第一原理計算の定義
この記事では第一原理計算の定義について, 一問一答形式で答えていきます.
大まかにどんなもの?
量子力学的な計算手法の分類です. Schrödinger方程式の近似解法のうち, 分子や結晶などの電子状態を計算する方法であるHartree-Fock法や密度汎関数法などのことを指して使われています (用法が正しいとは言っていません, 原子核物理学での説明は省略します). 量子化学における具体的な手法・パッケージのリストは下記の記事を参照してください.
公式な定義は?
第一原理計算の公式な定義は IUPAC の Goldbook に載っています. ab initio calculations という項目があり, 現在は ab initio quantum mechanical methods に置き換えられています. 重要な部分だけ抜き出すと,
基本物理定数以外の実験値を用いない量子力学的な計算手法のこと(Methods of quantum mechanical calculations independent of any experiment other than the determination of fundamental constants.)
が第一原理計算の定義です. この定義に則れば, 基礎物理定数以外の実験値を用いなければ, 第一原理計算を名乗ってよいことになります. しかし, 実際には微妙な線引きがあります.
第一原理計算の必要条件は?
第一原理計算を名乗るための必要条件を考えていきましょう.
量子力学的な計算であっても, Hubberd模型の厳密対角化が第一原理計算と呼ばれることはありません. このような例を考えると, 計算の出発点はこの記事の式(2.2)や式(2.10)のような, n個の電子とn(n-1)/2通りの相互作用を含んだハミルトニアンである必要があると考えられます. このハミルトニアンを前提に, 今度は解法を考えていきます.
Gaussian等で実装されているHF法やCI法は第一原理分子軌道法と呼ばれますが, いずれもBorn-Oppenheimer近似(BO近似)が使われています. 上記の式(2.2)ではなく式(2.10)のハミルトニアンを使っています. このように, BO近似は使っても第一原理計算と呼んでOKというのが共通認識のようですね. とすると, 第一原理計算を名乗るには, 使っていい近似と使ってはいけない近似があるということでしょうか?
経験的MO・半経験的MOと第一原理MOを比べると, 重なり積分やクーロン積分を近似せずに全てまじめに計算することが第一原理計算と呼ばれるための必要条件であることが分かります. Hückel法を例にとると, αとβを実験値から決定することがあります(英語版に詳しい解説があります)が, 必ずしも具体的な値を決める必要もないようです. 素直に実験値を使ってくれていればIUPACの定義から直ちに第一原理ではないと言い切れますが, 単に計算をサボっているだけだと線引きが難しくなってきますね. とはいえ, Hückel法が経験的か第一原理かで悩むことはないので考えないことにしましょう.
問題は, 明らかに経験的なパラメータを使っているDFTです.
DFTは本当に第一原理計算なのでしょうか?
DFTは第一原理計算と呼ばれることが多々ありますが, よく使用されているB3LYP汎関数やM06汎関数での計算を指して第一原理計算を名乗るのは間違いです. これらの汎関数のパラメータの決定には実験値が使われていることがあるからです. LDA, GGA, meta‑GGAのように実験値へのフィッティングではなく物理条件を満足するように決定されているものについては, 第一原理計算を名乗ることには問題ないでしょう. このように, どの汎関数を使うかによって第一原理か否かが決まります.
よくある質問
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「非経験的」と「第一原理」は違うの?
非経験的はnon-empiricalの和訳, 第一原理はab initioやfirst principleの和訳に対応します. IUPACによれば同じ意味とされます. しかし「非経験的」は分子軌道法に対してのみ使われることが多く, 分子動力学法や量子モンテカルロ法を修飾する言葉として使われることはあまりありません. -
「ab initio」と「first principle」は違うの?
このページにあるように物理ではfirst principle, 化学ではab initioが使われることが多いように思われます. 一方, Ab-initio calculation を量子化学計算と訳すのはどうかと思います😂 -
そもそも「経験」ってなに?
経験的MO法や半経験的MO法では積分の代わりに経験的パラメータ(職人の勘による近似, 実験値そのものや, 実験に合うように調整されたパラメータ)を使って計算をサボっていました. これが「経験」の所以です. 全ての積分をまじめに計算するようになったのが非経験的・第一原理計算です. 経験的パラメータの具体例はHückel法の解説をお読みください. Google翻訳で十分に読めます. -
半経験的MO法って今も使われてるの?勉強する意味あるの?
