勉強の " 趣味化 " 。自分に適した勉強法を模索する
前回のあらすじ
前回の記事では以下のような内容を述べました。
- 資格取得を目指す勉強は計画通りに進めるのが難しい。
- 挫折の原因は、学習初期の知識不足や経験値の低さ、計画の不備にある。
- 持続的な学習は、外部の強制よりも自発的な意欲が効果的。
- 自発的な勉強は「フロー状態」に入りやすく、継続が楽になる。
- 勉強中に得られる「ノイズ」(偶然の知識)を楽しむ姿勢がモチベーション維持に有効。
本稿では、継続的な学習のために適切な勉強法を模索していきたいと思います。
自分に適した勉強法を探す
勉強方法について調べていると、世の中には勉強法に関する書籍や動画が非常にたくさんあることに気が付きます。
前回の記事では、学習を継続するためには「自発性」が重要であり、外部に強制されるのではなく、自らの知的好奇心を最大限に活かしながら、リラックスした気持ちで勉強に向かうことがポイントであると述べました。
とはいえ、自分に適した勉強方法を探すのは簡単ではありません。
なぜなら、これまで勉強を継続できなかった人は「自分に適した勉強法をまだ見つけられていない」可能性が高いからです。
実際に、著名人などが「○○勉強法」等のタイトルを冠した書籍などを多く出版していますが、ベストセラーになっているからといって、それが自分に適した方法とは限りません。
むしろベストセラーになっているということは、対象としている読者層が広く、ある意味で最大公約数的な内容になっていることの方が多いです。つまり、自分にパーソナライズされた方法ではないので、勉強を継続するのが苦手な人は、書籍がよく売れていることと、実際に効果があるかどうかは別の問題だと思っておいた方が無難です。
勉強法に関する言説と「パーソナライズ」について
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世間では、有名人や専門家が紹介する勉強法が多くあります。本稿でも言及しますが、「勉強」という言葉は曖昧で、どこからどこまでを「勉強」と呼ぶのか、勉強する目的さえも人によって異なります。つまり、自分に適した勉強法を考える際は、世の中にある勉強法を鵜呑みにせず、「勉強とは何か」「何のために勉強するのか」といった自己分析が大切になります。
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パーソナライズと言えば、最近は「パーソナルトレーニング」が人気のようです。最適なトレーニング方法は人によって異なる、という性質を上手く利用していると思います。一方で、最適な勉強法も人によって異なるはずですが、大人のための「パーソナルスタディ」といったビジネスは見たことがありません。
紹介された通りに勉強法を試してみたけど、全然しっくりこなくて継続できなかった、という経験はありませんか?
それで大丈夫です。その勉強法が自分に適しているかどうかは、実際に自分で試してみるまで分かりません。試してみてやっぱり継続できなかったなら、その方法は自分に合っていなかった、というだけのことです。
大事なことは、「勉強を継続できるかどうか」です。
まずは色んなやり方を試してみて、一番しっくりくる方法を見つけてください。それが現時点で自分に最も適した勉強法になります。
たとえ多くの人が勧める方法だとしても、自分には合わないなと思ったら別の方法を模索しましょう。
継続的な学習のためには、まずは自分が最もラクに実践できる方法を採用することが大切です。
勉強法を模索するヒント1: 勉強とは何か。
「勉強」と言っても、人によっては色んな活動が「勉強」だと言えます。
例えば、机に向かって本を読むだけではなく、問題を解いたり、解説動画を見たり、先生と直接話して質問してみたり、など様々なものがあります。
そこで、自分に適した勉強方法を探るヒントとして、まず最初に「勉強とは何か」を考えてみます。
勉強という行為について考えるとき、上に挙げたような種々の活動を想像すると思いますが、ここでは、それを少し抽象的な言葉で表現してみます。
すると、勉強という活動は以下のように分解できます。
これにより、勉強という営みは大きく「インプット」と「アウトプット」の 2 つで構成されていることが分かります。
皆さんの勉強スタイルはどちらを重視していますか?
