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新卒の頃に思っていたこと、気づいたこと

2023/07/15に公開

社会人として働きはじめて12年が経ちました。
とりあえず十二支は回ったということで、まだ還暦の1/5ですが、忘れてしまいそうな事をメモしておきます。
良いとか悪いとかではないです。ただのメモ。
実際に、ちょっと過激だったかなと思う部分などもあります。人によっては全く受け入れられない事や、こいつアホだろという事もあると思います。単に私が新卒の頃に思っていたことのメモです。
(2023/7/19:たまに気づいた事を追記しています)

本気で仕事をしてから死ぬ

それまで、もう本当の本当の本気で取り組んだという事が人生において存在しない気がしていたので、仕事ぐらいは本当の本当の本気でやろう、と思っていました。

あらゆる人工物には、それを作った人がいる

都市で普通に接触するあらゆるものについて、それを作った、ないし加工したり移動させたりした人がいる、という事をようやく知りました。少なくとも高校の国語では養老孟司の都市についての話みたいなのをやっていたし、小学校の国語にも鉛筆の黒鉛が外国で取れて...みたいな教材をやっていたはずで、ものすごく"今更"でしたが。
※必ずしも狭義の人工物の話ではなく、便宜上の表現です。

仕事で携わるあらゆる物事についてメモする、情報を落とさない

二回同じ事を聞かない。というのは、上司は基本的には時間あたりのコストが高いはずで、そのコストを会社として消費するともったいないので、極力聞くことを減らしたい。ただ、とはいえずっと仕事ができないとそれは時間の無駄。なので、さくっと話を聞いて、それを意地でも完璧にする。
(もちろん、そう思っていても失敗はするので、何度、電話を満足に受けられずに叱られたことか...)

必死に上司の仕事を盗む、差分を徹底的に分析する

目の前で動く上司の一挙手一投足を盗む。とにかく全てから学ぶ。あらゆる事を学びにつなげる。
例えば打ち合わせがあれば、その振る舞いを後で振り返る。

課題解決の感想戦をする

必ずしも上司が関係ない場合でも、自分自身の振る舞いについての感想戦をする。
これがベストだったのか、これでよかったのか。
感想戦や分析、反省を必死にやったのは、後述するコスト意識のおかげだった。

全ての物事から得ることがある

たとえそれが失敗であっても、くだらないように見えることであっても、自分が得ようと思えばそこに得られる物がある。希望しない仕事だから、いま意味を見いだせない仕事だから、という腐り方をしない。その後につながるものだと信じる。
ただし、得られるかどうかは自分次第。何も考えていなければ、上質な経験も成長も発生しない。

新人は叱られるのが仕事

いくらでもミスが発生するので、ミス上等、叱られてなんぼ。
ただし、同じ失敗は二度としない。
二度としないためにどうするか、という事を必死で必死で考えて、叱られまくって、切り替えて仕事をしていく。

自分の一秒がコスト、上司の一秒はもっとコスト

自分も上司も、その一秒がコスト。会社としての売上に繋がらなければ、自分の食い扶持もやがてなくなる。
給料は会社の全員の売上・実績の積み重ね。自分がプロフィットセンターに属していようがコストセンターに属していようが、自分の時間そのものはコストであり、会社全体・全員の売上が自分に返ってくる。全体のコストを下げつつ、利益を上げること。

潤滑油になる

就活でよく揶揄される潤滑油。でも、潤滑油はとても大事で、下っ端がいかに動いて情報を流すか。それによって上司の動きは大きく変わる。

謙虚で在る

自分と人の意見が違う時に、自分が見ているものが全てだと思わない。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。

人を信じる

自分で進んで悪くなりたいという人はいない。よほどの人を除き、みんな良い方向にありたいとは思っている。
ただ、それをどれぐらい貫けるかとか、積極的に今苦しんででもやりきるとか、真剣に考え続けるとか、そういう事ができるかどうかには差がある。

