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プロジェクトはなぜやめられないのか

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こちらは株式会社ココナラ Advent Calendar 2025 4日目の記事です。

みなさんこんにちは、CITチームのま。です。
一応エンジニアなんですが、今回はまったくエンジニアっぽくないことを書き記してみます。


背景

私は、コーポレートITの仕事に10年以上携わりながら、経営学を学び修士号を取得しました。大学院で最も印象に残ったのが「行動経済学」の授業です。

この学問は一部「人間の非合理性」を扱います。自分の経験を振り返る中で、人が最も合理的な判断を下しにくい場面は何かと考えた結果、それは「プロジェクト(以下、PJ)をやめる判断」と考えました。読者のみなさんも、「あの時、やめる決断ができていれば…」という苦い記憶がある方は多いはずです。そんな後悔を少しでも減らしたい——その思いで本稿を書いています。


行動経済学とは

従来の経済学は、合理的で計算能力が高く、情報を正しく処理する「経済人」を前提に市場や選択をモデル化してきました。これに対して行動経済学は、「人は常に合理的ではない」という現実の意思決定を、心理学の知見を取り入れて分析する分野です。行動経済学は、ダニエル・カーネマンらによって確立されました。

思考の二つのシステム

ダニエル・カーネマンらは著書『ファスト&スロー』で、人間の思考を二つのシステムに分けて説明しています。

  • システム1:直感的で自動的に働く思考過程
    高速で労力が少なく、連想や感情および経験則に基づいて即座に判断します。日常の多くの意思決定はシステム1に依存し、迅速さという利点がある一方で、誤りや勘違いを招くことがあります。
    代表的な現象として以下のとおりです。
    • バイアス(◯◯効果とも): 情報の受け取り方や判断が体系的に偏る心理的・認知的傾向
    • ヒューリスティック: 限られた時間・情報・認知資源の中で素早く判断するための経験則や思考の近道
    • アンカリング: 最初に提示された数値や情報(アンカー)が、その後の判断や見積もりに強く影響する認知バイアス
  • システム2:意識的・分析的に働く遅い思考過程
    論理や計算、因果関係の検討を通じて慎重に結論へ至ります。脳の資源を多く消費し、疲労や時間制約の影響を受けやすいことが特徴です。

プロジェクトがやめられない理由の全体像

本稿では、PJをやめられない理由を大きく3つに分けて説明します。

  1. 第一に、PJに迫った危機を危機として認識できず、楽観視してしまう理由
  2. 第二に、PJが危機的状況だと認識していても、撤退判断をためらわせる心理の歪み
  3. 第三に、複数人で進めるPJ特有の意思決定の落とし穴。皆が「まずい」と薄々感じていても、誰も「やめよう」と言い出せない背景

なお、この3要素は厳密に切り分けられるものではなく、互いに絡み合っています。複数人の意思決定に関する研究は非常に広範で深い領域です。本稿は網羅より示唆の提供を重視して構成しています。


なぜ危機を危機として認識できないのか

人は異常の兆候に直面しても「大事には至らない」「まだ通常の範囲だ」と過小評価し、平常時の行動様式を維持しがちです。これが正常性バイアスです。ヒヤリ・ハットを重視する取り組みは、この傾向への対抗策のひとつといえます。

事例:列車を止められなかった「のぞみ34号」

2017年12月11日、博多発東京行きの東海道新幹線「のぞみ34号」で、台車枠の疲労き裂が見逃され、異常振動や異音の兆候が認知されていたにもかかわらず、即時停止・点検に至りませんでした。名古屋で運行中止後の検査で側梁部のき裂進展と変形が確認され、運輸安全委員会(国土交通省の外局)は「最悪の場合は脱線の可能性があった」と指摘し、新幹線初の重大インシデントに指定しました。後に公開された調査報告書では、異変に気づきながら運行を続けた背景に、異常を正しく認識できない正常性バイアスがあったとされています。

のぞみ34号の亀裂
のぞみ34号の亀裂(出典:Wikipedia

報告書では異常検知時に「運行に支障が無いということで良いか」など、正常運行を前提にしたコミュニケーションが問題視されました。これは確証バイアス(自分の仮説に合う情報だけを重視し、反する情報を過小評価する傾向)が働いた例です。有名なウェイソン選択課題が示すように、反証よりも肯定証拠に引かれやすいのです。のぞみ34号では「ダイヤ通り運行できている」「計器が直ちに異常を示さない」という継続の根拠を重視し、停止・点検の判断を軽視する傾向が見られました。「確証バイアスに陥っていないか」という問いはシステムのテストにおいても重要な観点です。

ウェイソン選択課題
ウェイソン選択課題(出典:Wikipedia)
「片面に偶数があれば、もう片面は赤色」という仮説を確かめるには、どれを裏返すべきか?

