「毎回自分の意見が通ってしまう」時に起こることと対策
という記事と、それに対する意見
の2つの記事を読んで、このような状況の時に発生する事象とそれに対する対策、および気持ち的な向き合いをそれぞれ整理するとより建設的な気がしたので、整理していきます。
2024/11/13 むすびの文章をちょっと追記しました(エモくなった)
毎回自分の意見が通る場合に発生する事象
まず、不安な気持ちになるかどうかとは関係なく、実際に発生し得る事象について述べます。
結論自体の間違いにより、統計的に「損」をする(意見の質そのもの)
「自分」がその場で支配的な意見を出す立場であるとします。つまり、他のメンバーよりその分野で詳しかったり、経験があったり、立場が強いといった状況とします。この場合、その意見がどのような経緯で発生している意見かにもよりますが、いわゆるシステム1から生じている意見の場合、私の体感で2〜4割ぐらいは改善点や間違いを含みます。(これは、「自分」が私の場合でも、私以外の場合でもそうです)
根本的に間違っているという事は少なく、それなりに説得力があるのも間違いないですが、いわゆるシステム2/論理的検証を経ていない場合はそれなりに間違っていること/改善できることがあります。打ち合わせの時にその場で思いついたこと・考えたことを言う場合は、これに該当します。
したがって、もし毎回自分の意見が通ってしまうと、これらの間違い・改善できるはずのことが、改善されずにそのまま出てしまい、単純に到達できる質が下がります。統計的に「損」をしている状態になってしまうのです。
人間、その場で思いついたことだけで常に満点を取り続けることはできません。ベースの意見としては正しいとしても、それをよりよく改善する周囲の動きは必要なのです。
※これは、例えばレビュー指摘などには当てはまらないケースもあります。レビュー指摘の場合は、無から意見が生じているわけではなく、ベースの意見に対してシステム1・2を併用してある程度精度の高い指摘を行っています。かつ、リアルタイム・その場で口頭で指摘という事でなければ、落ち着いて考える時間もあるため、レビュー指摘についてはもっと意見の精度が高い事が多いと思います。
(余談ですが、レビューやテキストコミュニケーションの接点が突出して多いと、「自分」は他の人から完璧超人みたいな扱いを受けてしまうかもしれません...その場の考えがどれぐらい間違っているかを明示的に示せないので)
他の人が自分のアイデアと思えなくなる、オーナーシップや主体性の欠如(特に遂行後)
「自分」の意見と同じことや似たことを思っている人、あるいはもう少し考えれば同じ意見に到達する人がいたとします。このとき、その人が意見を表明する前に「自分」に意見を言われることで、その意見を本人が出した意見だと思えなくなるケースがあります。
そうすると、その後の振る舞い方が自然に変わってきてしまい、「言われたことをやる」というスタンスになってしまう場合があります。また、「自分が意見を述べて打ち合わせを動かして物事を実現した」という成功体験を積むことができず、打ち合わせで人を動かす練習ができなくなるということも発生します。それの積み重ねによって、オーナーシップや主体性が欠如していくことがあります。
これが特に効くのは、実は意見を遂行し終わったときで、意見を遂行し終わったにも関わらず充実感や満足感を得られない、といった事があります。自分の意見を自分でやりきった、と思えないと充実感が損なわれてしまうのですね。
「天の声」と他の人の視点の距離が遠すぎて、記号接地できない(遂行できない)
一つ上の事象と少し似ているのですが、「自分」が述べた意見について、他の人の視点では「結論だけがぽーんと出てきた」ように見えて、なぜその意見が出てきたのかという事が本人の中で感覚的に接続できず、その本人の生きた知識になりきらない事があります。認知科学的な言葉でいうと、記号接地できていない状態です。論理的に検証すれば、その論理的な正しさはなんとなくわかるものの、本人の身体感覚とつながっていないような状態になります。
一つ上の事象は「なぜその意見が出るのか」といった事は他の人が素直に理解ができる状態ですが、そこの根本的な部分が理解できないという事に大きな違いがあり、こちらはオーナーシップや主体性というよりも、もっと単純に物事を遂行できないレベルの問題が発生します。つまり、打ち合わせで決めたことを本人がやりきれない、というケースです。
このケースが一番深刻で、打ち合わせ等では"結論"が出ていて、かつ本人も一応は復唱ができて「しないといけないことはなにか」ということを言葉で述べることはできるのに、実際には進捗が出ない事になります。上2つは「とりあえず遂行はできるがその後の質や充実感に影響する」というものですが、このケースでは遂行自体が困難になります。
