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2024年の反省と2025年の行動指針<人を巻き込む・混乱の受容・アンラーンの観察と促進>

2025/01/01に公開
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2025年の目標・行動指針

〜2033年の大目標

10→100の実現

2025年の目標

  • 言われなくても自然にやれる状態の確立
    • 教育の実施と、教育制度の確立
      • 計算機科学に類する教育
      • 一般的な仕事の技術や心構えに関する教育
      • 自社の事業、業務に関する教育
      • 教育制度の確立
    • 自発的な学習、振り返りを引き出す

技術的な筋の良し悪しには教育を、同時に自発的な学習を。学習の割合を増やす、定着させる。
最終的には自分の中で理論を作る必要がある。新しい概念を自分で使う、失敗からリカバリーする。新しい概念を取りに行けるようにする。言われなくても自然にやれる状態を理想としたとき、何が足りないか。
平常開発・運用については2025/3/5にできるようになったとして、クライアント対応が必要なOEM・大型カスタマイズではどうか。他の業務は。

2025年の行動指針

  • 人を巻き込む
  • 混乱の受容
  • アンラーンの観察と促進

これまで混乱を受容していなかった訳ではないが、アンラーンが必要な場面で混乱が発生するのは当たり前であり、その意味で混乱を受容しているということを全面的に押し出すようにする。成功に失敗が必要であることと全く同じように、認知の改善にあたって混乱は必要なもので、致命的な混乱は避けるにしても、それなりの混乱は普通に発生するものだし、それでいい、という態度を明示的に取る。
また、混乱から回復して理解に至るまでの道筋にはアンラーンや再構築が必要で、身の回りの様々な物事について、アンラーンを念頭に置いて観察し、必要ならアンラーンを促進していく。

混乱の受容の前提となる混乱のメカニズムについてはこちら
成功と失敗、学習と混乱 - 混乱を乗り越えるには

アンラーンの観察と促進の第一歩についてはこちら
システム開発と教育におけるアンラーンの重要性

2024年の振り返り

学び

2024年は、本当に学びの多い一年になった。
作業速度や頭の回転の速さの概念と、認知の概念についての整理がようやくできるようになり、これまで自分が特殊なのかそうでないのかわからなくて他人に求められなかったことを整理できた。

2021年には<自分が作業を引き取らない構造を目指す>ということを実質的な行動指針として掲げていたが、これは構造の問題というよりは、単純に"技術的"に自分がやっていることを他人に任せることができないことの問題だった。当時の気持ちの整理として

ようやく縛りゲーをする気分になった

と書いていたが、結局委譲できない部分や、効率というよりは最終的に到達できる品質(深さ)の意味で依頼ができないことは残り続けた。これが本質的にチーム構造(組織構造、組織体制)の問題であったかというと、そうではなかった。当時のメンバーに、今すぐそれを求めると致命的な失敗がいくつか起こるだろうということを感じていたからそれができなかったし、実際にその感覚は正しかった。ただ、その差が何から来るものなのかわからなくて、2022年には

結局は私が採用/チーム編成をしていると、偶然なにかで道を踏み外した異常個体を採用するしかないのか

と思ったりしていた。
このあたりの縛りゲーについての「今この瞬間」に対する私の認知はかなり正確で、私は低レベルクリアは相当上手かった。
まず、現時点のメンバーAさんでタスクXをできるかできないか、という判定が基本的に上手かった。これは、認知が現実的という事なのだと思う。それによって、神がかり的に手を抜くのが上手かった。もちろん、手を抜くと言っても悪意によって手を抜くということではなく、「ここは弱くても大丈夫だろう」みたいなことを見抜いてそれができる人に的確にタスクを振る、ということ。今のメンバーで最短でシステムを組み続ける、というパズルを解くのは相当上手かった。結局自分がそれなりのタスクを引き取っていて実感は全くなかったが、私は多分本気で縛りゲーに向き合っていたのだろう。
ただ、この縛りゲーというメンタルモデル、低レベルクリアがよくなかった。一連の過程で元々できる人が結果的に伸びることはあったが、一方で、できない人を伸ばすことは私には全くできず、できない人(合わない人)に対しては本当に無力だった。
システムを開発すると、仕様はだんだんと難しくなっていき、求められる性能などの要件もシビアになっていく。当初は素朴な実装でよかったものが、技術的に洗練された実装を求められるようになる。低レベルでクリアしてしまうと、次のステージでより難しいパズルを解かされる事になり、どんどん手詰まりになっていく。
ここまで来て、ようやく私が感覚で見抜いていた「現時点のメンバーAさんでタスクXをできるかできないか」の重要な要素が明らかになった。これは、素朴な作業速度や頭の回転の速さなどではなくて、認知が合っているか、あるいは認知を合わせることができるか、なのだ。そのような感触はずっと存在していたが、認知が合えば速度に限らず正しく仕事を積み上げることができ、認知が合わなければ仕事を積み上げることができない、という言語化で整理された。これは、様々な仕事についてそうだ。