さらに、アンカリングも影響したと考えられます。初期の「運行継続可能」という判断が強いアンカーとなり、後の判断がその基準に引き寄せられてしまう現象です。

PJ運営への示唆

目標達成自体が目的化すると、正常性バイアスでリスク徴候を過小評価し、確証バイアスで「続けられる理由」ばかり集め、アンカリングで初期計画に固着します。結果として、問題の軽視や先送りが起こりやすくなります。


なぜ撤退判断をためらうのか

人間には強い損失回避傾向があります。プロスペクト理論(カーネマンら)によれば、損失の心理的インパクトは利得の約2倍程度とされています。大雑把にいえば、1万円を失った心理的損失を埋めるには2万円程度の利得が必要なくらい、損失は重く感じられます。PJをやめる決断をすることはぼんやり見えていた損失を「確定」させる行為にほかなりません。だからこそ、ためらいという名のバイアスが強く働きます。

プロスペクト理論のモデル
プロスペクト理論のモデル(出典:Wikipedia
グラフの左下の象限(損失を表す部分)の傾きが大きく、損失を強く感じることが示されている

代表的な損失回避のバイアス

  • サンクコスト効果(コンコルド効果): これまで投じた資金や人員が大きいほど、それを惜しんでプロジェクト(PJ)から撤退しにくくなる傾向がある

  • 一貫性バイアスとコミットメントのエスカレーション: 一貫した自己像を守るため、方針転換や撤退を避け既定の計画を維持する理由を探しがち。PJでは初期要件や技術選択に固執し不利な証拠を過小評価したり、追加投資で挽回しようとしたりする

  • 心理的所有効果: 関与度が高いほど対象を過大評価し、手放しにくくなる現象。「◯◯さん肝いりのPJ」のように判断が個人のメンツやアイデンティティと結びつき、撤退のハードルを上げる

  • 現状維持バイアス: 人は変化を嫌い、習慣を維持しようとする。不確実性や追加コスト(配置転換、契約見直し、退職勧奨など難しい連絡、自身の立場のリスクなど)が重荷となり合理的な判断より「今のまま続ける」という選択が選ばれやすくなる


なぜ複数人でも適切な意思決定ができないのか

人間は太古から小規模な共同体で生きてきました。食料確保・防衛・育児を協力して行う社会では、孤立は致命的です。このため、脳の扁桃体は対立や拒絶の兆候に敏感で、「調和志向・不和回避」という社会的バイアスが強く働きます。こうした傾向が意思決定に色濃く出る状態を、グループシンク(集団浅慮)と呼ばれることがあります。

集団で起こるバイアスの増幅

調和を保とうとする圧力は、個人のバイアスを集団で強化します。

  • アンカリングの強化: 「みんなで決めた」ことが強い参照点になり、初期方針から外れにくくなる
  • 異論の抑制: 不和を避けたい心理から、撤退案や異論の提起が控えられる
  • 確証バイアスの増幅: 集団で「進める根拠」ばかりが共有・強調され、反証が取り上げられにくい

リーダーがもたらす二つの加速要因

集団内のリーダーの影響は、撤退判断をさらに難しくします。

  • リーダー・アンカー: 会議の早い段階で示されたリーダーの数値・方針が強い基準点(アンカー)となり、その後の議論が引き寄せられる
  • バンドワゴン効果: リーダーをはじめ「多くの人が支持している」と認識される選択肢に個人が追随し、支持が雪だるま式に増える。同調が加速し集団全体が多数派へ収斂する

成功体験への固執(可得性ヒューリスティック)

同じメンバーでPJを重ねるほど、直近で思い浮かぶ成功事例に頼りがちです。失敗は思い出しにくく成功は思い出しやすい傾向があります。この心理的近道が評価を歪め、過去のやり方に固着させてしまうことにつながります。

優秀なチームほどグループシンクにハマる

皮肉にも、カリスマ性のある優秀なリーダーや、成功経験が豊富なメンバーほどグループシンクが起きやすくなる傾向もあります。専門家集団ほど視野が狭くなる「専門家バイアス」と相まって「成功が約束されたようにみえたPJにもかかわらず失敗した」という事態が生まれるのです。