この場合、「自分」に対する周りの見方が、「ああなりたい」を通り越して「『自分』は凄すぎてついていけない」という見方になったりもします。
これらの事象は打ち合わせに限らず、上司と部下の単純な関係において様々な場面で発生します。
これは、不安な気持ちになるかどうかとは完全に別の話で、事象としてこうした事が発生しているのです。
このような事象を理解すると、不安には実は根拠がある正当なもので、単純に不安にどう対処するかということだけでなく、実際に発生する事象にどう対策するかが重要なのだとわかります。
各事象への対策
上記の各事象に、どう対策するかを述べていきます。とても重要なことは、本質的に「自分」だけでは対策ができない、当事者・チームで対策が必要 ということです。
総論:人を巻き込む、自責と他責のスイッチ
上で挙げた各問題は、すべて「自分」一人で解決することではありません。というのは、「自分」の動きが問題の根本解決に向けたきっかけとして重要であるとしても、関わる人すべてがそれぞれ努力をしないと根本解決しないからです。自分自身の行動や不安への対処は必要なことですが、まずはその前に、全体を俯瞰してお互いどうあるべきか、ということを考えましょう。その上で、人を巻き込んでいく必要があります。単に意見を通すという仕事をするのではなくて、メンバーが巻き込まれて意見が浸透し、メンバーの言葉で説明できて、メンバーが主体的に物事に取り組めて、実際に遂行できる という、物事がうまく動く状態にする仕事をします。それによって、不安がなくなります。
「自分」は多くの場合において自責性が高いと思います。このような場面においても「自分」が直接的にコントロールできるのはその人自身だけであって、その意味で「自分」の行動を改めるというのは、表面的には正しいと思うのですが、解決すべき物事に対するメンタルモデルとしては正しくないと思います。このような場面では、ある意味で自責と他責をスイッチする事が必要で、適切なバランスで他の人の責任を求める必要があります。(私はそれが苦手なのでめちゃくちゃ苦労しています!!!)
以下、各論は事象の説明と逆の順番で述べていきます。
「天の声」状態を脱するには
これは、ある程度時間をかけて記号接地していく、つまり当事者が文脈や背景を生きた知識として理解できるように学習する・周囲は学習を促していくしかないと思います。記号接地の概念については学ぶ力の正体と、その影響 - 学力喪失を読んでという記事で述べていますが、記号接地の過程を省略することはできず、かつ無理矢理外部から働きかけて作っていくようなものでもないので、それぞれの人自身が生きた知識を自分で作っていけるよう、根気強く学習の場を設けることが必要です。
これは、その打ち合わせ等の中かもしれませんし、別のまとまった時間の中かもしれません。説明のステップを少し増やせば理解が深まる可能性もありますが、おそらく多くの場合はそれでは不足していて、もっと違った形で、生きた知識を作っていく必要があります。
短期間のプロジェクトでは解決するのが難しい事もあるので、それがもし短期的な話なのであれば、チームを再編成することも選択肢だと思います。短期的な事でなくてコスト的にも可能であれば、根気強くしっかりと、当事者が学べる場を作っていくしかありません。
一方、この場作りは、必ずしも「自分」がしないといけない事でもないと思っています。つまり、他にある程度分かっているメンバーがいるならば、そのメンバーに委譲していくという事もあります。
ただし、学習のためのどのようなやり方を選ぶとしても、当事者自身がそれと向き合う事が必要不可欠です。水を飲みたくない馬を水飲み場に連れて行っても、意味がありません。
オーナーシップ・主体性を持てるようにするには
これも、当事者と「自分」とでそれぞれできる事があります。
当事者としては、まず他の人(「自分」)から意見が出たときに、それが自分自身のものと近しいものであったとするなら、「先に言われた」ではなくて「自分の意見が補強された」と思うようにすること。また、「自分」の行動を学習して、次に同じような場面があったときには「自分」と同じことをもっと素早くできるようにすること。いわゆる「仕事を盗む」ということです。このような場面があったときに機会が失われたという解釈をするのではなくて、教科書のような動きを目の前で見ることができた、上達のための良い機会が与えられた、とするマインドセットを持つと、まずこのような場面自体が楽しくなります。
