「何者でも無い」とはどういうことか
「何者でも無い」とはどういうことか
後輩がいない組織 に「自分が何者でも無いことの認識」という項目を書いています。
その次には「同時に成し遂げてやろうという野心、ambition」というのも書いています。
この矛盾な感じをどう伝えるか、難しいんですよね。
ちょっとした悲観主義的な感じというか、「私が死んでも代わりはいるもの」的なニュアンスが伝わるんだろうなとは思っています。
とはいえなんかそれだけじゃないんだよな、というところがうまく言語化できず、Twitter でぼやいてました。
で、何名から反応をいただいていい感じだなと思ったのでここに書き残しておきます。
これは自分が思っていたことをそのまま言語化されているなと思っています、ありがとうございます。
まさに、良いところであり悪いところでもあるんですよね。
良いところの例としては次のブロックに書いてあります。
悪いところとしてはどうしても無力感とか、つまらなさといった感情が近いのかなと思っています。
僕は
・細分化された仕事の労働者としては(局所的には)自分は他者と取り替え可能であって、それが文明社会の良いところであり悪いところでもある。
・オレつえー感が欲しいときはニッチな領域を攻めて一時的な快楽を得る。
と思っとります
これが良いところの一つだと思っています。
責任感を持ってやる、投げ出さない、とかは大事ですが、自分のキャパシティを超えているようであれば助けを求めることができるし、できる環境に身を置きたいものです。
自分がやらないと誰もやる人がいないから徹夜してでもやりきる
みたいな背負いこみ方をしないための心持ちかなーって見てました
表現が難しいんですけど
例えば有給を取りたいタイミングで「自分が休んだら進まんから」みたいな事って多少はあるにしても、気にし過ぎもよくないのかなって
ちょっとニュアンス違うんですが、なんかこう自己矛盾な感じという意味では近そうなので読んでいた書籍から引用しておきます。
自分が他者と取り替え可能なことを、上には上がいる、まだまだ、という意味でポジティブに受け止められるといいなと思います。
パラドックス状態を楽しんでいる強さ
<中略>
「自分なら絶対にできる」と信じている反面、「自分はまだまだ。水準を満たしていない。自分自身を厳しく律しないといけない」と考え、その壁を越えていくチャレンジにエネルギーの高まりを感じる人たちだ。
この人たちは、「信じているが、信じていない」というある種のパラドックス状態を、深層心理としては楽しんでいるのである。
「経営×人材の超プロが教える人を選ぶ技術 (https://www.amazon.co.jp/dp/B0BMK7JRR9)」113 ページより
slug を you-are-not-the-special-person としたんですが、これはこれでそうじゃない感があって難しいですねぇ。
日本語でも表現しきれないことは英語でも表現しきれない、当たり前。
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