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Webアプリケーション・アーキテクトの自分は何に全部賭けるのか

2025/02/27に公開
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こんにちは、クレスウェア株式会社の奥野賢太郎 (@okunokentaro) です。今回は、最近の筆者のXやBlueskyでの雑感を呟いたポストをまとめつつ、自分とAIとの付き合い方について考えを整理してみたいと思います。

特に、mizchiさんの『CLINEに全部賭けろ』という記事を読んで多くの気付きを得たので、その影響も含めて共有します。

率直に言って、筆者はまだ「CLINEに全部賭ける境地」には至っていません。それどころか、この文章を書いている時点でCLINE系AIエージェントを一つも使っていない状態です。それでも、筆者なりの2025年以降のAIとの向き合い方について、考えをまとめられるように思います。

この記事は、現代のAIツールとデベロッパーの関係性について考察し、特に複数のAIモデルをどう活用していくべきかという点を中心に、3つのテーマで話を進めます。

  • 変化の必要性: かつての「一社に依存する」価値観からの脱却が求められている理由
  • 複数モデルの有効活用: 各AIツールの特性を活かし、シーンに応じた使い分けの実践例
  • 未来への戦略: 個々の技術者がAIとどのように共存し、成長していくべきか

これらのテーマを軸に、筆者自身の体験と最新の動向を交えながら、AIとの新たな付き合い方を探求していきます。

平成的な選択肢の考え方からの脱却

筆者は現在、OpenAIClaudeで競合比較をした上で、課金に見合っていると判断したAIのサービスを主に使っています。具体的にはOpenAIのモデル群に支払っていました。ただ、この競合比較自体が、2024年初頭に行ったものなので、2025年初頭の現在においては正統な評価とは言えないかもしれませんし、当時はGeminiもまだありませんでした。AIの進化スピードはとても速く、1年前の判断基準ではすでにかなり古くなっている可能性が高いです。

振り返ってみると、筆者は「Mac vs Windows」や「ドコモ vs au vs SoftBank」のような、「競合からどれか一つを選ぶ」という考え方に固執していたことに気付きました。これはまさに平成的な価値観だと思います。当時はいずれかのエコシステムに身を委ねることが一般的でしたが、AIの世界ではこの考え方を捨てる必要があると感じています。

AIの性格づけとモデル選択の重要性

最近特に感じているのが、AIの性格付けによるストレスです。例えばGPT-4oはリリース直後と比べて、だんだんフランクなチューニングが繰り返されるようになり、今では雑談でも業務でも関係なく絵文字を大量に並べたり、いわゆる「おじさん構文」を連発したりして、その高いテンションの温度差に強く疲弊することがあります。

また、o3-miniは誤りが含まれることがありますが、その誤りを指摘すると何だか不貞腐れているような(少なくとも人間がそう感じ取れる)出力をしてくることがあり、拗ねているような印象を与えてきて辟易することもあります。こうした経験から、モデル選択の重要性を痛感し、OpenAI内でも状況に応じてモデルを使い分けるようになりました。

一方で、最近はClaude 3.7の話題が増えつつあります。2024年初頭には筆者はOpenAIに分があると判断してClaudeと契約しませんでしたが、現在ではかなり競り合っているようです。これを使わないままOpenAIの中でモデル選択を繰り返して、その性格付けに疲れているようでは、もったいないと感じました。

こうした状況を踏まえ、筆者はOpenAIモデル群とClaudeモデル群の両方を状況に応じて使い分けたり、あるいは同じプロンプトを両方に与えて出力を比較したり、さらには出力を相互にレビューさせたりするような使い方が有効なのではないかと考えるようになりました。もちろん、そこには今後Geminiも含まれるでしょう。

つまり「どれか一つ気に入ったものを選ぶ」のではなく「全部を使い倒す」という発想が必要という気付きです。そうでもしないと、先ほど述べた平成的価値観からのアップデートは難しいでしょう。OpenAI一社の上位モデルだけ課金を続けるよりも、複数の競合他社のサービスを横断的に使ったほうが、遥かに得るものが多く、時代のキャッチアップは滑らかになっていくと確信しています。

AIとの新しい関係性を模索して

『CLINEに全部賭けろ』の記事を読むまで、筆者はCLINE系エージェントを「自分はこれらを、AIの性能の未熟さゆえに使っていないのだ」と思い込んでいましたが、実は案外そうでもないことに気付きました。

筆者は、GitHub Copilotや、Cursorといったツールも使っていません。ただ、これらを使っていない本当の理由をちゃんと向き合うと、これもAI性能ゆえではなさそうです。

筆者が馴染まなかった理由は、そのオペレーションでした。コード補完ポップアップが画面上でチラチラ点滅するように出たり消えたりする体験が苦痛だったり、なぜ納得できないGUIでイライラしなければならないのかというシンプルな感情だったりします。つまり、GUIの使いづらさへの評価と、AI性能の評価が混在して、GUIの使いづらさに引きづられて「AIコーディングはだめだ」という判断をしていたのです。

この体験だけでAIコーディング補助と自分の相性が悪いと判断するのは、今となっては早計だったと反省しています。スマートではないGUIは今でも使う必要はないと思っていますが、だからといってアプリケーション開発の作業にAIを活用しないと判断するのは誤っていたと思います。むしろ今後、もっと複数のAIモデルを駆使して積極的に活用していくべきだと考えます。先の話と合わせて、複数のモデルに同じプロンプトを投げて、モデル違いで相互にレビューさせあうといったことも積極的にやるべきで、性格の違うあらゆるAIモデル群を束ねる側の人間にならないと、この先まずいという危機感を強く覚えました。

先の記事ではCLINEを「暴走列車のようなもの」と表現していました。ここで筆者は、なにも暴走列車と共に仕事をしたいわけではありません。暴走列車に未来があると書かれていても、少なくとも今「暴走と共にする時間」には興味がないというのが正直な気持ちです。しかし、だからといって「筆者はCLINEを使いません、今後使うこともないでしょう」という言い方をするのは、あまりに狭量だと感じました。おそらく、数年しないうちになんらかのAIエージェントと共にしているでしょう。今はそれが、Webブラウザ上でのチャットGUIで収まりがよい、ただそれだけな気がします。

2025年のAI活用の展望

たぶん2025年の本質については「今の各個人が気持ちよくなれるAIの使い方を、各個人が徹底的に模索すべき時期」なのではないでしょうか。筆者自身は、GitHub CopilotもCursorも使わず、WebStormでの古臭い手書きコーディングを続けながらも、その中で全力であらゆるAIを駆使していこうと心に決めました。

私がWebアプリケーション・アーキテクトの肩書を名乗って世に出ているのも、あと何年でしょうか……。AIの進化とともに、我々の役割もどんどん変わっていくのだと思います。

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