次に、「同じような」という部分をもっと細かい解像度で見て、当事者本人の意見の方が優れていることや、「自分」の意見の中で改善点がないかを確認すること。「自分」はトータルの知識量で言えば当事者より優れているかもしれませんが、いまここで議論の対象になっている物事そのものについての知識は当事者の方が詳しいこともあります。そうした観点で、当事者が価値を付加できないかと頭を巡らせること。
「自分」としては、類似の場面が発生したときに差分を考える、という事があります。
例えば、一度当事者の目の前で意見を先に言ったら、今度は一呼吸おいてみる。そこで当事者が言えればよし、言えなければ「前と同じ場面だけど気がついた?」というような話をする、というのがあります。このような差分を観察していると、意見を述べられない当事者においても、どういう理由で述べられていないのかという個別の事情がなんとなくわかってきたりします。一つの事象だけを切り取るとわからないことが、複数の事象とその差分を通して、例えば改善傾向にあるかとか、いつも変わらないパターンはなにかとか、そういう事が分かってくるので、上で書いたような当事者の改善パターンを目指してどう振る舞うのが良いか、というのを考えていきます。
ここで重要なのは、「今問題にしている意見が、どれぐらい失敗を許容できるものか?」ということです。もし一定の失敗を許容できる状況であれば、当事者の意見を積極的に出させて、その意見をベースにやってみる、ということもできます。これも、短期的なプロジェクトの場合には難しいケースもありますが、長期的に「仮に一瞬迷惑をかけたとしても、将来的に成長して取り戻せる」と思えば任せられる場面が沢山あると思います。もちろん、致命的な失敗を避ける努力は必要ですが、適度な失敗はそのリカバリーも含めて必要な経験と思います。
意見が出るようにするには
当事者が、「自分」の出す意見について、
- それを「天の声」、自分の感覚と全く遠いところからやってきた謎の正しい結論だと思っていない
- その意見が場に提示されたときに、ある程度は同じような事を考えていると思えて、実際に発言する経験を何度かしている
という前提があれば、「自分」の意見が大きく間違っていない場合には自然と意見が出る状態になっています。あとは「自分」の意見がそこそこ間違っている場合に、それは間違っているという意見を出せるかどうかです。
当事者としては、「統計的にはどこか間違っている可能性がある」という頭で打ち合わせ等に臨むのがよいと思います。あるいは、実際に議事録などの形式で過去の意見を保持しておいて、勝手に答え合わせをしてみて、事実としてどんな状況にあるのかを理解するのもよいでしょう。「自分」がそうした課題感を持っているかもしれない、チームとして本当のベストを尽くせているのか、みたいなことを考えるのも有効だと思います。
「自分」としては、そうやってチームとしてのベストを尽くしたいという考えがあることを浸透させる、単純に意見を言いやすくする、といったことがあります。
不安な気持ちにどう対処していくか
では、このような対策を踏まえて、いままさに不安な気持ちにどう対処していくかを示していきます。
その場だけで考えず、長期的な過程の一部という実感を持つ
まず、上に書いた対策でも「複数回の差分を見る」というようなことを挙げましたが、この課題はある時から一瞬で解決する、というようなタイプのものではないと思います。ある程度は幅のある期間で対策をしていくべきことで、今の一瞬を切り取って一喜一憂してもどうにもなりません。
言い方を変えると、今の一瞬は不安がある状況かもしれませんが、長期的に対策ができる・改善できるものだと思えば、自分でコントロールできている気持ちになるので、不安が和らぎます。
メカニズムをメンバーやその他の人に共有する
うまく整理して伝えるのが難しいかもしれませんが、他の人にここで示したような内容について共有相談することで、心が楽になる場合があります。
少なくとも、「統計的には失敗していることがあるはずだから、それを拾うためにぜひ指摘してほしい」ということの共有ぐらいであれば、あまり難しくないような気がします。
(もちろん、その共有で事態がどこまで改善するか、というのはありますが、とりあえず問題意識を教諭するというぐらいのことです)
自分以外も含めた直近のアクションを確認する
上記共有を踏まえて、では今後どういったアクションを取っていくか、ということを確認します。
不安を発生させるメカニズムだけではなくて、今後の具体的な方針、特に直近の第一歩が決まっていると、なんとなく事象をコントロール可能な気持ちになって安心します。
発生し得る害が現実にどれぐらいかを見積もる・許容可能な失敗か見積もる