現在も第一原理計算パッケージでは初期値推定のために使われています. 実用上も, 第一原理計算より圧倒的に速いので, 大きい分子では計算してみる価値があります. -
量子化学計算は第一原理計算なの?
量子化学計算には第一原理の手法と第一原理でない手法があります. 例えばMOPAC等で実装されているAM1やPM3は半経験的分子軌道法であり, 第一原理ではありませんが, Gaussian等で実装されているHF, CI, MP, CCは全て第一原理計算です. -
量子化学計算と第一原理計算を比較してください.
まず, その比較が適切ではありません. 量子化学計算の手法の中にも, 第一原理計算とそうでないものがあるからです. ベン図で言うと, これらの円には重なりがあります. -
量子化学計算と固体物理計算を比較してください.
量子化学では原子・分子・クラスター等を対象としますので, 主に局在基底が用いられます. 固体物理では結晶等の周期系が対象となりますので, 主に平面波基底が用いられます. どちらにも, 第一原理のものと第一原理でないものがあります. -
量子化学計算ではない第一原理計算の具体例は?
結晶などの周期系において, 平面波基底を用いた計算などです. 例えば第一原理バンド計算です. -
量子モンテカルロ法は第一原理計算ですか?
第一原理の量子モンテカルロ法と, そうでない量子モンテカルロ法があります. 例えば, CASINOで実装されている変分モンテカルロ法(VMC)や拡散量子モンテカルロ法(DMC)は量子化学計算かつ第一原理計算に分類されるものです. Hubbard模型などスピン系でも変分モンテカルロ法は使われますが, これは量子化学計算でも第一原理計算でもないです. -
明らかに第一原理じゃない量子力学的な計算の例を挙げてください.
経験的・半経験的MO法はもちろんですが, 量子スピン系におけるHubberd模型のような大幅に簡略化されたハミルトニアンの計算です. その他には古典MDが挙げられます. -
分子動力学法は第一原理ですか?
分子動力学法, いわゆる古典MDはNewtonの運動方程式を連立して時間発展を計算する手法であり, そもそも量子力学的な計算ではないので, 第一原理計算の定義には含まれません. 電子状態を計算せず, 相互作用を力場というもので代替します. 力場の関数形を決めるパラメータに実験値など経験的なデータが使われることがあります. -
第一原理分子動力学法は第一原理ですか?
量子分子動力学法=第一原理分子動力学(ab initio MD)は経験的な力場を使っておらず, いわゆる古典MDと比べ, 電子状態を第一原理的に扱っているという意味で, 第一原理の名を冠しているものだと思います. しかし, 核の運動を量子力学的を扱っているわけではありませんので, 純粋な量子力学的な計算ではないという意味で, 第一原理計算には含まれないと考えることもできると思います. -
経路積分分子動力学法(PIMD)は第一原理ですか?
いわゆるPIMDは核の運動を量子力学的に扱っています. しかし, 電子状態の第一原理計算をせずに, 経験的な力場を使っているものに関しては, 第一原理に含まれません. -
第一原理経路積分分子動力学法(ab initio PIMD)は第一原理ですか?
電子も核も第一原理的に扱っているという意味で第一原理計算に分類される手法の一つであると考えられます. -
第一原理計算は変分法ですか?
変分法ではない第一原理計算もあります.
Hartree-Fock法やCI法は変分法であり, Schrödinger方程式の厳密なエネルギーより下がらないという意味での変分原理は満足します. DFTも数学的な意味では変分法ですが, そもそも解いているSchrödinger方程式とは異なる上に数値的な積分を行っているので, 振る舞いが異なります. 例えばB3LYP/6-31G(d,p)で水素原子や核間距離1.4ボーアのH₂分子の一点計算を行ってみてください. 明らかに厳密解よりも低すぎる値が得られると思います. -
原子核物理の第一原理計算は?
こちらに説明があります. 炭素 Cの核はアルファ粒子3つのクラスターモデルとして計算されることがありますが, こういったものは第一原理ではなく, クラスター構造を仮定せずに陽子や中性子をバラバラに12体問題として計算するものを第一原理計算と呼んでいるのではないでしょうか. 原子核物理は専門家ではないのでご参考までに.^{12}
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