必ず自分の仮説を持ったうえで、上司と話をする

最終的な判断を上司がするにしても、必ず自分の中で仮説を持つようにする。情報があって、自分はこう判断するが、どうでしょうか、という。必ず仮説を添える。
仮説を持つことは、上司との会話に限らず、あらゆるアクションにおいて言えること。ただし、仮説が正しいと信じ込んだり、認知を捻じ曲げたりはしない。仮説を持ちながらもフラットに考え、受け止める。(淡々と)

自分の担当する業務については一番詳しくなる

上司はピンポイントにしか関わっていない、関われない。最終的に適切な判断をするのが上司であっても、少なくともその事柄について一番くわしいのは担当者。そうなれないなら恥じて必死に自分の仕事をする。

上司と責任

上司がいる間は、ある意味で無責任に仕事ができる、という言い方もある。つまり、自分の上に責任を取ってくれる人がいて、自分は全力で失敗ができる。
もちろん、失敗するつもりで仕事をすべきではなく、全力を尽くす前提で、それでもうまく収める上司がいてくれる。

上司をコントロールする

もし、どうしても上司が頼りないと思ったら、上司に適切な情報を与えて自分と判断が同じになるようにする。

ただし、基本的に上司は自分より経験もあるはずで、上司が頼りなく見えるなら自分が渡す情報が確実に足りていない。自分がすべての情報を渡していれば、自分の方が優れた判断をするための材料がゼロになるはずで、情報を渡し足りないから頼りなく見える。自分の能力不足を恥じる。

議事録を進んで書く

議事録はとても大事で、最終的に決定事項として扱われるうえ、振り返りの材料にもなる。
極端に言えば議事録でコントロールすることすらできてしまう。
逆に、議事録(≒ゴール)から逆算して考えることで、決めるべきことを漏らさないようにもできたりする。
事前に議事録のフォーマット/穴埋めを作っておく事もできる。
また、次のアクションが宙に浮かないようにする。必ず誰かがボールを持ち、それがいつまでになされるべきかという事をはっきり明らかにする。それをどれだけ緻密に進められるかで要件を落とさない精度が大きく変わる。
その構造を見抜く上でも議事録を書くことは有用。

上司も人間、かつ純粋な体力は若い自分の方が上。でも仕事で勝てないのはなぜか?

なぜ自分が仕事で勝てないのか、言い換えるとなぜもっと効率的な仕事ができるのか。その理由が知識にあるのか、考え方にあるのか、作業の速さにあるのか。そしてその差を維持するのは何なのか。
それを都度具体的に、徹底的に分析する。

ちなみに、なんだかんだ、極論すると理由は「気持ち」という事がよくあり、つまり「死んでも自分は仕事をやり抜く」みたいに思っているかどうかの差がそのまま明暗を分けたように感じた。ただし、もちろん具体的な技術を伴っての事なので、具体的な技術も気持ちも両方の差を埋める。

いつか自分も上司になる、どうやって早く上司になるか

なぜ勝てないかとほとんど同義だが、そもそも自分が上司になるのだという気持ちを強く持つ。自分もああなれるかな、とかではなくて、自分はああなるし、あれを超えるようになる、と強く思う。後輩は先輩を超えていかないと意味がない。超えること(超えさせること)に意味がある。

自分を相対化して考える

「例えば会議をしているとき、打ち合わせをしている自分自身と、それを冷静に上から眺める自分自身がいる」
嬉々として語る上司をみたとき、それは離人症なのでは?と思ったが、相対化して考えるという事はとても重要で、客観的にどうあるべきかを相対化して考える。

障害は自分で作る、課題は発生する

「障害管理表」という言葉の重みに最初びっくりして、レビューで何件も指摘がついてピンクだらけの表が返されてさらにびっくりしたが、障害は誰かが作り出す。細かい事情はともあれ、必ずそれを作り出した人はいる。
これは、あらゆる人工物には、それを作った人がいる、という事とも絡んでいる。

バグは絶対にテストしてないところから出る、それは広義の障害もそう

テストして意図しない結果になったら、それを握りつぶすことは普通はない。テストケースから観点が漏れていた、前提条件が間違っていた、ミスで漏れた、再テストで確認が抜けた、細かい理由はあるにしても、究極的には絶対にテストをしていないところからバグが出る。テストをやり切れていればバグは出ない。
それは広義の障害、例えば設計バグや、あるいはコミュニケーションエラーですらもそう。