共有とはまた別の観点で、実際に、ここで示した事象が発生することで、どれぐらいの害が発生し得るか、またそれは許容可能な失敗に含まれるか、ということを考えてみます。単に不安を感じている時点では、そもそも害があるかも明確ではないと思うので、実際にどれぐらいのものかというのを算出してみよう、ということです。
数値で出せる場合もあるかもしれませんが、おそらくざっくり、感覚的にどれぐらいか、というようなものだと思います。これからアクションを取るならば、それは解消できることです。そう思うと、少し不安が和らぎます。
このような不安を取り除く技術を習得できる、というポジティブな考え方をする
これらの問題によって直面している不安はそこそこ普遍的なものだと思います。もし、その不安をうまく取り除くことができれば、人生をかなり生きやすくなるでしょう。そうした技術を身につけるチャンス、という考え方もできるので、そのようなマインドセットに持っていくようにします。
もちろん、不安のある状態からいきなりすぐ、そのマインドセットには至らないかもしれません。ちょっとずつでも良いので切り替えをしていき、実際の課題とそれに対する精神的な不安を分離して考えられるようにしましょう。これも、事象をコントロールできる気持ちになり、安心します。]
実際に"正解率"がどうなっているかを記録して振り返る
それでも自分の意見がそのまま通ってしまう場合は、自分の意見が通った場面を記録しておいて、後で振り返って正解率を計算します。これが6〜8割に収まっていれば、まさにはじめに述べたような事象が発生しています。より高い正解率の場合には、結論自体は間違っていないので、意見の正しさに対しての不安を持つ必要はなくなります。ただ、単純な正しさ以外の課題もあるので、他の人が育つようになっているかという観点で振り返ります。
要は、今回挙げたものに限らず考えうるすべての問題を列挙して、かつその問題すべてに該当しなければ不安を持つ必要がなくなります。そのようにして不安を解消します。
むすび - 言うは易く行うは難し
「毎回自分の意見が通ってしまう」という事象について、3つのレイヤーで発生する問題のある事象と、それぞれについての対策と、最後に不安を制御する考え方について述べました。
このように整理して書くと、めちゃくちゃできているすごいやつの意見みたいに見えますが、言うは易く行うは難しという言葉の通りで、実際にやるのは大変です。私自身できていない事が沢山あって、それを振り返るという意味も含めて整理して書きました。
一般論として、不安の解消は割と技術だと思います。不安自体が全く無根拠なことはまずなくて、何らかの正当性があることがほとんどだと思うので、具体的な問題に帰着させた上で、その具体的な問題をどうするかという事だと思います。もちろん、結論として受容するという事もあります。ただ、問題構造を理解した上で意志として受容するのと、なんとなく受容するのでは結果が違ってくる場合があるので、不安が働く場合は意識的に問題構造の理解に努める練習をした方がよいと思います。
私自身は、素の性質としては割と不安を感じやすい方で、特に仕事を始めてから数年は不安をめちゃくちゃ撒き散らしたりしました。その頃には所属していた会社について「不幸生産工場」という言い方をして、相手が"一瞬"言葉に詰まったことは今でも覚えています。ただ、不安がそこそこ優秀なセンサーであることも事実で、不安という感覚自体にも6〜8割以上の精度があると思っています。不安が、深刻な不安の感情になる前の、漠然とした違和感の時点でうまく掴んで、それが感情として不安になりきってしまう前に具体的な事象に帰着させて、それをどうハンドルするかという意志を作れば、自然と不安感情を避けられます。(不安は、いくつかの違和感の集積で生じる事が多いので、単発の6〜8割の積み重ねということで結構精度が高いと思います)
もちろん、どうしても答えがない場合の割切も重要で、ここまで考えて具体的な問題が出ないなら、知らないリスクがあるかもしれないがそれを受容する、自分にやれるだけの事はやった、みたいな開き直りも必要だと思っています。私の場合、うまく開き直るには前提として全力を尽くしている事が大事で、まあこれだけやりきってわからないのだからどうしようもないだろう、もし失敗したら全力で謝ろう、と思えるまでは全力を尽くす事にしています。
それで結局うまく行っているのかというと、まあいくらかは失敗していると思いますが、それでも前に進んでいる気持ちにはなっていて、充実はしています。
がんばろう!!!
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