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戦略と戦術の本質的な違いと、戦略の効果 〜ロジカルシンキングの謎〜

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戦略と戦術という言葉は、軍事の言葉として定義を持っています。
しかし、その定義を離れて、例えば企業の経営などにおいても「経営戦略」などという言葉が用いられます。
ここでいう「戦略」とは一体何なのか?
私には、その本質がずっとわかりませんでしたが、ようやくわかったつもりになったので、その記録です。
私の理解したことを端的に一言で記すと、こうなります。

  • 戦略は選択肢刈りをするためのもの。戦術は個別の選択肢。

なぜそう思ったのか。そして、なぜそれが腑に落ちたのか。この記事では、それを詳しく記します。

前提として語られる、戦略と戦術の単純な差

例えば広辞苑には、以下のように戦略と戦術が定義されています。

戦略
(strategy)戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法。転じて、政治・社会運動などで、主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう。「販売上の―」

戦術
(tactics)戦闘実行上の方策。一個の戦闘における戦闘力の使用法。一般に戦略に従属。転じて、ある目的を達成するための方法。「―を誤る」

他にも色々な定義があります。例えば戦略は大局的、戦術は局地的。戦略は構想、戦術は運用。そういった言い回しがあると思います。これらの定義・言い回しによって分かることは、ざっくり「戦略は戦術の上位概念・より抽象的/広範の物事を扱う。戦略の中の具体的/局所的な物事が戦術である。」というような事かと思います。
ただ、これが全てであるとしたら、戦略と戦術の間には相対的なレイヤーの差しかありません。例えば、経営戦略などという言葉を使う時、「それが経営戦術ではなくて経営戦略なのは、一体なぜなんだ」という事について、うまく答えることができません。
したがって、例えば経営戦略と人が言うときには、戦略・戦術の間の相対的な差異だけではなくて、もっと本質的な二者の間の差があるはずなのです。「戦術より広範な作戦計画」という、相対的な広さの問題ではないはずなのです。

戦略を決めるとは、やらないことを決めること

ある日、ふと目に止まったプロダクトの成功に必要な 3 つのステージと 20 のタスクについて:現場の動き方をまとめましたという記事を見ていました。
この中で、戦略という言葉は以下のような使われ方をしていました。

問題→施策案、という短絡的なパスを取ってしまうと、打ち手の発想が当然制限されてしまいます。しかし、問題→戦略(=アプローチ)→施策という形をとることで、戦略にぶらさがる形として数十の施策をチームで検討することが可能に。

「これは一体、何の問題を解決しようとしていますか?それは、いま会社が問題解決のためにすすめているどの戦略の傘下に入りますか?このプロジェクトとあのプロジェクト、どちらの優先度が高いと思いますか?」

これらの戦略という語の使われ方からは、以下のことがわかります。

  • このような文脈でいう戦略には、具体的な施策(戦術)がぶら下がる。
    • 特に、施策がぶら下がるという構造を作り上げる手段になっている。戦略を持つということが、施策を構造化させる意味を持っている。
  • 施策は(いくつかの)戦略の傘下に入るものとして分類できる。(という状態が理想であるべき)

この考えを一歩進めると、以下のようになります。

  • 戦略は、取りうるいくつかの手段(施策)があったときに、その適切なものを"篩いにかける"機能性を持つ。

なるほど!
私はこの事に気づいた時に、本当に感動してしまいました。

戦術(≒施策)というのは、多くの場合、かなり具体的に定まった行動の事を指し示します。若干の振れ幅や品質の差異はあるにしても、戦術というものの指し示す意味は、ほぼ全ての人が一意に取れるはずです。そうでなければ、戦術についての教育ができていないという事になるでしょう。
将棋で言えば、棒銀というのは戦術です。これは、多少の手順の前後はあるにしても、基本的には決まった定跡に従うものです。
そのような意味において、一つ一つの戦術というのは、「それに従うと決めれば、本質的に取るべき行動はほぼ一意に決まる」というような性質を持っています。(厳密には、よりよい結果を出すために同じ戦術の中でも迷うという事はあると思いますが、一般に戦術という言葉の指し示す対象の持つ意味を少し強調して述べています。)