自分に適した勉強方法を考えるとき、インプットとアウトプットを明確に区別してみると良いかもしれません。
例えば、試験問題で正解するためには一定の知識を有していることが必要なので、必然的に学習初期はインプット重視の勉強になると思います。
一方で、「知識を効率的に定着させるためにはむしろアウトプットが大事」という言説があります。この考え自体には同意しますが、冒頭でも述べたように、全ての人に有効な方法とは限りません。
特に、勉強を継続するのが苦手な人にとっては、とても負荷のかかる勉強法だと思います。
例えるなら、短期間で身体を鍛えるために、大きな重りを背負ってランニングするようなものです。
当然ながら、運動が不慣れな状態でいきなり負荷の大きな活動をしても、強い忍耐力や高いモチベーションがないと長続きしません。
本当はただ勉強のやり方が自分に合っていないだけなのに、最悪の場合、「自分には忍耐力や集中力が無いから勉強ができない」と思い込んで、勉強を諦めて遠ざけてしまうことになりかねません。勉強は「複利」なので、どんなに小さくても長期間続けることによって、多くの副次的な効果を伴いながら大きな成果が生まれます。たとえ効率の良い方法を実践していても短期間でやめてしまえば効果は薄いのです。
(補足)勉強の「副次的効果」・・・「ノイズ」や「脱線」を楽しむ余裕をもつこと。
※「副次的効果」と述べましたが、実は継続的な勉強の真髄はここにあると思っています。前回の記事でも触れましたが、効率重視だと勉強の端々で得られるはずの「ノイズ」をすくい取ることができません。長期継続した勉強の最終成果を2倍にも3倍にもしてくれる秘訣は「寄り道」や「思考の脱線」にこそあると思っています。
そのような意味で、本稿では短期目標のみをゴールにした効率重視の勉強はおすすめしません(が、次回の記事で私が紹介する勉強法は、結果として短期間の勉強でも試験に合格できてしまうかもしれません。結局は、継続的な勉強ができるようになった先に、効率は後からついてくる、ということです)。
いずれにせよ、学習初期のアウトプット的な勉強は、既にある程度の知識がある人か、もともと勉強が得意な人でない限り、無理に取り組む必要はありません。まずは自分に適した勉強法を模索し、継続的に勉強ができるようになることです。効率は後からついてくるので最初は無視するくらいでちょうど良いです。
以上より、学習を継続するのが苦手で、まだ自分に適した勉強法が分からない人は、まずインプット中心の勉強法を模索してみてください。
勉強法を模索するヒント2:「勉強」=「情報収集」と捉えてみる。
インプット中心の勉強を模索するために、もう少し「勉強」について掘り下げて考えてみようと思います。
上で述べたように、インプットは「新しい情報を得る」ことです。
そこで「インプット的な勉強」=「情報収集」と捉えてみると視野が少し広がってきます。
皆さんは、普段どのようなメディアから情報を得ていますか?
私の場合、よく使用する情報源は、ニュースサイト、ブログ、書籍、YouTube などです。
特にニュースサイトやコラム記事などが好きで、つい関連記事もどんどん読んでしまいます。
まず見出しや文章全体を見て、知っている部分は読み飛ばし、知りたいところだけを読めるからです。
料理など作業をしている時は動画をつけっぱなしにしています。手が離せない時や、文章を読めないときは、動画や音声で情報収集するのも良いですね。
インプット的な勉強を「情報収集」と捉えてみると、日常の何気ないネットサーフィンに似ているような気がします。次章でもう少し考察してみます。
勉強法を模索するヒント3:「勉強」と「趣味」の違い
上記では、インプット的な勉強を「新しい情報を得る活動」として捉えてみました。すると、普段何気なくやっている勉強以外のことと関連が見えてきます。
どうやら「インプット的な勉強」と「趣味的な活動」の間には「情報収集」という点で類似性がありそうです。
例えば、
- 資格試験のために書籍やブログを読むことと、毎朝ニュース記事の経済欄や政治欄を読むことは、何が違うでしょうか?
- 資格試験のために問題の解説動画を見ることと、ゲーム攻略のための実況動画を見ることは、何が違うでしょうか?
「新しい情報を得る」という点では、これらの勉強と、ニュース記事やゲーム実況を楽しむことは同じだと言えます。
しかし、理屈の上では同一視できますが、直感的には、勉強することとゲーム実況を見ることが同じ活動だとは思いにくいです。
その違いは何に起因しているのでしょうか?
