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「質問しろ」「自分で考えろ」のダブルバインドのメカニズムと解消法

2025/03/10に公開

この記事は、以前書いた記事知的な仕事の量と深さ - 10倍の成果とIQ、執念、知識、認知で説明した「ダブルバインド(ではないが、認知の中でダブルバインドとして捉えてしまう)」の部分に関する、メカニズムと解決方法の少し詳しい説明です。

事例

これは架空の事例です。
普段、Aさんは上司に対して敬意を持って作業をしていますが、うまく成果を上げることができません。Aさんは足を引っ張っているという自己認識をしており、上司の時間をあまり使いたくありません。それでも、上司からは「わからないことがあったら、すぐに質問をしろ」と言われてしまいます。
そこで質問をしようと思うのですが、上司の時間を無駄にしたくありませんし、質問を具体的にまとめてから質問しようと努力をしているつもりです。わからないことを質問しようとしているので、当然どのように聞けばよいかもわからず、かなり時間を使ってなんとか質問をまとめたつもりで質問をします。
ところが、上司からはその質問に対して「◯◯については考えたか?」という返答がありました。Aさんは、質問するまでに事前に考える量が足りなかったのだと思って◯◯のことを改めて考えます。 自分の中で自信はない のですが、◯◯を考えろというからには、◯◯に対しての自分の考えが誤っているということなのだと思い、自分の中で確信を持てないままに、一旦考えていたことと反対のことを答えます。そうすると、上司からは「その通り、次は事前によく考えろ」または「そうすると△△はどうなるのか?よく考えろ」と言われます。要するに、何にしても「よく考えろ」ということを言われてしまう(ようにAさんは感じる)のです。

  • 「すぐに質問をしろ」と普段から言われている
  • 質問をすることに対して努力をしているのに、質問をすると「よく考えろ」と言われてしまう

Aさんは努力をしているつもりで、質問を 一生懸命 しようとしているのに、結果は「よく考えろ」ということ。それで、さらに質問をすることに時間をかけると「すぐに質問をしろ」と言われ、質問をすると「よく考えろ」ということになってしまう。
このような事例について、そのメカニズムと改善方法を探っていきます。

前提:Aさんの仕事は何なのか

まず、前提として、仕事についてのメンタルモデルを合わせましょう。
Aさんの仕事は、形式的には一定時間勤務をすると給与が与えられる種類のものかもしれませんが、本質的な仕事の目的は一定時間勤務することではない、ということです。一定時間を職場で過ごせば給与がもらえるとしても、Aさんのすべきことは職場でただ時間を過ごすことではありません。
Aさんは、他の人の役に立つことをして、その対価としてお金を貰っています。もちろん、必ずしも直接的な結果が得られる場合ばかりではないでしょうが、他の人に対して価値を生み出す過程において何らかの貢献をすること によりお金を貰っています。

あらゆる瞬間に直接的な貢献はできない、長期的な最適を目指す

ここで重要なのは、Aさんの仕事のある瞬間を切り取ったとしたら、その瞬間は直接的に価値に貢献していると明言できない場合もあり得るということです。どういうことかというと、例えばAさんが上司などから教育を受けている場面だけを切り取ると、それはコストになります。教育は、その後により大きな効果を生み出せる、例えばAさん自身がその仕事をできるようになったり、Aさんがさらに別の人に仕事を教えて再生産を加速したりできるので、結果的にコストを上回る効果がある(という期待値を持っている)から行われます。
一般論として、ある一瞬で価値を生み出せているか否かということに注目しすぎると、その後の時間も含めて最適に振る舞うことができなくなります。将来の価値に繋げる努力はもちろん必要ですが、現時点での効率にばかり目を囚われて、単純に上司の時間を使わないことだけを考えるのは、全体最適ではない場合があります。今の瞬間に上司の時間を使ったとしても、その後取り返せるならば、それは意味のある投資です。自分の行動が意味のある投資であると言えるように真剣に取り組むならば、質問も教育も必要なことです。
それでもし質問の時間がたくさん必要になるとしたら、それは根本的に避けられない時間であると考えたほうが良いです。詳しくは後述しますが、今の質問は避けられないと思って、その後にどうやって恩を返すかを全力で考えましょう。特に、恩を返す相手は必ずしも上司とは限りません。新しい部下や顧客など、上司以外の相手も含めて、自分が環境から受けた恩を返すには、みんなを幸せにするには、ということを全力で考えましょう。

