組織とその文化について考えていることの走り書き

2024/07/06に公開

組織に関するダイナミクス、力学に最近興味が湧いていて、色々調べているがどうもピンとくるものがない。
「XX社の成功例」みたいなものはどこまで行っても極端に言うと小説であって研究ではないし、
そもそも"成功例"とは?と思ってしまう。成功の定義は如何様にも出来るし、成功例が知りたいのではなく原理が知りたい...。
(自分は心理学出身なので超専門ではないが基礎があり、心理学系の話に触れていない)

力(ちから)から考えてみる?

組織における個々人の活躍やアウトカムの最大化という観点を一旦さておき、どういう力学が働いているのかを探してみている。
わかりやすい組織のパワーとしては権力があるように思えた。マルクス・ウェーバー的な暴力の権力ではなく...。
https://www.iwanami.co.jp/book/b623481.html
この本の中で「権力は"予想の円環"という力と"意志の統一"という力で構成される」と定義されており、権力それ自体は現象のような存在として説明される。
"予想の円環"とは複数人物がいる環境下でお互いがお互いルールや道徳を守るだろうと言う確信と、それが揃っている状態を"意思の統一"と読んでいる。そういう意味だとここで言う権力は罪を犯した際の金銭的・身体的罰をもたらす暴力機構より、道徳のようなものに感覚としては近い。

組織に当てる形で発展して考えてみると、集団に投げ込まれた制度や仕組みはボトムアップでその円環をもたらすように構成されていなければならないはずで、同時に役職が高いことに本質的な権力が備わるわけではない。
個々の構成員の内的要因までは含めて考えられていないので、組織の説明にその観点を含めようとすると別の観点を入れないといけないわけだが、構成員の内的要因の変数のボラティリティを下げるとその循環が始まりやすいことは想像しやすい。小規模組織における同質化の強みはこの観点で説明がつくように思う。
(話は逸れるが、人材採用では優秀な人を集めたい、という声が絶えないが、スキル面で優秀な人が増えれば事業は伸びるのか?を考えたい。どこが勘所で何が変わるからそうなるのか。事業を行う上で同質化それ自体は悪ではないと思う、と言うのも単一のビジネスモデルで複数の文化が本当に必要なシーンは少ないのでは。スキル優先で体制を構築した際には、高まる文化的なボラティリティが権力を働かなくさせる可能性を否定できない。)

構造的な組織内のもう少しミクロな力学については「力と交換様式」内で、これまでの形式も含めて説明される整理がわかりやすい。
https://www.iwanami.co.jp/book/b612116.html
強調しなければならないのは人間の行動様式は物的報酬と論理、損得だけで説明がつかないと言うことで、確かにそういうタイプの人もいるし、わかりやすいのでこれまでの言語化も早く整備されていったのだろうが、そうでない人が相当いると言うことを認めなければならない。この辺りを軽視すると感覚的に理解できない話が出てくると思う。
また、別の方向に発展させると人間の信じる力(思い込む力)それ自体も重要な要素に見えている。

信じる力と信仰について

念の為、会社組織おいて強烈すぎるカルチャーを「宗教」と揶揄する表現があるが、それ自体を目指しているわけでもなく、紋切りで規律と束縛の強い、個々人の自由...人間らしさを矯正してしまうことを批判して宗教と呼んでいるのだろうと解釈している。
宗教を作ろうとしているわけではなく、宗教を通じて人間が特定のものを信じるとは何か、を探ろうとしている。が、いきなり大手宗教をやると研究の量がデカすぎるので、個人的な趣味もありアイヌ文化を最近は調べている。

ユニークなのはカムイの和訳は神...になっているが、実際は"環境"の方が近い、という話。
カムイの世界はあるが絶対的なカムイは存在せず、自然だけでなく工芸品にもカムイがいて、更にはカムイとアイヌ(アイヌ語で人間の意)は対等な存在であるという。おとぎ話の中には人間が悪さをしてカムイが懲らしめるだけでなく、その逆も全然あるらしい。
信仰対象が環境全体に渡っており、それぞれとの付き合いの中で道徳と知恵が含まれている、分散型の信仰を形成している。論理的思考を必須とすることなく、信仰を通して生活に必要な情報を補完的にインストールしている。そしてこれはつまり超越的な存在がいなくても人間の信仰は成立するということ!
身の回りや動機は定量で決定づけられない部分も多いため、組織の中での文化を形作る要素の一つである信仰は、割とオーソドックスな宗教との共通点が見られるように思う。キャリア志望や向上志向という願いや、共同体への帰属の安心、etc...。これまでの社会に適合してきた形の信仰が適していたのは間違いないが、これからの社会の形にどんな信仰が適合するのかはまだわかっていないので、組織の目的の達成のための手段として信仰を理解してデザインする必要がある。

プラクティカルな方法論について

「組織行動論の考え方・使い方」と言うのも読んでみている。
どっかの組織がなぜ強いかではなく、どのように組織を解析・解釈するかの方法論のまとめなので、こういう方が好みではある。課題起点で参照するような使い方が良さそう。
というかこういう割と科学的なアプローチが影に隠れて、なぜ謎のセミナーで語られるエッジケースが表に出るのかを我々は考えなければならない...。本来的にやらないといけないのは課題と解決をひたすら考え抜いてひたすら実行することであって、オーダーメイドが前提の存在にパッチワークで凌ごうとするから仕事が難しくなっているのではないか。
https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641165663

今後調べてみようと思っているもの

群れをもっとちゃんと理解する
「モノに心はあるのか」の中に群れをなすカニがダチョウ倶楽部みたいに"積極的に行動を先導するが、実行はしない"役と"消極的にみんながやるなら、と実行をする"役がいると言う話が面白くて、そういえばよく生物の社会的行動をメタファーにすることはあるが、その社会的行動はなぜ、どうやって成立しているのか(しかも言語無しに)があまりわかっていないことに気づいたため。

人はどこから信仰を始めるのか
なんか直感的にはわからないものが出てきた時に信仰始めそうなのだが、この辺りを体系的に調べてくれている内容がないか探している

人間の精神的な発達段階と信じる力について
信仰が強い=信じる力が強いではない、ルールを理解した上でそれに乗っかることも信じる力と呼んだ上で、仮説として精神的な発達段階の高低と、因果関係が明確なものを好む度合いに関係があるんじゃないかと思ったため。体感でしかないのだけど知性の高低で説明できないものってやっぱり結構あって、それを説明するのにEQだと内的すぎるし、発達段階というワードに可能性を感じているのだが、この辺はどこを調べたらわかるのかな...まだ不明

積読シリーズ
https://www.shinchosha.co.jp/book/603769/
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784502137419
https://www.msz.co.jp/book/detail/07753/

Discussion