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0→1とか1→10で知っていると得すること - 執念と知とMP

2023/05/14に公開

私が個人的に0→1や1→10のフェーズで知っていて得をした(と感じた)ことをまとめます。
なんかひたすらMPと連呼する変なおじさんになってしまった

精神的・感情的な疲弊をさける、MPを大事にする

0→1や1→10で結果に大きく影響する支配的な要素として、"体力"ないし"スタミナ"と呼ばれるような、行動力的な要素があります。しかし、この行動力の本質というのは、私が思うには、筋力とか身体的な体力(?)というよりは、精神力的なものです。つまり、主観的に楽しければ/充実していれば(そして若ければ?)、まあ体力の限界が来ても寝たら復活できるのですが、主観的に悩み事が多かったり、ハードな判断あるいはハードでないけど微妙に難しい判断みたいなものを大量にやっていると、精神力みたいなものが枯渇してすぐに動けなくなります。
組織が整っていない場合、言い換えると定型業務が決まりきっていない場合、あらゆる物事について個別の判断をする必要が生じます。そうすると、ガリガリと"MP"が削られていきます。"MP"が減ると、とりあえず息をするみたいな事しかできなくなり、クリエイティブな発想ができなくなり、やるべきことが決まっているようなタスクについても普段より時間がかかります。
私の場合は、このMPこそが行動において最も支配的・制約的な要素で、とにかく判断を自動化したり、明示的な判断を挟まずに行動できることを増やすなどして、MPを無駄に減らさないようにすることが大事でした。

いつかやらないといけないことは、"なるべく"即時でやる

若干矛盾するようにも見えますが、誰かに対する応答など、いつか必ずやらないといけないことについてはなるべく即時で対応します。これは、記憶領域を空けるという目的と、付随するタスクを増やさないという目的があります。
やらないといけないことが貯まると、何もやっていないのにMPが消費されるという謎の状態になったり、定期的に無意味な棚卸しをすることになったりするので、その場ですぐに答えて終わることはその場で完結させます。また、障害対応などは、対応を遅らせれば遅らせるほど手間が増えることが多くなります。そのような種類のタスクも、極力即時でやって後の手間を減らします。
ただし、タスクの種類によってはまとめた方が効率的という事もあるので、その効率の計算はほとんどMPを使わずにやれるように練習します。
(もっとも、私の場合は、この即時対応ができない種類の対応になると、どうしても長期的に積んでしまう傾向があり、ものによっては無限に積まれてしまう場合があるので課題があります...)

自分だけで決められる/決めるべきことと、自分だけでは決められないことの線引きをして、現実と認識を一致させる

いろいろな判断について、自分だけでできるのか、それとも誰かと相談しないといけないのか、という事を"構造的に"把握するようにします。構造的にと言っているのは、その判断について最終的に誰が責任を取るのかとか、誰が利害関係にあるのかとか、そういった意味での構造によって誰が判断をするかが決まるので、その構造を理解しましょうという意味です。
本来、自分で決められない事なのに自分の思うことと反する状態になったり、逆に自分で決めたくないのに決めさせられたりすると、MPを過剰に消費してしまいます。逆に、自分で思う通りに決めたり、他の人が決めるべきだと思っている事を実際に他の人に決めてもらって動いたりすると、MPの消費を抑えることができます。この現実(≒周囲から要請されること)と認識がずれていると、MPがどんどん減っていくので、現実と認識を一致させるようにします。

究極的な目的は同じだと信じる/同じだと信じられる人と仕事をする

他の人と意見が食い違うことがしばしばあると思います。この意見の食い違いという事象だけに極端にフォーカスすると、「なぜ自分の意見が相手に伝わらないのか/相手はわかってくれないのか」という憤慨を感じたり、「いちいち説得をしないといけないので疲れる」みたいな精神状態になって、MPが減ります。
このような場合には、「他の人は持っている知識や前提の違いなどによって表面的な意見は異なるものの、本質的・究極的にやりたい事は同じはずだ」「方法論としての意見は違っていても、目的は同じはずだ」などと信じる事によって、建設的な話し合いに転化したり、相手のことを一度信じて託してみたり、といった手段を取れるようになります。
当然ですが、この方法が通じる人ばかりではなく、根本的にそもそも目的が異なる場合なども一般には存在すると思いますが、それを避けることでMPの消費を抑えることができます。