仕事の仕方を覚える仕事

上記のような意味で、「仕事の仕方を覚える仕事」がAさんに必要な仕事です。これは、一般論としての仕事のやり方を覚えるということもそうですし、今まさに直面している仕事の遂行について必要なことを質問して確認するということもあります。「すぐに質問をしろ」ということをAさんが何度も言われていて、かつAさん自身としても何らか改善が必要と考えているのであれば、一般論・個別の方法いずれにおいても適切な質問が必要ということでしょうが、その重要な目的は仕事の仕方を覚える ということです。質問をしたあとに仕事を進められるようにすることも当然必要ですが、それだけではなくて、仕事の仕方を覚える ということも必要です。

前提を踏まえたAさんのマインド

  • 他の人に対して価値を生み出す過程において何らかの貢献をする
    • みんなを幸せにするには、ということを全力で考える
  • 長期的に最適になることを目指す
  • 仕事の仕方を覚える必要がある

という仕事の前提を説明しました。これを踏まえて、質問をすることについて以下に述べるようなマインド・メンタルモデルを持ちます。

恥をたくさんかく、叱られるのを仕事だと思う

質問をすると、恥をかく場面が生じたり、内容によっては失望されたり、ひょっとすると叱られることもあるかもしれません。しかし、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥 といいます。仮に自分が誤った理解をしているとして、それが今この瞬間に修正されるのと、誤った状態で仕事をしてから後で修正されて仕事結果についても修正を加える(しばしば自分がいない場所で仕事結果を修正する)のと、どちらが全員にとって 良いことでしょうか?
後者の場合には、ひょっとするとAさんは離任していたりして、直接的に恥をかかずに済むかもしれません。そうすると、Aさんにとっては良い場合もあるかもしれませんが、関わる全員について考えたとき、どうでしょうか。先に挙げた前提として、自分ではなくみんな、全員ということを考えるならば、前者が必要なことです。そのような意味で、もし質問に対するブレーキに自分の恥といったことがあるならば、それは捨てましょう。そもそも、自分が離任するまでの間に恥と思う事象が発覚すれば、いま小さい恥をかくか、後で大きい恥をかくかの違いでしかないのです。自分のことを考えるだけでも、恥はさっさとかいたほうがいいし、そもそも判断の基準は自分ではなく関わる全員である、という構造があります。
これは、いわゆる昭和の根性論・精神論ということではなくて、恥をかきさえすれば早期に知識を身につけられて全体最適である、という構造の説明です。
加えて、本当に質問をして恥が発生することは実は少なく、質問をしないことで発生している恥の方が本当は多いと思います。ただ、そのような恥は直接フィードバックされることもなく、自分の知らないところで静かに広がっているでしょう。

(質問の瞬間ではなく)事前に必要な認知を揃えて恥をかかないようにする

ある時点で知識が足りていないとすれば、それはすぐに恥をかいた方がよいですが、一方でそもそも恥はかかない方が良いです。「恥をかいたほうが良いと言ったのに、恥をかかないほうがよいとはどういうことだ」という、まさしくダブルバインドに聞こえるようなことを言っているように見えると思いますが、これは丁寧に解釈していきましょう。
先に「恥をたくさんかく」と述べたのは、知識が不足していて質問が必要な場合にどうするか、という主旨のことです。これは、大きな交通事故を起こしたときに救急車や警察を呼ぶべきか否か、ということと似ています。大きな交通事故を起こしたら、救急車や警察は呼ぶべきです。そこに呼ばないという選択はありません。一方、「救急車や警察を呼ぶ(必要がある)ようなことをするな」というのも、それが「大きな交通事故を起こすな」という意味であるとしたら、全く妥当で必要なことです(言い方が良いかは別として)。これを踏まえて、事前に必要な知識を揃えて恥をかかずにすむ・質問をたくさんせずにすむ状態にすることもまた重要である、というのが言いたいことです。
重要なのは、ここでいう事前というのは、質問を作る瞬間や、その直前のことではありません。もっと前、例えば質問したいタスクを任される前から、質問をしなくてすむぐらいの知識を持ち、また認知を合わせておこう、ということです。

