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第一原理計算の定義

2023/02/26に公開

この記事では第一原理計算の定義について, 一問一答形式で答えていきます.

大まかにどんなもの?

量子力学的な計算手法の分類です. 主に, Schrödinger方程式を近似的に解いて, 分子や結晶などのクーロン多体系の電子状態を計算する方法であるHartree-Fock法や密度汎関数法(DFT)などのことを指します. 具体的な手法・パッケージのリストは下記の記事を参照してください.
https://zenn.dev/ohno/articles/10c5c4aa20dd58

公式な定義

第一原理計算の公式な定義はIUPACGoldbookに載っています. ab initio calculationsという項目があり, 現在はab initio quantum mechanical methodsに置き換えられています. 重要な部分だけ抜き出すと,

基本物理定数以外の実験値を用いない量子力学的な計算手法のこと(Methods of quantum mechanical calculations independent of any experiment other than the determination of fundamental constants.)

が第一原理計算の定義です. この定義に則れば, 基礎物理定数以外の実験値を用いなければ第一原理と言って良いことになります. これを踏まえると, やはり分類が難しいように思われます.

近似の強さは関係あるの?

Gaussian等で実装されているHF法やCI法は第一原理分子軌道法と呼ばれますが, いずれもBorn-Oppenheimer近似が使われています. 近似が使われていても第一原理計算ということになります. ということは近似の強さが第一原理計算の線引きなのでしょうか?

経験的MOや半経験的MOでは第一原理MOよりも多くの近似が使われています. 実験値を用いた近似があれば, 上記のIUPACによる定義により第一原理ではないと言い切れますが, 単に計算をサボっているだけで, 実験値を用いていないものも多くあります. その大胆な近似が妥当かどうかは実験値と比較して経験的に決められますが, その点ではBO近似と何が違うのか?ということになります. とすると, 重なり積分などの積分を全てまじめに計算することが第一原理計算と呼ばれるための必要条件であることが分かります.

どんな理論も結局は近似ですが, 近似の強さによって扱える現象の広さが変わります. 対象とする系において, 十分な汎用性を持っているということが第一原理と呼ばれうる一つの指標となるということではないでしょうか. 分子系においては, BO近似の下で電子状態を求め, 化学反応などの現象を定量的に記述できる(完全系において化学精度を達成しうる)ことが「十分」ということの共通認識ではないかと思われます.(個人的にはBO近似でも定性的にさえ説明できない現象に興味を持っていますが)

よくある質問

  • 「非経験的」と「第一原理」は違うの?
    非経験的はnon-empiricalの和訳, 第一原理はab initioやfirst principleの和訳に対応します. IUPACによれば同じ意味とされます. しかし「非経験的」は分子軌道法に対してのみ使われ, 分子動力学法や量子モンテカルロ法を修飾する言葉として使われることはあまりありません.
  • そもそも「経験」ってなに?
    経験的MO法や半経験的MO法では積分の代わりに経験的パラメータ(職人の勘による近似, 実験値そのものや, 実験に合うように調整されたパラメータ)を使って計算をサボっていました. これが「経験」の所以です. 全ての積分をまじめに計算するようになったのが非経験的・第一原理計算です.
  • 半経験的MO法って今も使われてるの?勉強する意味あるの?
    現在も第一原理計算パッケージでは初期値推定のために使われています. 実用上も, 第一原理計算より圧倒的に速いので, 大きい分子では計算してみる価値があります.
  • 量子化学計算は第一原理計算なの?
    量子化学計算には第一原理の手法と第一原理でない手法があります. 例えばMOPAC等で実装されているAM1やPM3は半経験的分子軌道法であり, 第一原理ではありませんが, Gaussian等で実装されているHF, CI, MP, CCは全て第一原理計算です.
  • 量子化学計算と第一原理計算を比較してください.
    まず, その比較が適切ではありません. 量子化学計算として半経験的MO法, 第一原理計算として固体物理における平面波基底を用いたDFTのことを指して使っているのではないかと思いますが, その分類は適切ではないと思います.
  • 量子化学計算と固体物理計算を比較してください.
    量子化学では原子・分子・クラスター等を対象としますので, 主に局在基底が用いられます. 固体物理では結晶等の周期系が対象となりますので, 主に平面波基底が用いられます.
  • 量子化学計算ではない第一原理計算の具体例は?
    結晶などの周期系において, 平面波基底を用いた計算などです. 例えば第一原理バンド計算です.
  • DFTは第一原理計算ですか?
    普通は第一原理計算に分類されます. 汎関数のパラメータに経験的なパラメータが用いられている等の理由で「第一原理」や「非経験的」であるか疑問が生じることがあると思いますが, 半経験的MO法のように明らかに計算をサボっているわけではないことは強調しておきます.
  • 量子モンテカルロ法は第一原理計算ですか?
    第一原理の量子モンテカルロ法と, そうでない量子モンテカルロ法があります. 例えば, CASINOで実装されている変分モンテカルロ法(VMC)や拡散量子モンテカルロ法(DMC)は量子化学計算かつ第一原理計算に分類されるものです. Hubbard模型などスピン系でも変分モンテカルロ法は使いますが, これは量子化学計算でも第一原理計算でもないです. 基礎の理論そのものは汎用性がありますが, 適用する対象やそのモデルによって意味が異なります.
  • 明らかに第一原理じゃない計算の例を挙げてください.
    経験的・半経験的MO法はもちろんですが, 量子スピン系におけるHubberd模型のような大幅に簡略化されたハミルトニアンの計算です. その他には古典MDが挙げられます.
  • 分子動力学法は第一原理ですか?
    分子動力学法, いわゆる古典MDはNewtonの運動方程式を連立して時間発展を計算する手法であり, 量子力学的な計算ではないので, 第一原理計算の定義には含まれません. 電子状態を計算せず, 相互作用を力場というもので代替します. 力場の関数形を決めるパラメータに実験値など経験的なデータが使われることがあります.
  • 第一原理分子動力学法は第一原理ですか?
    量子分子動力学法=第一原理分子動力学(ab initio MD)は経験的な力場を使っておらず, いわゆる古典MDと比べ, 電子状態を第一原理的に扱っているという意味で, 第一原理の名を冠しているものだと思います. しかし, 核の運動を量子力学的を扱っているわけではありませんので, 純粋な量子力学的な計算ではないという意味で, 第一原理計算には含まれないと考えることもできると思います.
  • 経路積分分子動力学法(PIMD)は第一原理ですか?
    いわゆるPIMDは核の運動を量子力学的に扱っています. しかし, 電子状態の第一原理計算をせずに, 経験的な力場を使っているものに関しては, 第一原理に含まれません.
  • 第一原理経路積分分子動力学法(ab initio PIMD)は第一原理ですか?
    電子も核も第一原理的に扱っているという意味で第一原理計算に分類される手法の一つであると考えられます.
  • 第一原理計算は変分法ですか?
    数学的な意味では変分法ですが, そもそも解いている方程式が異なりますのでSchrodinger方程式の厳密なエネルギーより下がらないという意味での変分原理は満足しません. 例えばB3LYP/6-31G(d,p)で水素原子や核間距離1.4ボーアのH₂分子の一点計算を行ってみてください. 明らかに低すぎる値が得られると思います.
  • 原子核物理の第一原理計算は?
    炭素^{12}Cの核はアルファ粒子3つのクラスターモデルとして計算されることがありますが, クラスターを仮定しないで第一原理的に計算してもクラスター構造を取ることがわかっています. このような計算はQCDに基づきます.

Discussion