判断を自動化する、その為に振り返りをする

慣れない物事について判断をしようとすると、特に大きくMPを消費します。例えば、システムを全く外注したことのない立場で、見積をもらって外注先を選ぼうとすると、何を比較していいかわからなかったりして、的はずれな情報なども集めて大量の情報から判断をする事になったり、逆に不足した情報の中で論理的な飛躍を含む判断をする事になったりします。しかし、何度か繰り返すことで、どういった情報が必要なのかが構造的に分かるようになり、比較検討表をまとめる事がうまくなったりします。
こうした判断にかかるMP消費を抑えていくためには、判断を定型化、自動化していく事を意識して、判断を技術として整理します。 これは、スポーツで型を覚えるのと同じように、判断の型を技術的に覚えるということです。スポーツの場合には体の動きが含まれますが、一般的な判断の場合には複雑な体の動きは不要で、前提となる認知と、それに対する理屈によって判断を説明できます。これを振り返るようにします。
重要なのは振り返りをするタイミングで、スポーツの技術との大きな違いとしては、判断をした瞬間には結論がすぐにはわからないという事があります。そのため、判断をしたときには「このような前提からこういう判断をした」という事実と、思い出すときのフックになりやすい感情をいくつか添えて記録しておいて、後で判断が正しかったかを振り返ることで、判断が正しかった/正しくなかったという事を定着させるようにします。
振り返りをタスクとして意識しすぎると、それに対するMP消費が生じる可能性があるので、「振り返りをするタスクがある」というような意識は個人的にはあまり持たない方がいいかなと思います。個人的には、何かの"結果"が出るたびに、その結果をトリガーにしてその場で判断を振り返って、そして忘れる(重要なタスクとしての意識からは外す)という事がよいのではないかなと思います。何かを決めたり、決めないといけないと意識し続けるとMPが減りますが、出来事をトリガーに記憶を思い出すだけならMPは減りません。

判断についての一般論ですが...我々は散歩をするとき、脚、ひいては体全体を動かして歩きます。実際にはその行動の中には様々な判断が含まれているはずですが、ほとんどの人においてはその判断は自動化されていて、半無意識的に歩けていると思います。一般的な物事の判断についても、なるべくこのような自動化された状態に持っていって、MPを消費しないようにする事が重要です。呼吸をするようにある種の判断ができるようになる、というような状態を目指します。

「ボトルネックは何か」を常に問い続ける、ルールを把握する

0→1や1→10の仕事は、ある種の最適化をするゲームとして捉えられる側面があります。
つまり、新しい仕事のモデルをつくり、整理されていない仕事を整理して、湧いてくる課題も整理して、大量の判断を繰り返しながら、実際にこなす仕事の量や質などを最適化していくゲーム とみなせるということです。その場合、最適化のための制約=ゲームのルールを理解して、現在のボトルネックが何かという事を問い続ける必要があります。アウトプットをよくするためには、その一番の制約になっている箇所を改善することが必要だからです。
このルールがわかっていないと、全然ボトルネックと関係ないのにとりあえず人を増やしてみたりとか、プロダクトを売る算段がついていないのに資金を調達してみたりとか、在庫やそれに類するものが過剰になって不要なコスト・無駄が発生したりとか、そういった事が生じます。
一般にMVP(Minimum Viable Product)をまず作るというのも、全体のボトルネックにならない程度の必要十分なプロダクトをまず作る、という考え方として理解することができます。

ちなみに、私がこのフェーズで感じたボトルネックは大量の判断やMPの部分だったのですが、もし製品規模を大きくすると判断やMPに対してより負荷がかかるようになります。そのため、仮にお金が無尽蔵にあったとしても、過剰なプロダクトを作ることは最適化において逆効果になる と思いました。
(もちろん、私が感じたのとは別のところにボトルネックがあって、判断はいくらでも拡張できるというような状況であれば、製品規模をどんどん増やす判断はあり得ると思います。特に、製品についての判断を特定の個人が行わないといけない、みたいな状況を脱しているとすれば、有効に機能する可能性はあります。)

このボトルネックを問うという行動自体も自動化して、MPを消費せずに行えるようになるとよいと思います。

事前の見積はどんぶり勘定であったとしても、定量的な振り返りはできるしやる

0→1などのフェーズで、万事について事前に正確に見積をすることはおおよそ不可能であると思いますし、見積の正確性を上げることが全体の最適化につながるかどうかも非自明です。
ただ、それはやる前の見積の話であって、やった後に事後的に定量的な振り返りをする事は可能です。
例えば、仮にプロダクトの開発を外注していたとしても、実績としてどれぐらいの費用がかかったとか、どれぐらいの障害が発生したとか、そういった事は最低限の記録があれば後付で追いかけることができます。仮にまとまった表がなかったとしても、取引先や顧客との連絡(メールやslackなど)を元にざっくり障害を計算することはできますし、それを元にして障害の内容を分類して考察をすることなどはできます。
事前の見積の正確性と、事後の振り返りについては直接的な関係はなくて、後者単独で実施できます。
むしろ、どんぶりが妥当であったか否かの評価をするためにも、事後的な振り返りには意味があります。それによって、今後の見積にある種の正確性が生まれたり、戦略的に必要なことを取捨選択したりできるからです。