一般論として、ダブルバインドと思える指示の裏側には、このような「コンテキスト(文脈)の違い」が潜んでいます。交通事故と救急車・警察のたとえ、「大きな交通事故を起こしたら救急車・警察を呼べ」「救急車や警察を呼ぶようなことをするな」の意味がわからない人は少ないと思いますが、(仕事をするうえで)「恥をたくさんかけ」「恥をかかないようにしろ」と言われると、これはダブルバインドになってしまうでしょう。しかし、その言葉が出た背景や文脈を読み解いて

  • タスクに取り組む時点でわからないことがあれば、質問をして、恥をかくことを恐れるな
  • 一方でそもそもタスクに取り組む時点で、なるべく恥をかかずにすむように認知を合わせた状態にしろ

ということであったなら、それはダブルバインドにはなりません。ダブルバインドに感じるときは、「ダブルバインドと思える発言がどういう文脈で生じたものか」「明示されていないコンテキストの違いがないか」ということを考え、ときに質問することも重要です。

質問の目標をタスクの完了ではなく、自分の理解・理論構築にする

質問の回答を通してどうなりたいか?という目標についてですが、「タスクを完了させるために質問する」という目標設定ではなく、「自分自身が対象を理解して、自分の中で理論構築し、仕事の仕方を覚える」ということを目標にします。これは、「その仕事の専門家がどう考えて どう応答するかを把握して、全く同じように考えて 応答できるようになる」「その仕事を一番上手い人がどう考えて どう応答するかを把握して、全く同じように考えて 応答できるようになる」という表現もできます。質問を通してタスク完了のための目先の回答は当然得られますが、その目先の回答を理解しないまま使っていたのでは、本質的にコピペプログラマと同じです。コピペプログラマがダメなのと同程度に、目先の回答を理解しないまま使うのもダメです。自分の中で理論を構築する必要があり、特にすでに間違った理論を作ってしまっていた場合にはアンラーンしたうえで学習する必要があります。

一度の質問に詰め込みすぎない

質問を頑張って書かないといけないとしたら、そもそも質問したいことをよく理解できていない可能性があります。そのような状態で一つの質問に無理に内容を詰め込みすぎると、

  • 相手の人からも質問自体を理解できない
  • 質問の最初の方で前提が違ってしまっていて、後の方の部分がすべて無駄な妄想になっている

といったことが発生しがちです。そのため、無理に頑張って質問を書こうとするのではなく、単純な質問を通して自分の中で理解を育てていくことを目標にします。

「よく考えろ」の意味、ダブルバインドのメカニズムの詳細

ここで、今までに述べたことを踏まえて架空の事例を読み解いてみましょう。

普段、Aさんは上司に対して敬意を持って作業をしていますが、うまく成果を上げることができません。Aさんは足を引っ張っているという自己認識をしており、上司の時間をあまり使いたくありません。それでも、上司からは「わからないことがあったら、すぐに質問をしろ」と言われてしまいます。

この部分については、いま直ちに足を引っ張っているという自己認識とは関係なく、まず仕事の仕方を覚える必要があり、そのうえで全体最適のために質問することが必須であること、またタスクを振られるずっと前などのタイミングにおいて質問せずに済むように知識や認知を合わせていくことが重要であることを説明しました。また、一つの質問を複雑にしすぎず、単純な応答を重ねる、ということも説明しました。

そこで質問をしようと思うのですが、上司の時間を無駄にしたくありませんし、質問を具体的にまとめてから質問しようと努力をしているつもりです。わからないことを質問しようとしているので、当然どのように聞けばよいかもわからず、かなり時間を使ってなんとか質問をまとめたつもりで質問をします。

これは、努力が若干ずれている部分があり、最低限会話が成立する程度の質問は作るにしても、上記のとおり単純な質問をしたほうが結果的に時間は短くなります。
この後の部分

ところが、上司からはその質問に対して「◯◯については考えたか?」という返答がありました。Aさんは、質問するまでに事前に考える量が足りなかったのだと思って◯◯のことを改めて考えます。 自分の中で自信はない のですが、◯◯を考えろというからには、◯◯に対しての自分の考えが誤っているということなのだと思い、自分の中で確信を持てないままに、一旦考えていたことと反対のことを答えます。そうすると、上司からは「その通り、次は事前によく考えろ」または「そうすると△△はどうなるのか?よく考えろ」と言われます。要するに、何にしても「よく考えろ」ということを言われてしまう(ようにAさんは感じる)のです。

