新卒で「ベンチャー」に入って良かったこと
はじめに
20年弱勤めた「ベンチャー」だった会社を退職します。創業者は、天職を見つけるには「創業者が生きていて社会に対してチャレンジングなことをやっている、難しい仕事に挑戦できる、優秀な人が働いている」会社に入れということを奨めているようなので、自身の経験からそれを実践してみてよかったことを書いてみます。ベンチャーとは、今どきの界隈では「スタートアップ」ともおよそ通じたものでしょうか。私自身の1/1の結果なので再現性があるかわかりませんが、参考になれば嬉しいです。
新卒でベンチャーに入って20年弱勤めてみて良かったこと
LAN線 (すら) を自分で作ることを経験できた
入社して直後、始めて行った作業は「自分のPCにつなげるLAN線を自分で作る」でした。
今どきの感想を単刀直入に言えば「なぜLAN線くらい用意できてないの?」なのですが、スタートアップ期とは下手したら事務所すらあれば良い方で、LAN線をつなぐとかはもとより掃除、郵便物の受け取りなども自己責任だったりする時代はもちろんありますよね。
例えるなら「千と千尋の神隠し」の「ここで働かせてください!」なのです
馬鹿なおしゃべりはやめとくれ。そんなひょろひょろに何が出来るのさ。ここはね、人間の来るところじゃないんだ。八百万の神様達が疲れをいやしに来るお湯屋なんだよ。それなのにおまえの親はなんだい?お客さまの食べ物を豚のように食い散らして。当然の報いさ。おまえも元の世界には戻れないよ。
幸い湯婆婆は居ませんでしたが、およそ同じマインドセットを植え付けられたように思います。
自分たちより高いビルをいつも見上げることができた
子供の頃に東京の摩天楼を見て漠然と「カッコイイな~」と思ったことがあります。自分の入社した当時、会社は目で見て数えられるような程度の階層の普通のビルに入居していました。周りにはホカベン屋があったり普通のコンビニがあったりラーメン屋、居酒屋、最低限お仕事をするのに移動もしやすく社会人生活をスタートするのに申し分ないなあという印象でした。
その後移転や部署単位での引っ越しは何度か経験するのですが、周りのビルを見上げながらいつも思うのは、子供の頃と同じ気持ちで、「よーし、でっかくなって頑張るぞー」です。ずっと童心でいられたのは幸運です。
たくさん失敗できた
ベンチャーは失敗するのが当たり前のようなところがあるので、私個人としても沢山失敗できました。その最大の失敗、私が人と仲良くなりたいときに披露するエピソードの一つに、「入社2年目で、座席を自ら移動させてしまってチームを異動してしまった」という厄介者エピソードがあります。笑
入社数年、開発者どころか社会人としても経験数年の者が、あろうことか仕事に不満をもったかと思いきや我慢ならず勝手にお仕事を畳んで隣の部署に異動してしまう。自分が上司や先輩の立場だったらそうとう骨の折れる部下です。もちろん異動してからは歯を食いしばる覚悟を持てたわけで、「成長」というのはこのとき一番できたかなという自覚はあります。そしてこれが本当に、異動として、笑い話として許されるのもベンチャーだったからなのだろうとおもいます。
社長秘書さんと仲良くなれた
仕事として辛いことばかりではありません。どちらかというと楽しいことのほうが多いです。その一つに、部署間やチーム間に壁がなかったことがあります。入社1年目、秘書室は自分のワークスペースの目と鼻の先だったので、時折息抜きに訪れることもできました。秘書さんから漫画を貸してもらうなど部活動のような気分に浸ったこともあります。
上司と部下というよりは単なる先輩後輩、馴れ合いではなく付かず離れず、良い距離感の、尊敬できる人間関係を社会人生活初期に早々に学ぶことができたのは非常にお得でした。
海外赴任を経験できた
最も貴重な経験です。会社がどんどん大きくなっていく中で、海外進出や、多言語対応の製品アップグレードをすることになります。英語が得意だとかいうことは全くに等しくありませんでしたが、「こいつは海外でも死ななそう」という理由でアサインしていただくことができました。実際住んでみるとそれが大げさでもなんでも無く「死ななそう」というのは最も大事な性質の一つであることも身につまされます。仕事だけでなく一切の生活に至るまで、ただの海外旅行とは全く異なるメンタリティの大事さ、そして世界の広さ、楽しさを味わうことができました。自分とは異なる価値観に触れる中で、妊娠や出産を経るのも素敵だなとか、自分ごととしてそれを受け入れることができたのもこの経験があるからだと思います。笑
会社が大きくなっていく様子を目の当たりにできた
会社が大きくなるとは、社員の人数が増えるということです。それは同時に自分と異なる力を持つメンバー、自分にできないことができるメンバー、自分より若くて新しい考え方をもつメンバーと沢山接することができるということです。
特に出産を経て、時間に制約を持って働く中で、「自分にはできないことができるチームメンバー」が、どうしたら最高に心地よく働けるかを学ぶことができました。過去のがむしゃらな経験があったからこそ、これもアリだな、というマインドに思い切ってシフトできたと思います。
同僚たちが会社から去る様子をポジティブに見られた
同僚のいわゆる「卒業」も何度と無く経験できました。ベンチャーならではの考え方の柔軟性なのでしょうか、いずれのときも彼らの門出を祝いながら、新たな彼らの目標を応援することが常にできた気がします。単なる偶然ですが、会社が分社する経験もでき、会社という生き物の一つの節目を眺めることができたわけで、そういう意味でも誰かの人生を追体験できたかのような、とても良い経験になりました。
自分で生き抜く決断ができた
色々ありましたが、「創業者が生きていて社会に対してチャレンジングなことをやっている、難しい仕事に挑戦できる、優秀な人が働いている」会社で最も良かったのは、開発者としても、一個人としても、自分で生き抜く力を得られたことです。
冒頭に湯婆婆のセリフを上げましたが
当然の報いさ。おまえも元の世界には戻れないよ。
私は20年弱、元の世界に戻れませんでした。笑 20年弱湯屋を経験して、ようやく自分も生き抜く力を見いだせたのかなあなどと感じています!
参考
いま現在の会社は「スタートアップ」だとか「ベンチャー」だとかいうフェーズとはすでに違うと感じて接しています。人間に例えるならすでに成長した大人でしょうか。対等に尊敬を抱ける存在なのだとおもいます。
その良し悪しはここでは書くつもりはありません。常識的に考えれば常に自転車操業、モラルギリギリのところを常に攻めざるを得ないベンチャーよりも、成熟した会社が良い部分とは言わずもがな、たくさんあります。とはいえまずはフラットに過去の2000年代から2010年代までの昔話として、これからスタートアップを目指す方の参考になれば嬉しいです。
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