一方の戦略というのは、戦術の上位概念であるので、当然ですが戦術を選択するような幅のある概念です。つまり、X戦略という軸を通して各戦術を見た時には、A戦術とB戦術はX戦略に合致して、C戦術とD戦術はX戦略に合致しない、というような判断ができることになります。
このように、「無数にとり得る戦術たちに対して、それが戦略に合致するかしないか見定めるような分類を提供する」という事が重要です。
このような分類は、個別の戦術だけを見ていたのでは行えないことです。A戦術に対して一致しないB戦術は、Aを中心に見れば非Aでしかなく、分類する・束ねるというような考え方に至るにはかなりの飛躍を伴うからです。

さて、一般論として、何らかの物事に取り組むにあたって、正解が唯一であるという事はかなり少ないです。多様な正解があってその中でどれかの正解を実現する、という事を求められる事が多いかと思います。
この正解を求める上で、都度いきなり一つの具体的な戦術を決め打ちしようとすると、非常に難しいです。また、時間の変遷の中において、各時間時間での"最高の"選択の積み重ね=局所最適解の積み重ねが、大域的に"最高の"選択であるとも限りません。
このような場合において、戦略というのは戦術の取捨選択の基準として非常に大きな意味を持ちます。つまり、その場その場でヒント無しで個別の最適解をむやみに導こうとするのではなく、戦略という戦術の取捨選択の基準に従って戦術を選択することにより、判断の省力化・全体最適化ができるという事なのでした。

私は、「これは組織におけるプリンシプルのようなものだな」と思いました。(組織におけるプリンシプルについては、文化・プリンシプルとその効果のメカニズム - 反脆弱性と個人と組織 - (結論・骨子編)を参照)
つまり、製品開発において戦略を考えるという事は、組織においてプリンシプル・文化を考える事のようなものだな、と。

そのような観点で、戦略というものを改めて捉え直した結果が、以下の一言になりました。

  • 戦略は選択肢刈りをするためのもの。戦術は個別の選択肢。

いかがでしょうか?

半余談・ロジカルシンキングについて

ここで、戦略の構成要素を少し掘り下げます。
選択肢刈りをするためには、ベースとなる判断基準(前提・仮定)だけではなく、それを元にした判断の方法(論理・非論理)も必要となります。
特に後者の判断の方法=蓋然性の高い結論を出すための方法は、日本においてはしばしば「ロジカルシンキング」と呼ばれる事があります。これは、例えば野矢先生のような一部の論理・哲学者からは、「ロジカルシンキングの指すものは、学術的な意味での論理的思考ではない」という批判を受けており、実際に私もそれをロジカルと呼ぶ事については大きな違和感がありました。しかし、今考えたような文脈でいうと、意味的には明快です。「ロジカルシンキング」というのは、実際には戦略的思考という事にほかならないのです。

この「ロジカルシンキング」という言い回し自体、いわゆる戦略コンサル界隈で考え出された概念のはずです。そうすると、今考えた戦略の概念(選択肢刈り)とは非常にマッチしていて、なるほどそういう事だったのか、と非常に腑に落ちました。

むすび

この観点で今までの社会人経験を振り返ってみると、私が雑に「頭を使っていない」という言葉で表現してきた事が、「戦略的に考えていない」という事とかなり近い概念である、ということが分かりました。

この事に気づいたちょうど当日、ある人から以下のような話を聞き、ああそうか、やはり戦略というのはそういうことなんだな、と思ったのでした。

ある有名人が子供を小学校に通わせるとき、公立を選んだ。それを説明したときのロジックがあった。
「人間が学校で習うべき事は何なのか。人間、大きくなれば社会に出る。私立の学校は、ある程度属性の揃った人が来る。公立はそうではない、いわば社会の縮図のような状況になる。そこから学べることは大きく、それを学ぶためにこそ、学校に行くべきだ。」
ただ、これは一つのロジックであって、私立を選ぶ側には選ぶ側のロジックがあって良い。でも、こうやってロジックを作れる奴が強い。そのロジックを作るという事に小さい時から触れている人間も、強い。

ここでいうロジックという言葉、まさに、戦略ということですよね。無数にあり得る答えの中から、自分の中での答えを作り、またそれに向かって進むということ。

そのような、物事が一つ分かったつもりになった感動を、記録しておきます。

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