なぜ人を集めてもチームにならないのか
人を集めただけでは、チームにはならない。
人が足りないからでも、能力が足りないからでも、モチベーションが低いからでもない。多くの場合、人と人のあいだに、行動を結びつける関係性が立ち上がっていないからだ。
人は同じ現実を見ていない
同じ組織にいて、同じ会議に出て、同じ資料を読んでいても、人は必ずしも同じ現実を見ているわけではない。何が起きているのか、何が問題なのか、何を優先すべきなのか、そうした認識は各人の経験や立場によって自然と形づくられる。そのため、同じ出来事を前にしても、人によって見えているポイントや意味づけは少しずつ異なる。
ただ人を集めただけの状態では、それぞれが異なる前提や認識を抱えたまま同じ組織に存在しているだけになり、チームにはならない。
チームが機能しているときに起きていること
チームが機能しているとき、メンバーは自分の作業内容だけを見ているわけではない。なぜそれを今やっているのか。なぜ別の選択肢ではなく、この判断が選ばれているのか、なぜその役割をあの人が担っているのか、そうした背景について正しく理解している。
この状態では、判断や行動は個人のものとして切り離されない。チームとして「そう考える理由が分かる」ものとして受け取られる。だから、判断や行動が、チームの合理性の中で理解される。
前提が共有されていないと、何が起きるのか
前提や認識が十分に共有されていない状態では、同じ出来事を前にしても、人ごとに受け取り方が変わってくる。ある人は「これは緊急の問題だ」と考え、別の人は「後で対応すればよい」と判断する。ある人は「ここまでやれば十分だ」と思い、別の人は「まだ足りない」と感じる。
こうした違いは、話し合われないまま放置されやすい。それぞれにとっては、自分の見方が「普通」であり、あえて説明する必要を感じないからだ。
前提が共有されていないと、人は自分が認識している現実を前提に行動する。その現実理解は、これまでの経験や担っている役割、評価されてきた振る舞いに強く影響されている。
役割だけに頼って動くようになると、何が起きるのか
前提や認識が共有されていない状態では、人は自分が担っている役割の範囲だけで、自分の行動の意味を捉え、判断するようになる。
それぞれにとっては合理的な判断であっても、それはあくまで「自分の役割にとって」の合理性に過ぎない。他の役割や、チーム全体の状況との関係は、意識の外に置かれてしまう。
その結果、各人は自分の役割をきちんと果たしているにもかかわらず、互いの判断や行動が噛み合わなくなっていく。
役割分担が守られていることと、チームとして機能していることは、同じではない。各人が自分の役割の中で完結した判断を積み重ねていく状態は、チームが機能しているとは言い難い。そこでは、個々は仕事をしていても、チームとして考え、行動しているとは言えないからだ。
人と人の行動を結びつけるもの
ここまで述べてきたように、問題は個々の判断の良し悪しではない。
何を前提に考えているのか。その判断がどこにつながるのか。他の人の判断と、どう関係しているのか。こうした要素は、個々に存在しているだけでは意味を持たない。それぞれが互いにどう関係しているのかが理解されてはじめて、人と人の行動は結びつく。
チームをつくるとは、こうした判断や行動の関係性が立ち上がるように、その前提となる文脈を設計することだと言ってもよい。
まとめ
人を集めることと、人が協力し合える状態が立ち上がることは、同じではない。
チームが成立しているとき、そこでは個々の判断や行動が、それぞれの役割の中だけで完結していない。何を前提に考えているのか。その判断が、他の人の行動とどうつながっているのか。そうした関係が、うまく共有されている。
だからこそ、判断や行動は個人のものとして孤立せず、チームとしての合理性の中に位置づけられる。
人と人のあいだに、行動を結びつける関係性と文脈が立ち上がっているかどうか。それが、チームとして機能するかどうかを分けている。
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