🔢
「数学の世界」を読んで、数学者の考える数学の世界を覗く
数学の世界
集合ブームの学校数学への疑問から始まり、例えば算数でおなじみの+-×÷などにも数学の本質的な構造が意外に深く根をおろしていることを明らかにし、ついで、ユニークな発想で数学の世界の生い立ちをとらえる。教育にも深いかかわりをもつ数学者と、数学の社会的役割に強い関心をよせる統計学者のイキの合った討議は、人間の文化を豊かにするものとしての数学の世界を楽しく描き出し、その教え方、使われ方の現状を的確に批判する。
というお二人の対談集。体系だって書かれていると言うほどでもないようにうかがえるのでゆるりと読むのが良さそう
要点
- 数学はつねに正しいと思うのは誤解
- 数学にも限界がある、が「数学の限界」も固定不変のものではない
- 数学を、不完全な人間のなんらかの意味での「完全性」を求める努力の過程とみなすと、それはなによりも「面白い」
- 論理に従って考えるのが正しい考え方だというふうに、ふつう世の中で思われているけれども、それはまちがいであって、正しく考えた筋道を整理したものが論理
- 現在いちおう数学者のあいだで、あるいは世の中全体で正しいと思われていることでも、将来人間の認識がもっと発展すれば、まちがっている
- 合理主義の便利さをとる場合にも、なぜそういうふうにしたか。いつまでも極端な自然主義でボヤッとしていたらたまらないわけで、しかし、最後にある便利な形に落ちついたら――落ちつかせることはいいわけですが――、最初のもやもやを全部忘れて、これですべてだというとまた極端
- 「自然数というと、基数と序数を渾然一体のようにして使うのが、いまのおとななんですが、地球上にはいまでも、順番をあらわすことばと多さをあらわすことばとが、まったくちがう種のことばであるという種族もある」
- 一方だけでやるというのが、不自然な場合が生ずることは確か
- 基数としての自然数のいちばん大事なことは、ある普遍的なものがあって、それでどんなものでも表現できる、それが一般的に抽象的な数というものの最も大切な性質だということが、もっと強調されなければならない
- とくにあまり頭のよくない子どもがわからなくなるというのは、やはり実際にそこに論理的にむずかしいところがあるからなので、逆に言えば、頭のよい子がわかるというのは、あまりアテにならない
- 頭のよい子というのは、本当に論理的にわかるのではなくて、先生の顔色を見るのがうまいというだけ
- 言ってもなかなかわからなくて最後まできてようやくわかって、ちゃんとわかっちゃうと答を出す。それと、ちょっと言いかけただけで、それはこういう問題だからこうだとわかっちゃう人とある。あとのタイプのほうが常識的には数学者的に見えるけれども、前のタイプのほうが本当の数学者になるらしい
- 私がいくら持っています、あなたはいくら持っています、合わせていくらでしょう、というのと、私がいくら持っています、もう一度私がいくら持っています、合わせていくらでしょう、というのと、ちがうはず
- 小学校の段階でも、減法と差法はちがうんだというのは、ちゃんと教えておかないとならない
- 「量の概念でいちばん基本的なことは何かというと、やはり足したり引いたりできるということだと思うんですね。つまり、足しても引いても変わらないということですね。ところが、ふつう量とみなされているもののなかにも、直接には足したり引いたりすることが意味がない」
- 定量的ってほんとわからん
- 測定可能性と量化ということとを無差別に混同して使うことが、世の中では非常に多い
- 当れば一〇〇万円もらえるフィフティ・フィフティの賭けと、当りはずれなしで二五万円もらうのとは同じだということを納得したとしても、それはべつに、ゼロのときもらう二五万円と、二五万円からあと一〇〇万円までの残りの七五万円とは同じ効用をもつ、とかなんとかいう意味はない
- 「小学校あたりでは、結論を確定的にしたがる傾向がとても強いんじゃないかと思うのですよ。なにかうしろがあやしいというと心細いらしい。ぼくは結論を確定することに賛成ではないんですが、しかし一方、近似というとその適正さの認識が大問題で、そういうことを教えること自身、どの段階が適当かと」
- ヘンなことを考えるヘンな人間がいないと新しいものは出てこない
- New math 新数学 - Wikipedia
1970年代の対談だそうで、そのような昔から考え抜かれてきた対談だと思うと教育や学びには不変のものがあるなあと感じる
以上です~
Discussion