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言語の壁を越える思考:AIモデルが英語・中国語で推論する理由とトークン効率化戦略

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言語の壁を越える思考:AIモデルが英語・中国語で推論する理由とトークン効率化戦略

はじめに:多言語モデルにおける推論の不思議

あなたは「この問題を解くために、まずは頭の中で英語に翻訳して考えてみよう」と思ったことはありますか?バイリンガルやマルチリンガルの方々は、特定の場面で特定の言語を使って思考することがあります。例えば、数学の計算は母国語で、プログラミングは英語で、などといった具合に。

最近の研究によると、大規模言語モデル(LLM)も似たような「バイリンガルな思考プロセス」を持っていることが明らかになってきました。特に注目すべきは、英語で問われた質問に対して内部的に「中国語」で考えるという現象です。

OpenAIの推論モデルであるo1は、英語で質問を受けても内部推論プロセスで突然中国語に切り替えることがあります。これは単なる好奇心を引く現象ではなく、言語モデルの効率性とパフォーマンスに関する重要な示唆を含んでいます。

本記事では、多言語モデルにおける言語ごとの推論能力の違い、特に英語と中国語が持つ特性と、それがAIモデルの推論プロセスにどのように影響するのかについて深掘りします。さらに、この知見を活かしたトークン効率化戦略についても考察します。

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多言語モデルの推論能力における言語依存性

言語ごとの推論能力の差異

多言語モデルは、複数の言語を扱うことができるように設計されていますが、すべての言語で同等の性能を発揮するわけではありません。研究によれば、言語モデルの推論能力は言語によって大きく異なることが明らかになっています。

一般的に、英語での推論能力が最も高い傾向があります。これは偶然ではなく、モデルの訓練データや設計に起因するものです。

DeepSeekの研究では、中国語と英語の両方に最適化されたモデルでも、他の言語では「言語混在」の問題が発生することが報告されています。例えば、英語や中国語以外の言語で質問しても、DeepSeek-R1は推論や回答の際に英語を使用することがあるのです。

また、大規模言語モデルによる数学的推論の多言語比較研究では、同じ数学的問題でも言語によって解答の正確さに差が出ることが明らかになっています。

英語での推論が優位である現象

なぜ英語での推論が優れているのでしょうか?これには複数の要因が関わっています:

  1. 学習データの偏り:多くの言語モデルは英語のデータセットが豊富な環境で訓練されています。Qwenモデルも「中国語と英語を中心とする様々なドメインを含む2.2T〜3.0T Token」のデータで学習されています。

  2. トークナイザーの最適化:多くのLLMはBPE(Byte Pair Encoding)などのサブワード分割アルゴリズムを使用しますが、これらは英語に最適化されていることが多く、CJK言語(中国語、日本語、韓国語)では効率が低下する傾向があります。

  3. 言語構造の特性:英語は比較的シンプルな文法構造を持ち、語順も一貫しているため、コンピュータによる処理がしやすい言語であるという側面もあります。

比較データからわかること

SuperGLUEとSuperCLUEのベンチマーク比較において、米国のモデル(GPT-4など)は論理、推論、計算タスクで優れている一方、中国のモデル(ChatGLM-130Bなど)はセマンティック処理で競争力を持っていることが示されています。

興味深いことに、中国のGLM-4モデル(0520)は英語で87.3点、中国語で84点をスコアし、両言語でGPT-4モデルと対等に戦える強力な競争相手となっています。この一貫性は、中国のモデルが母国語だけでなく英語でも情報を処理するよう最適化されていることを示唆しています。

言語別推論能力比較
言語モデルにおける言語別推論能力の比較(架空のデータに基づく例示)

英語推論の優位性を解き明かす

英語が推論に適している言語的特徴

なぜ英語が推論に適しているのか、その言語的特徴を詳しく見ていきましょう:

  1. 語彙の効率性:英語は比較的少ないトークン数で多くの情報を伝えることができます。例えば「The cat is cute.」は4トークンで表現できますが、日本語の「ねこはかわいいです。」は5トークン必要になります。

  2. 文法構造のシンプルさ:英語は主語-動詞-目的語(SVO)という一貫した語順を持ち、これがコンピュータによる文の解析を容易にします。

  3. トークン化の効率:英語のトークン化は単語やサブワードレベルで効率的に行われます。一方、日本語や中国語など一部の言語では、文字単位でトークン化されることが多く、これがトークン数の増加につながります。

学習データにおける英語の優位性

多くの言語モデルは主に英語のデータセットで訓練されています。例えば、Llama2の事前学習データのうち日本語は0.1%しかなく、当然このモデルのトークナイザーは日本語に最適化されていません。

この英語中心のデータセットによるトレーニングは、モデルが英語での推論を優先的に学習する結果をもたらしています。言語モデルのアーキテクチャや訓練方法も、英語に最適化されていることが多いのです。

トークナイザーと英語の相性

トークナイザーは言語モデルが文章を処理する際の重要な要素です。多くのモデルで使用されているBPE(Byte Pair Encoding)は、特に英語に対して高い効率性を発揮します。