この「よく考えろ」について、可能性を列挙していきます。重要なのは、これはあくまでも架空の事例であって、実際の事例ではないということです。具体的な実際の事例では、別の意味があるかもしれないので、詳しくはコミュニケーションを取って解決するようにします。

質問自体は否定せずに、単純によく考えろと言っている

そもそも、質問するという行為自体を根本的に否定されていないケースがあります。観点Xについてよく考えろと言っているが、質問自体は適切である、というようなケースです。この場合、次に考えるべきことは「質問する前に(むやみに)よく考える」というよりは、「質問する前に観点X、またはXを抽象化した観点Yについてよく考える」ということです。
ここで、質問する前に自然に観点Xを考えられるようにするには、観点Xが自然と発想されるようにAさん自身が自分の中で理論を組み立て、かつそれが箸の使い方(または、その他の食器の使い方)と同程度に知識として馴染んでいる ということが必要になります。
この場合、当たり前ですが、Xについて考えるということは目的ではなく、あくまでも正しい答えを出すことが目的です。したがって、Xについて考えた結果正しい答えを導ける ということを何度か頭の中で繰り返して、同じ質問に対して自然とXを考えて正しい答えが出てくる、という状態にする必要があります。この場合のよく考えるというのは、時間を費やす・苦労するということではなくて、質的にXから正しい答えが自然と導けるようになるまで考えることを何度も繰り返す ということを意味しています。

このような場合には、以下の部分のAさんの行動は根本的にずれていることがわかります。

自分の中で自信はない のですが、◯◯を考えろというからには、◯◯に対しての自分の考えが誤っているということなのだと思い、自分の中で確信を持てないままに、一旦考えていたことと反対のことを答えます。

その場で上司の助けを得てAさんが答えに至ったとしても、そんなことには意味がないのです。長期的には、Aさんが自分で上司と同じように答えを出せる必要があり、そうなるためにどうしないといけないか、ということなのです。この行動パターンを改めなければ、「よく考えろ」と言われ続ける状態になります。

以前質問したことと同じことを質問しているので、よく考えろと言っている

これは質問自体に対する否定のニュアンスも含み得るパターンで、以前質問したことと同じことを質問しているというパターンです。人間なので、忘れてしまうということはどうしてもあると思いますが、一方でなぜ忘れるのかということをよく考えたほうがよいです。
ほとんどの人には、人生で一度しか体験したことがないのに強く思い出せるような出来事が一つはあるはずです。その人の心に残る、例えば感動した出来事というのは、それが一度の経験であったとしても、簡単にすべて忘れてしまうようなものではないのです。したがって、強い感動であったり、あるいは理屈として整理されていてかつ自分の経験や感覚と接続できるような知識は、簡単に全てを忘れるというようなことはないのです。効率的に忘れないようにするためには、単に暗記カードとにらめっこするだけではなく、自分がすでに持っている知識・自分の中で確立された理論と覚えたい事柄をうまく接続することが必要です。
あとは、「質問自体は否定せずに、単純によく考えろと言っている」の項で述べた対策もそのまま当てはまります。

何らかの観点でやばい質問をしているので、よく考えろと言っている

例えば、看護師が今まさに患者に投与している薬品について「この薬品の投与量は1gなんですか?10gだと思っていました」と言ったとしたら、どうでしょうか。その薬品の内容によっては、致死レベルの医療事故が発生する可能性がありますね。そのような場合、周囲の人物が「何を言っているんだ、よく考えろ」に類する発言をすることは普通に想像できます。ただ、このような状態の人に「質問をするな」とは言えないですよね。本当に知識が誤っていて事故を起こされたらどうにもならないので、質問はむしろ細かくしてもらったほうがよいでしょう。自分が入院している患者で、このような看護師がいる状態を想像してください。この看護師がもし仕事中に疑問を持ったとしたら、自己判断で行動することよりも、周りの人に質問をするなどして確実に業務を遂行してもらいたいですよね?
Aさんを客観視した場合に、ここまで極端なことではなかったとしても、専門家からすると似たようなことを質問しているのかもしれません。看護師や医師の場合には資格があり試験があるので、そうした質問が発生する頻度は相対的に低いと思いますが、他の資格が必要でない仕事、例えばシステム開発の場合には発生の頻度が相対的に多いと思われます。
このような場合は、対症療法的に質問をするのは当然ですが、知識を身につける以外の根本対策はなく、質問を増やしながら別で勉強をする ということが必要です。単純に足りていない知識や誤った知識を正しい知識として蓄積することが必要です。
単純に考えが浅すぎる質問や、いわゆる調べればすぐわかるような質問も、これに分類されると思います。

