男女比の話になると出てくる「下駄」や「特権」ってなんだ?
僕もまだまだ勉強中なので、至らぬところがあれば教えてください🙇🏻♂️
エンジニアは現在、女性に比べて男性が多い職業です。こう言う話になると「下駄を脱ぐ」とか「特権をなくす」という表現が出てきますが、そもそも「下駄」や「特権」ってどういう意味なんでしょうか?これを理解することで、業界全体の底上げになります(下で少し詳しく書きます)。
この記事では、例を交えて下駄や特権の紹介をしようと思います(両方とも同じ意味なので、記事では「特権」に統一します)。
特権とは、特定の集団や個人のみに与えられた権利のことを言います。生まれ持ったものでも、自分で手に入れたものでも構いません。
やっかいなのは、特権を持っている人は自分が特権を持っていることに気づきにくいだけでなく、特権を持っていない人の立場が分かりづらいところにもあります。これを自覚していないと、特権を持った人は無意識に無神経なことを言って立場的に弱い人を傷つけてしまったり、口を塞いだりしてしまいがちです。
例:僕の場合
エンジニアという観点において、僕は以下のような特権を持っています。もちろん、自分とは逆の立場の人にも、その立場特有の特権があることもありますが、ここに載せるのはあくまでも僕が持っている特権の例です。
生まれ持った特権
以下の特権は、僕が何の苦労もせずに手に入れたものです。生まれたときから持っていました。
- 先進国に生まれた🇯🇵
- そうでなければ、そもそもエンジニアになろうなんて考えただろうか?考えても、どれほど難しい道だっただろうか?
- 親が「Shogoがなりたいものになればいい」というスタンスだった
- もし「〇〇になりなさい」と言われ続けていたら?
- 男として生まれた
- 「女だから〇〇は無理」だとか「女だから勉強しなくていい」、「女だから〇〇してなさい」などと言われることがなかった
- 女だったら、何も考えずに技術の勉強に集中できただろうか?
- 女だったら、男だらけの業界に何も躊躇せず入れただろうか?
- 同性愛者ではなかった
- 自分が人を好きになる権利に対して疑問を持たされたり、戦ったりしなくてもよかった
- 一人っ子だった👨👩👦
- 親の注意や心配が僕に全集中だった
- お年玉が多かった💰
- 隣の家と仲が良かった
- 親が共働きだったので鍵っ子だったのですが、隣の家に遊びにいくことで寂しい思いはしなかった
- 隣の家に5歳上のお姉ちゃん🙍🏻♀️と6歳上のお兄ちゃんがいた🙍🏻♂️
- 母が努力家だった📚
- 勤勉な大人の姿を間近で見ながら育った
- 仕事に誇りを持つ人の姿を間近で見ながら育った
- 色々な信念や考え方を、生き様を通して教えてくれた
- 単純にカッコ良かったので、参観日などで母が学校に来ると誇らしかった
- 母がパソコンを買ってくれた🖥
- 家にパソコンがなかったら、プログラミングに触れるのはいつになってたんだろう?そもそも触れただろうか?
- 母がスポーツを支援してくれた(精神的にも経済的にも)
- 学校以外のコミュニティーに属していたので、学校で嫌なことがあったらとき、逃げ場があった
- 幼いときからチームとして何かをする場があった
- 母がアメリカ留学を支援してくれた(精神的にも経済的にも)🇺🇸
- 日本の大学に進学していたら、僕の場合確実に英語力はついていない
- 本場アメリカで技術の勉強をすることができた
- 対して苦労せずに、アメリカで就職するチャンスを与えてくれた
後から手に入れた特権
以下の特権は生まれ持ったものではありませんが、生まれ持った特権によって比較的簡単に手に入れられたものです。
- アメリカで働いている
- 日本の業界で働いていたら、今後の保身なども考えて、こんな記事やツイートを好き勝手かけていただろうか?
- 英語ができる
- 日本語だけよりも、多くの情報を手に入れることができる
- 技術面でも、人権に関する意見や資料の面でも
- 日本語だけよりも、多くの情報を手に入れることができる
- エンジニアである👨🏻💻
- あまり職が不足するのを恐れなくていい
- 比較的給料や待遇がいい
- 家庭がある
- 妻や子供が支えたり癒したりしてくれる
他にも、僕が気づいていない特権がたくさんあると思います。
特権を認識していないと起こること
もし僕が男としての特権を認識していなかったら、例えば「エンジニアって女性が少ないよね」という意見に対して、「女性がエンジニアにならないだけでしょ?」とか「女性ってエンジニアに向いてないんじゃない?」という意見を、何の疑問も持たずに言ってしまうかもしれません。
また、もし自分が経済的に恵まれていたことを認識していなかったら、「エンジニアになりたい」という人に対して、何も考えずに「大学で学ぶといいよ」とか「何で大学に行かないの?」という風に、あたかも大学に行けるのが前提で話を始めてしまうかもしれません。
両方とも多くの人を傷つけたり、疎外してしまう発言です。「やっぱり自分はエンジニアにはなれないんだな」と思わせてしまうかもしれません。
このように特定の人だけが得をするようになると、その業界はその特定の人たちだけで構成されるようになるので、その他の優秀な人材が離れていってしまうだけでなく、多くの人を苦しめることになってしまいます。実際、現在のソフトウェアエンジニア業界は、こういうことの積み重ねで特定のグループが支配している形になっています(アメリカでは白人男性、日本では日本人男性)。
逆に特権なしで話を進めることで、多くの人を会話に入れることができます。これがD&I(多様性と包含性)の包含性につながり、包含性が多様性につながるので、今「特権をなくす(下駄を脱ぐ)」ことが大切になっているのです。
特権を持っているからこその責任
特権を持っているということは、今までそうでない人たちを踏み台にして上がってきたということです。そこには自覚や意図は全く関係なく、「踏み台にした」という事実だけがあります。
そうやって比較的安全な地位まで登ってきたのなら、今度はその安全な地位を利用して、特権をできるだけなくすように働く責任があると考えています。
おまけ
僕が上記のような特権を持つことで、どのような人生を送ってきたのかを以下の記事に書いています。もし僕に一つでも特権が欠けていたら、違う人生になっていたでしょうし、そうでなくても難易度は変わっていたと思います。
なお、この記事は以下の記事に感化されて書いたものです。こちらは50歳の女性が書いたものなので、僕とは違う視点の物語を見られます。
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