この振り返りについては、ある程度のデータが蓄積した上での定量的な振り返りが重要になるので、案件の終了や障害の発生をトリガーにするだけではなくて、定期的に振り返るようにした方がよい と思います。これは行動を自動化する事が目的ではなくて、戦略の正当性の評価や、次の戦略の検討などが目的になるからです。

このような振り返りでMPを使わないようにするためには、振り返り自体を楽しむという事があります。
定量的な振り返りをすると、感覚が数値によって説明されたり、思ってもいなかった事に気づいたりという知的好奇心を刺激するような面白さがあります。これを楽しめるようになると、HPは使ってもMPはあまり使わなくなるので、振り返りに伴う楽しい側面を強く意識するようにします。

また、こうした振り返りを共有する際には、変に感情が入り込んでしまわないようにするのも重要です。事実と数値で定量的に振り返るようにします。

フェーズが変わるとコスト構造が変わる

0→1や1→10では、いかにコストを抑えながら、かつすばやくプロダクトを作るかという事が重要になりがちですが、その後のフェーズでは単にコストを抑える事よりも別に考えないといけない事が増えます。
例えば、ごく単純な話をすると、サービスの安定性を高めるために冗長構成を取るようになれば、普通に考えればコストは増えることになります。0→1などのタイミングでは、トラック係数が1という状況が当たり前にあると思いますが、トラック係数を増やすということは冗長性を高めるという事なので、そのような意味でコストは増えます。

ただ、実際にはコストについての計算は難しくて、人が増えた方がそれぞれの知識の重ね合わせによって品質が向上するような場合もあり、一概にコストが増える/減ると言い切ってしまう事はできないのですが、少なくともコストの構造や意味は大きく変わります。例えば、手を単純に動かす速さよりも、持っている知の深さが重要になる、といった違いが出てきます。
また、コスト構造と合わせてボトルネックも変わります。同じプロダクト開発という事をしているはずなのに、ゲームのルールはどんどん変わっていく事になるので、面白いですね。これは、理屈としてはまあそうだろうと思うのですが、実際に体験したり、色々考えて納得したりすると、言葉から受ける印象と実際は全然違うなあと思いました。

このコスト構造の変化については、逆の言い方をすると、「事業として成長させたい場合は、コスト構造の変化を計画に織り込んでおかないといけない」という事でもあります。ずっと0→1や1→10と同じ感覚ではうまくいかないという事ですね。

執念と知が最終的な品質をつくる

プロダクトの品質を決める要素は、究極的には執念と知の2つの要素だと思います。
つまり、技術的なノウハウなどの知識があるかないかで品質は上下しますし、それと半ば独立な要素として執念があって、どこまで執念を持って取り組むかによっても品質は上下するということです。
状況によっては片方だけでもうまく行く場合もあると思いますが、両方あるに越したことはなく、両方ともが重要な要素だと思いました。

0→1や1→10のフェーズでは、すばやく作れることによって試せる仮説の量や機能的な品質が変わったりするので、作業を遂行できる量もまた重要ではあるのですが、長い目で見て最終的に品質を決めるのは、執念と知なのかなと思います。

このうち、知は特にMPとの関係性はないと思いますが、執念についてはMPの量や使い方と密接に関係しているように思います。例えば、こだわりに突き動かされて楽しく作業をしているときはMPの消費が少ない。こだわりが周囲の思惑と反して摩擦を生む場合にはMPの消費が多い。これだけはこだわりたい、という事にはつい勝手にMPを使ってしまう。執念は、どういう行動を実際に取るかという事に影響していて、つまりその判断にも影響をしているという事なのだと思います。