自分自身で考えて結論を出さないと意味がない(定着しない)と思い、よく考えろと言っている

これは、やはり表面的には質問を否定する要素がありますが、本質的には「質問自体は否定せずに、単純によく考えろと言っている」の亜種です。つまり、他の事象も含めた質問をすること一般が良くないということではなくて、理解して定着させるために考えることが必要なので、よく考えろと言っている、というようなパターンです。
具体的な対策としては、既に記載したものがそのまま当てはまるでしょう。つまり、よく考えろと言われた対象を観点Xとするならば、観点Xが自然と発想されるようにAさん自身が自分の中で理論を組み立て、かつそれが箸の使い方(または、その他の食器の使い方)と同程度に知識として馴染んでいる状態にする必要があり、ここでいうよく考えるというのは時間を費やす・苦労するということではなくて、質的にXから正しい答えが自然と導けるようになるまで考えることを何度も繰り返す ことを意味しています。

ここまで、「よく考えろ」の可能性を列挙してみました。実際には、いずれかのパターンに厳密に分類されるというものではなく、複合的に該当したり、あるいはここで記載したいずれでもないかもしれません。ただ、どのような場合にあっても、長期的な全体最適を考えた場合に質問をすること自体がマイナスになる場合はほぼ無く、長期的に貢献するつもりがあるならば、質問をしないということは根本的に間違っています。ダブルバインドの一般論で説明したように、表面的に矛盾するように見えたとしても、その発言をした人の中では異なるコンテキストがあります。聞き方を間違えると上司は爆発してしまうでしょうが(例えば、看護師の例と同じぐらいやばい質問をして「よく考えろ」とAさんが言われた直後に「質問しろという言葉と矛盾していませんか」と聞いたら上司が爆発する姿が想像できます)、落ち着いたタイミングでコンテキストを含めて何を言いたかったのか考え直す習慣をつけると、最終的にダブルバインドと思える事象を理解できると思います。

まとめ - ダブルバインドはどう解消できるか

この記事の内容をまとめます。
まず、Aさんが仕事というものをどう捉えるべきか、メンタルモデルの根本的な部分について、次のように考えました。

  • 他の人に対して価値を生み出す過程において何らかの貢献をする
    • みんなを幸せにするには、ということを全力で考える
  • 長期的に最適になることを目指す
  • 仕事の仕方を覚える必要がある

このメンタルモデルを踏まえて、以下のようなマインドを持ち「質問しろ」ということを解釈しました。

  • 恥をたくさんかく、叱られるのを仕事だと思う
    • いわゆる昭和の根性論・精神論ではなく、早期に知識を獲得する全体最適化の観点
    • タスクに取り組む時点でわからないことがあれば、質問をして、恥をかくことを恐れない
  • (質問の瞬間ではなく)事前に必要な認知を揃えて恥をかかないようにする
  • 質問の目標をタスクの完了ではなく、自分の理解・理論構築にする
    • 長期的な最適化(例えば自分が一人で上司の仕事をできるようになること)を目標とする
  • 一度の質問に詰め込みすぎない
    • 細かく単純な質問をして自分の中で理解を育てる

一方、「よく考えろ」を次のようなパターンに分類しました。

  • 質問自体は否定せずに、単純によく考えろと言われている
  • 以前質問したことと同じことを質問している
  • 何らかの観点でやばい質問をしている
  • 自分自身で考えて結論を出さないと意味がない(定着しない)と思われている

そのうえで、いずれの場合においても、一般的な行為としての質問が否定されているわけではなく、コンテキストによって「よく考える」という行為が必要になっていることを考えました。ここでいうよく考えるというのは、時間を費やす・苦労するということではなくて、対象となる観点Xについて 質的にXから正しい答えが自然と導けるようになるまで考えることを何度も繰り返す 、つまり 観点Xが自然と発想されるようにAさん自身が自分の中で理論を組み立て、かつそれが箸の使い方(または、その他の食器の使い方)と同程度に知識として馴染んでいる ということを意味しているのでした。

このように、「質問しろ」と「よく考えろ」の意味を理解すると、ダブルバインドが解消され、やるべきことがわかってくると思います。

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