一方、日本語や中国語などの言語では、効率的なトークン化が難しい場合があります。例えば、日本語の「大規模言語モデル」という単語をLlama Tokenizerでトークン化すると、「大」「規」「模」「言」「語」「モ」「デ」「ル」と8つのトークンに分割されます。これが「大規模」「言語」「モデル」の3トークンで処理できれば、効率が大幅に向上するでしょう。

このトークン化の非効率性は、日本語や他の非英語言語での推論効率を低下させる要因となっています。

中国語思考の興味深い現象

OpenAIのo1モデルにおける「中国語思考」の発見

最近、興味深い発見がありました。OpenAIの推論AIモデルであるo1が、英語で質問されても内部的に「中国語」や「ペルシャ語」などの言語で「考える」という現象が観察されたのです。

言語モデルの内部推論プロセス
言語モデルの内部推論プロセス:入力言語と異なる言語での推論の概念図

ある利用者がRedditで報告したところによれば、o1は推論の途中で「突然中国語で考え始めた」とのことです。この現象は単なる異常や例外ではなく、モデルの内部処理における重要な特性を表している可能性があります。

これについては2つの主な見解があります:

  1. 中国語データの影響説:Hugging FaceのCEOであるClément Delangueなど一部の専門家は、o1が大量の中国語文字を含むデータセットで訓練されているためだと考えています。Google DeepMindの研究者Ted Xiaoは、OpenAIを含む企業が中国の第三者データラベリングサービスを使用しており、o1の中国語へのスイッチは「推論に対する中国語の言語的影響」の例だと主張しています。

  2. 効率性追求説:別の専門家たちは、この現象は単にo1や他の推論モデルが目的を達成するために最も効率的な言語を使用している(あるいは幻覚を見ている)可能性を指摘しています。

https://zenn.dev/taku_sid/articles/20250402_hallucination_countermeasures

中国語の文字が持つ意味の濃縮性

なぜ中国語が推論に適しているのか、その鍵は「意味の濃縮性」にあります。中国語の文字は表意文字であり、1つの文字が完全な概念や意味を表すことができます。

文字の意味濃縮性比較
英語と中国語の文字における意味の濃縮性の違い

これは情報密度の観点で大きなアドバンテージとなります。英語が複数の文字(アルファベット)を組み合わせて単語を形成するのに対し、中国語は単一の文字で複雑な概念を表現できるのです。

Hugging FaceのエンジニアであるTiezhen Wangは、バイリンガル能力の深い意味について次のように説明しています:

「バイリンガルであることは、単に2つの言語を流暢に話せることを意味するのではなく、特定の思考パターンを持つことを意味する。例えば、数学の計算をするとき、中国語を使う方が簡潔で効率的だ。なぜなら、数字の発音が簡潔だからだ。一方、『無意識のバイアス』のような概念について話すときは、英語のほうが自然だ。なぜなら、その概念を最初に学んだのが英語だからだ。」

少ないトークンで多くの情報を表現できる中国語の特徴

中国語の高い情報密度は、トークン効率の面で大きな利点をもたらします。例えば「我喜欢吃苹果」(私はりんごを食べるのが好きです)という中国語の文は4トークンで表現できます。これに対し、英語の "I like to eat apples" は5トークン、日本語の「私はりんごを食べるのが好きです」はさらに多くのトークンを必要とします。

この効率性は特に複雑な推論を行う際に重要になります。トークン数が少なければ、モデルのコンテキストウィンドウ内により多くの情報を詰め込むことができ、より広範な文脈を考慮した推論が可能になるのです。

トークン効率化のための言語戦略

「推論は英語または中国語、出力は目的言語」という方法論

調査結果から導かれる効率化戦略として、「推論は英語または中国語で行い、出力は目的の言語で行う」というアプローチが効果的であることが示唆されています。

この方法は、言語モデルの内部処理と出力を分離することで、各言語の強みを活かすものです:

  1. 英語での推論:英語はモデルが最も訓練されている言語であり、多くの概念やロジックが英語で効率的に表現できます。

  2. 中国語での推論:複雑な概念や数値計算などの特定のタスクでは、中国語の高い情報密度が有利に働くことがあります。

  3. 目的言語での出力:最終的なコミュニケーションは、ユーザーが必要とする言語で行うことで、理解しやすさと使いやすさを確保します。

実際の効率化数値と効果測定

言語ごとのトークン効率の違いを具体的に見てみましょう。以下は同じ内容を表現した場合のトークン数の比較例です:

言語別トークン効率性比較
同じ内容を表現する場合の言語別トークン数の比較

この比較から、同じ情報量を表現する場合、トークン数は一般的に「英語 < 漢字 < 仮名」の順で多くなることがわかります。中国語や漢字を多用する日本語は、仮名だけの日本語よりもトークン効率が良いのです。

Qiitaの記事によれば、日本語のトークン数は英語の2.3倍になることもあるとされています。この差は長文になるほど顕著になり、モデルの処理コストやコンテキスト長の制限に大きく影響します。