これには様々な視点が考えられますが、個人的には「苦痛の有無」によって区別できそうに思います。
つまり、
「勉強は苦痛を伴うが、ニュースを読んだり動画を見るのは苦痛ではない」
ということです。
新しい情報を得るという意味で、「インプット的な勉強」と「趣味的な活動」は共通していると言えるものの、多くの場合、前者に対しては苦痛を感じ、後者については楽しさを感じます。
しかし、逆に言えば、これらの違いを乗り越えることができれば、勉強を「趣味」のような活動に変化させることができるのではないでしょうか。
勉強法を模索するヒント4:「勉強」を「趣味化」する。
ここでは大胆に、勉強における新たな概念として「勉強の趣味化」を独自に定義し、継続的な学習のために適切な勉強法を考えるための議論を大きく前に進めたいと思います。
※「勉強の趣味化:Study hobbyism」、あるいは「趣味っぽい勉強:Avocational study」と言い換えても良いのですが、近年話題の「ワーキッシュアクト:Workish act」から着想を得た造語です。
自分にとって「勉強」=「趣味」になれば、もはや誰にも勉強を強制されることはありません。
「リスキリング」や「スキルアップ」といった自己啓発的な言説に振り回されることもなくなり、自然と知識をスラスラ身につけていくことができるはずです。
もちろん、趣味といっても人によって程度の差があり、たとえ勉強を「趣味化」することができたとしても、資格試験に必ず合格することが保証されるわけではありません。あくまでも勉強は継続することに意味があると私は考えます。
次回の記事で詳しく説明しますが、新しい知識をスムーズに取り入れるためには、自身の経験や既有知識によって形成される「スキーマ」との関連が非常に重要になります(認知心理学のスキーマ理論)。
一人一人の経験は多様であり、誰一人として同じスキーマはありません。特に勉強が「趣味」の領域に至るということは、その勉強の成果を単純に他者のそれと比較できなくなることを意味します。
勉強の成果について、他者との比較によって無理に価値を測ろうとすると、必ず「優劣」が付きまとうことになります。学業が本分である学生ならそれでも良いかもしれませんが、社会人にとっての勉強は、「仕事に必要なこと」であると同時に一方では「豊かな人生のおまけ」のようなものだと思っています。転職市場でも最後に見極められるのは職歴であり、どんな仕事をしてきたがが重要です。
そのような背景を踏まえると、勉強の成果を他者と比べることに対して、優越感に浸る以上の何かがあるでしょうか。一時的な競争心に駆られて取り組んだ勉強は、往々にして中途半端に終わることが予想され、継続的な勉強にとって弊害とさえ言えます。
勉強の成果はあくまでも過去の自分との比較であり、勉強を長期間にわたって継続していくことで、単純に他者と比べられない、自分だけの独自の価値を帯びるようになるでしょう。あらゆる職場とは言わないまでも、きっと替えの効かない人材として重宝される職場に恵まれると思います。
「勉強の趣味化」に対する社会学的解釈
※勉強を「趣味化」することについて社会学的視点から簡単に補足してみたいと思います。あくまでも私見ですが、これはマックス・ウェーバーの言ういわゆる「目的合理的行為」と「価値合理的行為」が混在する状態だと言えそうです。
例えば「試験に短期間で合格すること」を目的としている場合、勉強中の「脱線」や「ノイズ」に気を取られている暇はなく、ひたすら効率重視の勉強を強いられます。これは「目的合理的行為」であり、勉強を苦痛とする人の多くがこのような勉強をしています。
一方で、「勉強はいわば趣味であり、試験の結果そのものには執着はない」という人は、勉強それ自体が楽しいものであり、継続することに重きを置いているような勉強をします。これは「価値合理的行為」と言えます(とはいえ、予想される結果を全く無視する行為は現実的ではないので、ここでは厳密な定義を避け、あくまで両者が混在する状態だと述べるにとどめておきます)。
・・・やや脱線してしまいましたが、勉強法を模索するヒントとして「勉強の趣味化」を検討しました。
勉強から苦痛を取り除き、長期にわたって継続できるようになれば、それはもはや勉強ではなく「趣味」の領域となります。
すると次に重要なのは、勉強に対する苦痛の正体を知り、それを軽減する方法を探ることになります。
次回:勉強から苦痛を取り除くために
以上の議論によって、継続的な学習を目指して自分に適した勉強法を模索する上で、一つの仮説を提示したことになります。
まず学習初期で重要だと思われる「インプット的な勉強」に焦点を当て、これを「新しい情報を得る活動」として抽象化し、「趣味的な情報収集」と比較することによって、「勉強」と「趣味」の境界線を明らかにしようと試みました。
その仮説として、「両者は " 苦痛の有無 " によって区別される」と考えてみることにしました。
もしこれが正しければ、勉強から苦痛を取り除くことによって「勉強の趣味化」を達成し、ひいては「継続的な学習」を実現できるのではないか?と。
もちろんあくまで仮説です。科学的実証は容易ではなく、仮説そのものが間違っている可能性も十分あり得ます。
ただ、多くの場合「趣味」という活動は「勉強」よりも継続しやすいはずです。そして、誰しも生きる上で必ずしも必要ではない「趣味」のような活動をしているはずです。
(例: SNS に投稿する、動画を見る、音楽鑑賞、推し活、スポーツ観戦、ジム通い、ドライブをする、ゲームをする、ポケモンカードで遊ぶ、好きなものを買う、など)
もし、誰もが「勉強」を「趣味的な活動」に昇華させられるなら、どんなに素晴らしいでしょうか。
また、現在すでに継続的な学習を長年続けている人の視点で考えても、「勉強」が「趣味」のようなものになっている人も少なくないのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、「継続的な学習」のために万人に最適な勉強方法はありません。
私ができることは、皆さん一人一人が自分に適した勉強方法を模索する手がかりを提供することです。
そして、できるだけ妥当と思われる仮説をもとに、どのような性質を備えた勉強法であれば長期にわたって有効かどうかを、考察ベースで導くことを目指します。
次回以降は、これまでの議論をもとに、勉強から苦痛を取り除いて継続的な学習を実現するための具体策を検討していきたいと思います。
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