壊すつもりでテストをする

幼児用のおもちゃは、誤飲などで人が死ぬリスクがあり、徹底的に安全性を確かめる。
その気持ちでテストをする。(もちろん、実際に必要・最適なテストの量という考え方はあるにしても)

試行錯誤は次の手を持って淡々と、麻雀のように

バグの原因を調べるとき、選択肢を減らしていくために、どうやっていくか。二分探索みたいな考え方を持ちつつ、麻雀のように次の手を考えながら淡々と進めていく。一喜一憂しない。

会社の組織構造による"カードの切り方"

北野武監督作品によく出てくる、「親分子分」の構造でカードを切っていく。
例えば、いきなり取締役カードを出すと、次に出せるカードが社長カードしかなくなってしまう。
まずは担当カード、その上司カード、...と切っていく。

失敗したときにこそ人の真価が出る

それと直接は関係ないが...
かつて自分がとんでもない失敗をしたとき、私は深く申し訳ないと思ったが、同時に収める手順の鮮やかさに感動して、深く感謝した。

どんな事象でも0-10というのはほぼ無い

例えば事故があったとして、どんなに道義的に相手が悪い事であったとしても、大局的にそれを避ける方法があるなら、それを避けるべき。そのような意味で、0の責任という事は絶対にないし、立場によってその重み付けも変わってくる。見る立場によって変わる。

仕事にはある種の忍耐ゲームの側面があり、耐えていれば勝手にどんどん信頼される

普通に仕事をしていると、そのうち相手がミスをする(自分もミスをするが)。
このミスを助けると、信頼が生じる。
必ずしもミスに限った事ではないが、とにかく外乱のようなものが生じた時に、それを耐え抜いてやり抜くことでどんどん信頼が育っていく。
逆に、手を抜いて仕事をすると、そこで一気に信頼がなくなる。これはバグがテストをしたところから出ないのと本質的に多分おなじ。

仕事は定常的な作業をこなしながら段取りと自然発生する課題を解決するゲーム

定常的に発生する作業、例えばまんじゅう屋さんであればまんじゅうを作るという事と、それとは別に機器の破損とか消費税増税とかイベント的に発生する課題に対応していく(課題に対応できない事もある)。
定常作業になりきっていないものについては、まずそれを解決するための段取りをする必要がある。

自分の仕事を客観的に他の職業と比較する

ソフトウェア開発者という枠組みだけで考えず、例えば医者では?弁護士では?救急隊では?ふつうのエンジニア(ソフトウェアでない技術者)では?といった考え方で自分の仕事を捉えようとする。相対化して考える。
テストをするときに幼児用玩具を思い浮かべたり、障害の影響について医者を思い浮かべたりするのはこの考え方。
(もちろん単純な同一視はできないが、例えば客観視して恥ずかしくないか、みたいなこと。職業倫理とも関係する。)

チームの生産性を上げたい

具体的な行動としては、メンバー間の情報の共有を促す・発信していく、定義書から自動生成するマクロを進んで作る。

おまけ:なぜこれを記録したか

こうした事を考えながら得た経験は、私自身かけがえのない財産であると思っています。しかし色々と苛烈な部分もあったので、苛烈な部分を取り除いて仕事をしたいと思っていました。
ただ、最近、自分が過去にやって厳しかったなと思うことを取り除き過ぎたことで、かえってそれが成長を阻害していたと思う場面がありました。全てが正解ではないという前提で、でも今の一分一秒をこう思って仕事をしている人も居る中で、自分はどうやってそれを超えていくのかを考える、みたいな事が必要だったかなと思ったりして、それで記録をのこしました。
これと同じ事をする必要はなく、結果的にこれを超えれば十分で、ただし現実にこういう事を考えて仕事をしている人はいる、というような事でした。

お仕事シリーズ
https://zenn.dev/339/scraps/9dda65e4692d79

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