2024年の一年間を通して、ようやく、私は「頭の回転の速さ」の呪縛から解放された。
頭の回転の速さは、本当に単純に考えることが速いというだけなのだ。計算機で言えば、CPUの速さ。それ以上でも以下でもない。大学入試などの試験のようなものは、時間を効率的に使うことが求められ、そのような場合は頭の回転の速さが効き過ぎてしまう部分があるが、ただ考えるのが速いだけで、方向性や深さとは"本来は"一切関係がない。ここで"本来は"と述べているのは、例えば数学において特定の対象に触れるには一定の試行回数が必要な場合もあり、頭の回転の速さがないとそもそも触れにくい物事というのもあるのだが、それでも触れる事のできる方向に進んでさえいれば、多少ゆっくりであってもたどり着く。かつ、その対象が最終的に熟達して自動化できるような物事、考えずにできるようになる物事であれば、もはや回転の速さの影響はごく小さいものになる。頭の回転とは、そういう種類の能力なのだ。だから無意味ではないし、場面によっては必要になるかもしれないが、それよりも認知のほうがずっと重要なのだ。
私がそう思い込んでいるだけかもしれないが、しかし、この結論は私にとって本当に嬉しいものだった。私のこれまでの実感を包括しているし、努力の意味や、自分が思った方向に進むということの意味など、人間の意志が実際に成果に繋がるということへの示唆もあり、これは本当に嬉しかった。

そうして、認知を合わせさえすればよい、というシンプルな整理ができた。私が短時間で沢山のことをできている量の部分は能力かもしれないが、量を除けば、認知が合えば誰でもできることなのだ。その確信を持つことができた。

ただ、それは同時に、それなりの時間は必要である ということを意味していた。
私は開発の仕事を14年弱、今のシステムは8年弱、作り続けて今の認知があるわけで、その認知に近づくには、もちろん教育をしていくにしても、相応の時間は必要になる。
めちゃくちゃ長い時間では無いにしても、純粋に技術的なこと、自分たちの業務に特有のこと、いろいろな認知を合わせるには合計で年単位の時間はかかる。
低レベルクリアではまず向き合うことではないし、実際にこれまでの開発においては低レベルクリア的な発想でそれなりにワークしたが、いよいよ認知を合わせるための時間・個人の成長とはっきり向き合わないといけない状態になった。

この認知を合わせることにおいてのキーワードが、記号接地とアンラーンだった。
脚注[1]に示したような但し書きの上で、記号接地というのは便利な言葉だ。ある概念を多面的に理解して「生きた知識」として使えるか否かの可否を分けるのが、記号としての言葉がその人の感覚に根差しているかどうかであり、知識の木構造(木というよりはグラフだと思うが)を通じてしっかりと接地できていれば生きた知識になる、というメンタルモデルは実用性がある。
記号接地を意図的に行うときに重要なのは、既存の知識が邪魔をしないように、意図的にアンラーンすることだ。多くの人において、なにもない状態(いわゆるタブラ・ラサ)の吸収能力にはそこまで大きな違いはないのではないかと思うのだが、既に知識がある状態だと新しい知識が矛盾する場合もある。このような矛盾する新しい知識を無理やり付け加えようとしても、記号接地ができない。そこで、既存の知識を変容させる(忘れることを含む)か、新しい知識を変容させるか、そのまま記号接地できない状態のままか、いずれかになるが、新しい知識の方を変容させると認知が合わなくなってしまう。もちろんそのままでも記号接地はできず、既存の知識の方を修正することが必要で、特に重要なのがアンラーンということだ。

教育とはなにか。(しばしば体系的な)知識を対象者が学習して確立することを目的として、対象者が持つメンタルモデルに対してどうやって生きた知識として接続していくのか、対象者のメンタルモデルにフォーカスしたうえで単純な教授に限らずアンラーンも含めて実現方法を検討・実践すること、なのだ。

過去、私が特にうまく相手を育てられなかったパターンは、相手がアンラーンできない場合だった。私はアンラーンが得意ではないと思っていたが、実はアンラーンが得意な方で、これまでの知識を一旦前提とせずに、新しい知識を事実として受け止めるということができていた。もちろんアンラーン自体のコストはあるのだが、だからこそ、アンラーンする回数を少なくして一回あたりのアンラーン量を多くする、みたいな戦略を取っていた。例えば、"間違ったメンタルモデル"を構築することをできる限り避けて、なるべく正しいメンタルモデルを少ない回数作る、というような戦略を取っていた。(これはゲームのプレイスタイルなどもそうで、最短で最適(最高)のエンドを目指す、みたいなやり方が多かった。といっても、実際にクリアが早いということではなく、知識が無の状態からのRTAという方が表現が正しいだろうか。例えばRPGでは、複数回やるみたいなことは原則ほぼなかった。低レベルクリアについてもそうだ。)
ところが、これは一部の人(というより過半数?)においては適した戦略ではなかった。というのは、多くのことをアンラーンしたり、あるいは仮のメンタルモデルが全くない状態や遠く離れた場所にある状態でメンタルモデルを作り直すことは、そもそもできない場合があるのだ。実際には、無駄なように見えても、間違った仮のメンタルモデルをまず作り、それから少し近い次のメンタルモデルに移り、...ということを繰り返す必要があった。
この辺のさじ加減や、アンラーンのスキルを具体的にどうやって伝えていけばよいのか、といったことは今後の課題なのだが、一旦認知を軸にして、仕事ができる状態とは何かがわかった。

