウグスティヌスの「悪事」について参考にさせていただきました。※ 本連載を書くきっかけになった書籍。
※ 非常にわかりやすく、かつイラストを使って哲学の概念を説明している。
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