自分やチームの執念がどういう"形"をしていて、どこに執念があるのか、みたいな事を意識すると、MPの使い方を戦略的に考える助けになるかもしれません。

目の前の仕事をこなしながら、知を獲得する仕事の構造をデザインする

知が品質に影響するということは、品質を向上するためには知を継続的に獲得していくような仕事の仕方を考える必要があります。自分たちが最初から持っている知だけでは限界があるということです。
ここで知と呼んでいるものには、たとえばシステム開発に関する技術的な専門知識もあれば、その事業の領域における専門知識やノウハウなどもあります。これらの知を、チームや組織としてどうやって継続的に獲得し続けるかが重要になります。
厄介なのは、いくつかの断片的な知はしばしば矛盾したり、あるいは古くなった知が正しくなくなる場合があるということです。例えば、数学的な事実に関する主張は、それが一度定理として証明されれば間違っているという事にはならないですが、他の学術的な分野では、新しい学説が過去の学説を否定したり、あるいは相互に矛盾する主張のアウフヘーベン/ジンテーゼとして新しい主張が生まれたりします。数学においても、定義そのものを変更する事によって、数学的な事実そのものは変わらないが理論としての見通しが変わるといった事はあります。
システム開発の実践の場では、たとえばプログラミング言語の仕様が時を経て変わったりします。2007年のJavaにはラムダ式のようなものはなく、C#にはラムダ式がありましたが、2014年にはJavaにもラムダ式が導入されました。また、やはり2007年の時点で、varによる型推論はC#に存在していましたが、Javaには存在せず、Javaでは常に明示的に型を指定する必要がありました。このJavaの性質を静的型付けの一般的な性質と考えていた人もそれなりにいたと思いますが、実際には文脈から型が自明なはずの場合もたくさんあって、Javaにもvarによる型推論が2018年に導入されました。(型推論自体の概念は学術的には1970年代から存在していてMLに使われていますが)
こうしたプログラミング言語の"進化"は、プログラミング言語に関する常識をどんどん更新していくので、過去の経験から得られた知が誤った状態になる、という状況がどんどん生まれます。そのように誤った状態のままにならないためには、継続的に知を取り入れなければなりません。
これはビジネススキームでも同様で、一番わかりやすいのは法律が更新されていくことでしょうか。当初は規制が無かった領域に法的な規制が生じていくのはよくあることです。
このように、開発や事業に取り組んで得られるノウハウだけではなく、外的な環境等の変化に伴う知の変化も含めて、知を継続的に獲得し続けられるような仕事の在り方を設計しておかないと、後で苦労する事になります。こうした知の一つ一つの要素は、一度概念として整理されてしまえばものすごく難しいという事は少なく、ある程度の素地があれば、詳しい人と会話をすることで自然に取り入れられます。したがって、たとえば外部の専門家との接点を組織としてどう設計するか、といった事も重要になりますし、チームの内部で得られた知をどうやって共有できるような組織設計にするか、といった事も重要になります。
(ゲームのルールを把握する、という事が様々なレイヤーで必要になる構造は興味深いですね!)

むすび:人間を動かす感情と、ゲームルールを知ること

総じて、

  • 結局、人間は感情・お気持ちで動いている
    • MPが制約になる事が多く、MPを大事にする
    • 一部は執念として発露する
  • 一方でビジネスをある種のゲームとして捉えるとルール/規則性が存在していて、機械的に処理するとうまくいくことが沢山あるのでそれは機械的に処理できるようにする
    • こうしたルールの総体が知
    • 自動化できるように都度振り返りをする
    • 戦略の評価ができるように定量的に振り返りをする
    • コスト構造はフェーズによって変わる
    • 知を継続的に獲得できる構造をデザインする
  • これらのことに注意すると、"技術的に"0→1や1→10を捌きやすくなる

という事になるかなと思いました。

個人的な理解の仕方としては、まずゲームとしてのルールがあって、そのボトルネックがMPだったのでMPについての記述を増やしていったのですが、この辺の"順序"はどちらでもよいのかもしれません。

余談:格と執念ハック

さいきん私の中で「格を重要視する事」についての考察が深まっています。格を重要視する事の是非はさておき、その機能の一つは執念ハック、つまり感情にある指向性をもたせてコントロールすることなんだろうなと改めて思いました。上位の格(例えば東大)を目指すことで、ある種の知を得るというのが典型です。
ただし、実際には格に対する執念が良く働く場合も悪く働く場合もあり、また知と離れてしまうケースもあるので、一般的な評価は難しいですね。
手段として格を使うのが適切か否かはともかく、執念をハックできるという事は中々すごい事だなあと思います。うまく執念を生んでコントロールすることができれば、それは物凄い原動力を生み出すでしょう。

免責事項

  • N=1の話なので、誰にでも役に立つかはわかりません
    • ここに書いていない隠れた前提が存在していたり、そもそも事実として嘘だったりするかもしれません
  • 考え方を徹底しすぎると逆にダメージを受ける場合もあります
  • こういう構造やパターンがあると知っているからといって、常にそのとおりに振る舞えるわけではないです
    • ある種のゲームのルールについて説明しています

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