それに気付くまでの過程では、上手くいったことも上手くいかなかったことも沢山あり、疲弊することも多い一年だった。その中で、私自身が個人としてやりたいことも見つかった。

圧倒的な成果を挙げる開発者のスタンスとして、運用・実世界への影響を理解し、またそれを考え続けて開発を行うというものがある。これをチームで実現できれば、疲弊せずに一層圧倒的な成果を挙げられることを示せ。

まだ設問の文章が不十分かもしれないが、だいたいこういうことを示したい。これは、決して世界中の人がそう生きるべき、というような話ではない。色々な暮らし方があり、例えば合わない人も居るであろう中で、私はそういう生き方にベットして生きる、ということだ。

このような学びと並行して、2024年でチームに対するスタンスも大きく変わった。年始の時点で、複数チームを維持できるようにして深さのある開発をしたい、とただ思っていたことが、認知を合わせるという事に集約され、また教育とはなにかが今更ようやくわかって、どうやって認知を合わせていくのかという具体的な方法の部分も見えてきた。チームで言えば、問題提起をして目標を自分たちで考えるということを通して、認知を合わせていく試みが始まった。
今年は、まずこの方向の歩みを進めることからだろう。私の立場では、今更ようやく意味がわかった教育を進めること。

目標進捗

  • 複数チームの編成ができる体制づくり 53/100
    • オンボーディングの高速化 10/25
      • 単純な作業としてのオンボーディングはあるが、あまり記号接地できていない
    • 券売機Androidも含む定期テスト体制の確立 18/25
      • 定期テストそのものは体制確立したが、自動化などの課題がある
    • ジョブローテーションを円滑に行う 10/25
      • リリース関連の業務などはローテーションできるようになったが、他はあまり
    • 勉強会の定着 15/25
      • 勉強会としては定着していないが、定例で勉強会に近い内容が実施できるようになったので及第点

要素ベースで採点するとこうなってしまうが、単純に複数チームを編成する(≒ある程度大きな規模の案件を並行して動かす)ということについては、だいぶ大きな進捗があったとは思っている。テスト体制がある程度できたので、ディレクションを間違えなければ、根本的にヤバいものができるリスクはほぼ無くなった(現体制においては)。一定の自己対応能力、リリースまで進める力も備わり、私がいないときの業務継続能力はこれまでと比較して最も高まっている。そのような意味では、少なくとも及第点の成績ではあるし、またメンバー個人の努力はこの採点とまた別のところにあると思っている。あくまでも私自身の採点である。

行動指針の実践度

人を巻き込む

いつも通りできていない。2023年に実感したのではなかったのか、というのがあるが、2024年は輪をかけてダメだった。ピンポイントに必要なときに巻き込むことはできるが、日常生活というか定常的にやるみたいなのが本当にダメ。

学術的なやり方をする

認知という部分で、2024年はこの行動指針に本当に助けられた。自然と行動できるようになったと思う。

深さを求める

もう少し深さを求めていきたい感覚があるが、どちらかというと巻き込めていないことによる問題のような気もする。指針から根本的に外すわけではなく、これ自体は継続するが、お題目としての3つの行動指針からは一旦外す。

脚注
  1. 私が最近使っている記号接地という言葉について、正直に述べておくと、本来のAIの分野で提唱された記号接地の概念とは少しずれている部分があると思っているし、また例えば人間がLLMと比較して本質的に記号接地できているのかということについて、そこに本質的な差があるのかということはわかっていない。純粋なLLMには感覚との接地がないというのは確かにそうだが、感覚もある種のパラメータとして盛り込めば、今のAIの延長で人間の記号接地度合(?)を凌駕できる可能性は十分にあると思っているし、今目の前にいる人間が「中国語の部屋」と本質的に異なる構造でアウトプットを生成しているのかはわからない。 ↩︎

Discussion

さざんかぬふさざんかぬふ

目標がHowの部分に寄りすぎていたので、あるべき状態の目標を追加。
昔は自分のコピーを作るという課題に対して、どこまでが普通に求められるのかという線引きができなかったが、結局記号接地さえできればあとはスピードの問題でしかないという結論に達して、それで時間をかければすべてを求められるという考えになったのが今。
そのスピードを現実的にどこまで引き上げられるのか、というのが次の課題になっている。

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