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なぜ私は記事を書くのか?

2022/09/16に公開

https://zenn.dev/nameless_sn/articles/tech_article_mind

上記の記事を読んだ。

概ね、特に問題はないように感じる。書くべき理由として挙げられたものは、私も同意できるところだ。

しかしながら、私が書く理由となっていないようにも思う。少なくとも、この理由で私は技術記事を書いていない。

私が技術記事を書く理由を書いておこう。とふと思った。

私が記事を書きたい理由

私が技術記事というか、なんにしても記事を書く理由はもっと、進歩的するとか成長する的な理由ではなくて、ものすごく衝動的で感情的だ。3つの理由にする必要はないが、例にならって3つの理由にしてみるとこうだ。

  1. 考え方の整理して残したいから
  2. 書きたい衝動があるから。
  3. 楽しいから

考え方の整理して残したいから

正直、知識の定着とかそんなんじゃなくて、私は何かを整理するときに、モノを良く書く。とても主観的な表現で申し訳ないが、書くことによって、ぼんやりとしている形状がしっかり輪郭を持ったものになる。

このところ「知識の定着」との違いは何か?私は「知識」という言葉に違和感を覚えるのである。「知識の定着」と言うと、私には、認識されてない事柄を認識するというものであるようなものだ。自分の内面になかったものを、発見するみたいなものである。

一方、「考え方の整理」というのは、私はもっと違って、もともと知っているのである。もともと知っていることを再構築しているということである。書く以前から知識はそこにあるのである。

そして、再構築した考えを残したいというの理由もある。「考え方」はとても揮発的で、たぶんすぐに無くなってしまう。だから、私の頭の中では書いても書かなくてもなくなるもので、記事を書くことで不揮発性になるものでもない。

書きたい衝動があるから

ぶっちゃけ言えば、私だけかもしれないが、基本的に書きたい衝動に駆られて書いている。それはどのような衝動か?と言えば、例えば、刺激的で衝撃的で熱狂できる映画を見たときのことを考えてほしい。その時は誰かにその、興奮を伝えたい気分になるはずだ。だから、映画を見終わったあとの感想戦を知人と交わしたりするだろう。

基本的に私が技術記事を書く情熱というのはこのようなものがある。エンジニアが技術記事を書く時はしばしば、感情的で扇動的な表現を多用されるのはこのような興奮を伝えたいからだろうと思っている。

ただ、一方で私は情熱的な表現に飽き飽きしているというか、過剰な表現で煽ることはやめてほしいと最近思っている。自分も過去にやってしまっているのではあるが、もっと冷静になってほしいとは思っている。(冷静になったら、その情熱や衝動を失って、書くのがだるくなっているのが私で、現に私は記事を書く本数は大分減っている。)

ざっくり「書きたいから書く」ということしか言ってないが、つまりは何かを書かずにはいられない状態になってしまっているから、書くのである。書くべきだから書いているとかそんなんじゃないってことである。

楽しいから

そして、単純に書くことは楽しいのである。書きたいことを書くのは楽しい。

記事を書くこころまがえ

もと記事ではカッコよくマインドセットと言って、私にはマインドセットってなんだろう?って気分になるが、たぶんこころがまえみたいなものであろう。私も習ってなんとなく、こころがまえ?みたいなものを書いてみよう

  • とりあえず公開しよう
  • ちゃんと調べて書こう。思い込みでかくな。
  • 自分の素直な言葉でかこう

とりあえず公開しよう

たぶん、誰かの役に立つ。

ちゃんと調べて書こう。思い込みでかくな。

正確性というか、ちゃんと調べて書いてね。なんというか、思い込みで書く人も多いけど、それは他人にリスペクトがない行為だ。

自分の素直な言葉で書こう

当然だが、自分の記事を書こう。他人から得た知識をそのまま書くのは自分の記事じゃあない。

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