ファイルサーバーのディレクトリ構造と政治
はじめに
DX推進やデータ基盤整備の文脈で、多くの組織がまず直面するのがファイル共有サーバーの整理ではないでしょうか。
一見すると、それは単なるファイルやフォルダを整理整頓するだけの単純作業に見えます。
しかし、いざ着手してみると、技術的な課題以上に根深い「壁」にぶつかることが少なくありません。
本稿では、その壁の正体、すなわちディレクトリ構造に映し出される組織の「政治」について考察します。
なぜファイル整理は進まないのか
「全社のデータを可視化する」という大義名分のもと、ファイルサーバーの棚卸しを試みたことがある方は多いでしょう。
各フォルダやファイルについて、管理者、利用目的、更新頻度などを問うアンケートを実施する。
しかし、返ってくる回答の多くは「不明」のオンパレード。
これは担当者の怠慢なのでしょうか。
最初はそう思うかもしれません。
しかし、カオスと化したディレクトリを注意深く観察すると、それが極めて合理的な自己防衛と、組織の歴史そのものであることが見えてきます。
例えば、ある部署の共有フォルダには「田中さん(引継ぎ)」といった名前のディレクトリが何年も鎮座しています。
田中さんが退職して久しいにもかかわらず、誰もそれを動かすことができません。
なぜなら、その中には売上報告の要となる「神Excel」が存在し、そのマクロやVLOOKUP関数の参照先には \\fileserver\営業部\田中さん(引継ぎ)\data.csv
のようなサーバーパスが情け容赦なくハードコーディングされているからです。
フォルダ名を変えたり、階層を移動させたりした瞬間に、業務の根幹が停止する時限爆弾。
そして、そのExcelの全容を解析できる人間はもはや存在しない。
結果、そのフォルダは誰にも触れられない「聖域」と化し、責任の所在は「不明」のまま未来永劫そこにあり続けるのです。
また、組織改編で統合されたはずの「旧Aチーム」と「旧Bチーム」のフォルダが、新しい「統合チーム」のフォルダと並行してアクティブに使われている光景も珍しくありません。
これは新しい体制への無言の抵抗であり、旧来のワークフローへの固執の表れです。
ディレクトリ構造そのものが、水面下で続く派閥の境界線として機能してしまっているのです。
tmp、work、個人名といった無数のフォルダの存在も示唆に富んでいます。
これらは責任の所在を曖昧にするための、いわばデジタルな緩衝地帯です。
所有権を主張した瞬間に、そのフォルダ内の過去全てのデータに対する管理責任を負わされる。
そうした暗黙のルールを理解しているからこそ、誰もが「自分は関与していない」というスタンスを保つために「不明」と回答するのです。
我々はどう向き合うべきか
こうした状況を前にして、我々エンジニアやIT担当者は「パスは相対パスにすべき」「データソースはDBで一元管理すべき」といった技術的な正論を振りかざしがちです。
もちろんそれは正解です。
しかし、その正論は、複雑に絡み合った人間関係や歴史的経緯の前では無力です。
まず取り組むべきは、ディレクトリ構造という「地層」を読み解くことです。
どのフォルダが、どの業務と、どの神Excelと、そしてどの人間関係と強く結びついているのか。
アンケートで「不明」と返ってきた場所にこそ、組織の最もクリティカルでウェットな部分が隠されています。
ヒアリングを通じて、そのExcelが動かなくなると「誰が」「具体的に何に」困るのかを一つひとつマッピングしていく。
それは、技術的な依存関係の解析であると同時に、組織の力学を理解するプロセスに他なりません。
おわりに
ファイル共有サーバーの整理とは、ファイルを移動させることではありません。
それは、組織の歴史を紐解き、業務のブラックボックスを解き明かし、時には部署間の見えない壁を取り払う、壮大なコミュニケーション・プロジェクトです。
技術的なスキル以上に、人と対話し、背景を理解し、変化を恐れる人々の不安に寄り添うソフトスキルが求められます。
もしあなたが今、この混沌としたディレクトリ構造と格闘しているのなら、それは単なるファイル整理ではなく、組織の文化そのものを変革しようとしている証拠なのかもしれません。
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