エンジニア組織における美徳の光と影
はじめに
こんにちは、しがないエンジニアの k_y16 です。
「技術力が高い」。
エンジニアにとってこれほどポジティブに響く言葉はないかもしれません。
私自身、そう評されることがあれば素直にうれしいし、目指したい状態でもあります。
けれど、幸福論的な思索に触れていて気づきました。
“良きもの”にも必ず影はあるということです。
お金や権力のようにわかりやすいものだけでなく、技術力や優しさですら例外ではない――そんな思考が頭をよぎりました。
善と悪はコインの裏表
幸福論の議論ではしばしば、善と悪は絶対的に分かれるものではなく、コインの表裏のように切り離せないとされます。
- 豊かさは安心をもたらすが、同時に嫉妬や争いの種にもなる
- 権力は意思決定を可能にするが、同時に重圧や孤立を招く
つまり「善」とされるものは、必ず「影」を伴っているのです。
現場に現れる“影”
この構造は組織の現場にも顔を出します。
-
責任感の強さ
プロジェクトで「自分が引き受ける」と決断する姿は頼もしい。
けれど気づけばその人にタスクが集中し、本人だけが疲弊していく。 -
優しさ
会議で「まずは相手を尊重しよう」と気を配る姿勢は美徳です。
でもその場の空気に引っ張られ、本音が語られないまま終わってしまうこともある。 -
スピード感
即断即決できるのは大きな強み。
ただし周囲の人が「ついていけない」と感じてしまうと、逆に溝が生まれる。
こうした“影”は誰かの落ち度ではありません。
むしろ美徳が強く出るからこそ、裏面が現れるのです。
技術力の高さという逆説
もちろん「技術力の高さ」にも同じ構造があります。
- 非エンジニアにとって「すごい人」に見えすぎて、声をかけにくい
- 部署横断プロジェクトで「その人がやれば早い」と頼られすぎる
- 結果的に“遠慮の壁”が生まれ、チームの対話が細くなる
ここでも言いたいのは「技術がある人が悪い」ということではありません。
むしろ光が強いから影も濃くなる――ただそれだけの話です。
どう向き合うか?
では、こうした逆説にどう向き合えばよいのでしょうか。
私は「光を打ち消す」のではなく、「影の存在を前提にする」ことが大切だと思っています。
- 責任感が強い人には、役割を分散する仕組みを
- 優しい人が多い場では、あえて「意見をぶつける時間」を設ける
- 技術力の高い人には、“誰でも話しかけられる存在”としての意識づけを
美徳を否定するのではなく、その裏面が現れることを見越して工夫する。
これが組織に必要な姿勢ではないでしょうか。
少し悩んでいる人へ
ここまで読んで、「自分には技術力も責任感も優しさも、勝てるところなんてない」と感じてしまう人もいるかもしれません。
でも安心してください。
美徳には必ず影があるように、逆に見れば影だと思っていた部分が、文脈によって光になる瞬間もあるのです。
ゆっくり考える人は拙速さからくるミスを避けられるし、強すぎない自己主張は場のバランスを整えることがあります。
つまり「比較して欠けている」と感じる部分も、別の局面では力になる。
だから「勝てるところがない」と思い詰める必要はありません。
光と影は常に表裏一体であり、それぞれが組織を支える大切なピースなのです。
おわりに
技術力、優しさ、責任感、スピード感。
どれもエンジニア組織にとってかけがえのないものです。
ただし「善」と信じ込んでしまうと、その裏にある影に気づけなくなる。
幸福論的な思索が教えてくれるのは、
あらゆる光には影があり、その両方を見据えて生きることが大切だという視点です。
私は、光を打ち消すのではなく影を前提に工夫することが、組織をより成熟させる道だと思っています。
強みが弱みに転じる瞬間をあえて意識する。
そのバランス感覚こそが、エンジニア組織を長く健やかに保つ鍵になるのではないでしょうか。

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