本当に心理的安全性が高い状態を望んでいるのか?
最近、「心理的安全性」という言葉がよく出てくるのですが、誤解していたり、話を聞いていてもやっとすることが多いので、自分の頭の中を整理するのも兼ねて、心理的安全性について思うところを書いてみます。
- 心理的安定性を正しく理解した上で、本当に心理的安定性が高い環境に身を置きたいと思っているのか?
- 本当に心理的安全性が高い環境に身を置く覚悟はできているのか?
心理的安定性とは?
心理的安全性とは、「psychological safety(サイコロジカル・セーフティ)」という英語を和訳した心理学用語で、チームのメンバー一人ひとりが恐怖や不安を感じることなく、安心して発言・行動できる状態のことを指します。
エドモンドソン教授は心理的安全性が不足している状態では4つの不安が生じると言っている
- 無知だと思われる不安
- 無能だと思われる不安
- 邪魔をしていると思われる不安
- ネガティブだと思われる不安
このような不安からどのような問題が発生するかというと、
- 無知だと思われる不安
- 不明点やわからないことがあっても質問しない
- 無能だと思われる不安
- 能力不足やミスを隠す
- 邪魔をしていると思われる不安
- 発言を控える
-
ネガティブだと思われる不安
- 否定的な意見をしない。結果としてきちんと議論されない可能性がある
個人的には、4つ目の「ネガティブだと思われる不安」が忘れ去られた状態で、心理的安全性が高い、低いについて話されていることが多いように感じています。
心理的安全性が高い状態を作る上での大前提
なぜ心理的安全性なのか
心理的安全性が高いとなぜいいのか?というとチームのパフォーマンスが上がるためです。
なので、そもそもパフォーマンスをあげる、つまり改善や今よりもっとよくしていこう、ということについて関心がない状態では、心理的安全性が高いとか低いとか話すのはちょっと違うのかなと思います。
また、パフォーマンスがあがると何が嬉しいのかというと、チームのアウトプットやアウトカムが増え、目標をより多く達成できる、ということになるかと思います。なので、チームの目標に共感し、目標を達成するためにチームに貢献したいと思っていることが前提として必要であると思います。
多様性(ダイバーシティ)
心理的安全性を考える上で、大事な価値観が多様性であると考えています。
多様性により、イノベーションを生み、様々な変化に対応することができます。
異なるバックグラウンド、異なる価値観や思考を持っている人を受け入れ、尊重する。そして異なる価値観を持つ人との関わりを面白いと思えることが重要です。
チーム全員が多様性という価値観に共感していないと心理的安全性が高い状態は作りえないと思います。
人間性とアイディア・意見を分離できるか
心理的安全性を高い状態にするには「ネガティブだと思われる不安」を解消し、違うと思ったことは違う、と否定的な意見や発言も言える状態にする必要があります。
この点については、受け手側が人間性とアイディアや意見をきちんと分離できるか、ということが重要だと思います。
自分の意見や発言が仮に否定されたとしても、それは自分自身の人間性や人格が否定されているわけではなく、あくまで何かに対してのアイディアや考えに対してである、ということを認識する必要があります。またそういった意見を真摯に受け入れ、違うと思うのであれば建設的に議論することが重要だと思います。
前提として先に書いたとおり何か大きな目標を達成するため、多様性を理解、共感し、必要なプロセスであると認識する必要があります。
本当に心理的安全性が高い状態を望んでいるのか?
- チームの目標やゴール、ビジョンに共感し、チームへ貢献したいと思っているか?
- 現状に満足せずに今以上のパフォーマンスをチームで発揮したいと思っているか?
- 多様性に共感し、異なる価値観を受け入れようとしているか?
そもそも上記にYesと答えられないなら、心理的安全性が高いだ低いだの言うのはやめましょう。
心理的安全性が高い状態はぬるい環境ではありません。もしかすると自分の意見が論破されるかもしれません。
「PLAY WORK(プレイ・ワーク) 仕事の生産性がグングン高まる「遊びながら働く」方法」にも以下のような一節があります。
「心理的安全性」と「残酷なほどの率直さ」はどちらが欠けてもPLAY WORKではなくなってしまいます。
- 残酷なほど率直な意見を受け入れる覚悟がありますか?
- そういった状況を楽しむことができますか?
心理的安全性が高い、というのはそういった覚悟や心構えをもった上での話ではないのかなと思います。
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