適切な判断は「前提」と「仕組み」でつくる

ここまで読んで「人間にはPJをやめられない特性あるなら、適切な判断は不可能では?」という疑問を持った方、ごもっともです。私も、正しく判断できないことを前提に設計するべきだと考えます。ここでは実務で使える二つの方法を提示します。

方法1:撤退基準を事前に数値で合意する

結論から言うと、「何をもって撤退とするか」を前もってKPI(重要業績評価指標)として定義しておくことが重要です。

  • 観点は、一般的なQCDに加えてS(セキュリティ)まで含める

    • Q(品質 - Quality)
    • C(費用 - Cost)
    • D(日程 - Delivery)
    • S(セキュリティ - Security)
  • 具体的な指標(KPI)の例

    • 機能量(ファンクションポイント)や欠陥密度
    • 日程のクリティカルパス遅延率
    • 予算遵守率・消化速度
    • セキュリティ重大インシデントの発生有無
  • 二段階の閾値の設定

    • 「撤退を検討する」水準
    • 「撤退を余儀なくされる」水準(自動停止条件)

ファンクションポイントの例として、論理ファイル(顧客や商品マスタ)外部入力(新規登録画面でのデータ入力)や外部出力(レポートや請求書など)などが挙げられます。
こうしておくことで、感情やバイアスに流されず、合意済みのメーターに従って判断できます。
なお、最初のは細かな業務改善など、小規模プロジェクトに対して導入するか、簡易版から導入をすることをおすすめします。

方法2:第三者レビューでアンカーを外す

当事者だけでは初期判断(アンカー)に引きずられやすいため、外部視点を意図的に挿入します。また、リーダーの立ち振る舞いもPJに大きな影響をもたらすので注意が必要です。

事例の示唆:のぞみ34号

博多から新大阪の区間では停止判断ができなかった一方で、運行主体がJR東海へ変わった後、比較的短い区間で停止判断に至りました。人が入れ替わるだけで正常性バイアスやアンカリングから自由になり、事実を再評価できる場合がある——これが第三者の効用です。

実務での設計ポイント

  • 「PJ非関与者」を定期レビューに組み込む
  • ITの専門家だけでなく、財務・会計の視点を加える
    • サンクコストに囚われず、機会原価・機会損失を金額で比較できる
  • リーダー・アンカーを防ぐため、リーダーは最後に発言するのも重要
    • メンバーによる無記名アンケートの取り入れも一つの案
  • 役割としてデビルズ・アドボケイト(悪魔の代弁者と和訳され、多数派を批判する人を指します)を明確に任命する
    • 意図的に反対立場を取り、提案の弱点や盲点を体系的に指摘する
  • 収束ルール(コンティンジェンシープラン)を事前定義
    • PJメンバーと第三者で見解が割れた際、誰の意見を優先し、どのプロセスで結論を出すかを明文化

学習ループ:ポストモーテムでシステム2を鍛える

最後に、振り返り(ポストモーテム)の重要性について説明します。システム2には、システム1が生み出す直感・ヒューリスティックのバイアスを点検し、却下する役割があります。成功も失敗も含めて過去PJや業務インシデントの原因を言語化し、次回に活かせる粒度で記録することで、システム2が鍛えられ、正しい判断「確率」を上げられると私は考えます。

  • ポストモーテム(振り返り)の成果物例
    • 判断ログ
      • いつ、誰が何を根拠に決めたかを記録します。
    • 想定外事象の因果チェーン
      • 「原因」→「兆候」→「対応」→「結果」の流れを体系的に言語化します。
    • 次回のチェックリスト
      • 停止条件、反証レビュー項目、責任者など、次回のPJで適用すべき項目を明確にします。

ポストモーテムの取り組みをPJ開始前のプレモーテム(PJが失敗したと過程し、その原因をメンバー内であらかじめ列挙すること)として取り入れると、正常性バイアスや確証バイアスを外す効果があるといえるでしょう。


まとめの要点

  • 人は誤るという前提で、撤退基準(数値化)と第三者レビュー(外部視点)を仕組み化する
  • デビルズ・アドボケイト財務視点で、サンクコストや現状維持バイアスを打破する
  • ポストモーテムでシステム2を鍛え、次の判断の精度を高める

みなさんのPJが健全に「進めるべき時は進め、止めるべき時は止める」ための仕組みづくりで、素敵なプロジェクトライフを送られることを願っています。

明日はデミオさんによる「エンジニアに必要な「読解力」とは? 技術文書を構造化して"秒"で理解する技術」です。

ココナラでは積極的にエンジニアを採用しています。
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