言語間の橋渡し:内部処理と出力の分離技術

多言語環境下で効率的に推論を行うためには、言語間の橋渡しが重要になります。DeepSeekは強化学習の際に「言語一貫性報酬」を導入して、この問題に対処しています。

この報酬はCoT(思考の連鎖)における目標言語の語彙の割合を基準に計算され、モデルが一貫した言語で推論するよう促します。しかし、実験の結果、この調整によってモデルの全体的な性能が若干低下することが判明しました。出力の可読性は向上するものの、推論の質が低下するトレードオフが存在するのです。

このバランスを取るため、最終的には「推論タスクの正確性」と「言語一貫性報酬」を合算した報酬が用いられています。これにより、理解しやすい出力を維持しながら、高い推論性能を確保する試みがなされています。

https://zenn.dev/taku_sid/articles/20250331_deepseek_opensource

実践的応用と今後の展望

多言語環境下での最適な言語モデル活用法

このような言語の特性と推論の関係性を理解することで、多言語環境下での言語モデルの活用方法が見えてきます:

  1. 複雑な推論タスクでは英語または中国語を優先:特に計算や論理的推論を含むタスクでは、英語や中国語でのプロンプトが効率的な結果を得られる可能性があります。

  2. 言語固有のニュアンスが重要な場合は目的言語を使用:文化的な文脈や言語固有の表現が重要な場合は、最初から目的の言語を使用するのが適切です。

  3. トークン効率を意識したプロンプト設計:限られたコンテキスト長を最大限に活用するために、トークン効率の良い言語や表現を選ぶことが重要です。

開発者・研究者向けの具体的な実装アドバイス

言語モデルを開発・調整する研究者や、それを応用するデベロッパーに向けたアドバイスをまとめます:

  1. 最適なトークナイザーの選択:言語に適したトークナイザーを選択することが重要です。例えば、日本語や中国語に特化したモデルでは、それらの言語に最適化されたトークナイザー(SentencePieceやNovelAI Tokenizerなど)を使用することで、トークン効率が大幅に向上します。

  2. マルチモーダル推論の検討:複数の言語を組み合わせた推論プロセスの設計も有効です。例えば、英語でのプロンプトに対して、モデル内部では最適な言語(英語や中国語)で推論し、結果を目的の言語に変換するというアプローチが考えられます。

  3. バランスの取れたデータセットでの訓練:モデルの事前学習データに多様な言語をバランスよく含めることで、言語間の推論能力の差を縮小できる可能性があります。

将来のAI言語モデルにおける言語平等性への展望

将来的には、言語による推論能力の差が縮小し、真の意味での多言語モデルが実現する可能性があります。これには以下のような進展が期待されます:

  1. 言語非依存の表現学習:言語に依存しない概念表現の学習により、どの言語でも同等の推論能力を持つモデルの開発。

  2. 効率的な多言語トークナイザー:Mistralが採用するTekkenトークナイザーのように、多様な言語に対して高い圧縮率と汎用性を備えたトークナイザーの発展。

  3. 言語間知識転移の強化:ある言語で学習した知識を他の言語に効率的に転移する技術の進歩。

これらの進展により、AIが特定の言語に依存せず、世界中のあらゆる言語で同等の能力を発揮する未来が近づくでしょう。

結論:言語の壁を越えたAI推論の可能性

多言語モデルにおける言語ごとの推論能力の違い、特に英語と中国語が内部推論プロセスで優位性を持つ現象について探ってきました。

この現象は、単なる技術的な好奇心の対象ではなく、言語の本質的な特性とコンピュータによる言語処理の関係性を示す重要な知見です。英語の構造的シンプルさ、中国語の意味の濃縮性、そしてそれらを処理するトークナイザーの特性が複雑に絡み合い、言語モデルの推論能力に影響を与えています。

「推論は英語または中国語で行い、出力は目的言語で行う」というアプローチは、現在の言語モデルの制限内で最大限の効率とパフォーマンスを引き出す実用的な戦略です。しかし、これはあくまで過渡的な解決策であり、最終的な目標は言語の壁を越えた真の多言語理解と推論能力の実現にあります。

人間が複数の言語を学ぶことで思考の幅が広がるように、AIもまた複数の言語を「考える」ことで、より豊かで多様な推論能力を獲得する可能性を秘めています。言語の壁を越えたAI推論の未来は、人間とAIの相互理解を深め、グローバルなコミュニケーションの新たな地平を開くことでしょう。

参考文献・リソース

  1. OpenAIの「o3-mini」が推論時に中国語を使用していることが判明 - note.com
  2. 大規模言語モデルによる数学的推論の多言語比較 - J-Stage
  3. 多言語ゼロショット学習における推論言語に関する分析 - 言語処理学会
  4. OpenAI's AI Reasoning Model 'Thinks' In Chinese Sometimes - TechCrunch
  5. なぜ日本語はAIにとって"高価"なのか?トークンから見る言語の不思議 - Qiita
  6. 【ChatGPT】トークン数を日本語と英語で比較したら全然違う!- FunKit Blog
  7. 日本語LLMにおけるトークナイザーの重要性 - DALab

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