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1期目8億円の呪い

2023/01/13に公開

前書き

本記事は、2021年に第1創業期で躓いた瞬間に執筆しています。
死ぬほど恥ずかしいことばかり書いているんですが、大義と俗世の狭間で悩みながら走り続ける起業家の糧になると信じ、公開に至りました。

「世界平和に向かい続ける公器をつくる」と息巻いて創業したものの、肝心の事業案が浮かばずCash is Kingに舵を切って駆け抜けた1年半でしたが、終わりを迎えた瞬間は絶望感に満ち溢れていました。
ただ、冷静になると「そうか、もう興味のないことを頑張らなくていいのか」という解放感で溢れ返り、戦略的であっても守銭奴には二度とならないと決意したのをはっきりと覚えています。背に腹を変えられぬ時があるのも常ですが

現在は2022年の振り返り | 起死回生を読んでいただければ分かる通り、1年で一変しました。関わっていただいた方、ありがとうございます。まじで死にかけていました

はじめに

せめて孫正義さんの記録を超えることを目標に1期目8億円を夢見て始まった私のPMは、今思えば販促可能性が全くない、データを可視化してくれるだけのBIを開発するところから始まった。

それからも、あれでもないこれでもないと、文字通り路頭に迷って、親からもらった資本金100万円、連帯保証人になった借入1000万円、自分を信じてくれた最初の顧客から支払われた売上190万円のすべてを溶かしてしまった。

振り返れば、キャッシュアウトするリスクは全く考慮しておらず、常にスケールに追い付かないリスクばかりに目を奪われて、PMFに到達しないリスクを検討できていなかった。

当時は「アクセルかブレーキを踏むなら、アクセルを全力で踏む」と息巻いていたが、いまの自分なら、回収できなさそうな支出は損切りしてしまうだろう。
この言葉が意味するのは、大きな夢を追わなくなるのではなく、小さな石ころに躓かないように細心の注意を払うというものだ。

もうここまで書き上げただけで、現実を直視した心はダメージを喰らっているが、これから同じ過ちを繰り返さないためにも、現実を直視せねば。

前書きが長くなってしまったが、大凡1年半の創業期で自らが犯した失敗を書いていこうと思う。
何も信頼もない段階で上場企業の取締役にお目通りが叶い、事業が推進する希望を抱けている現状は素直によくやっているのではないかと感じる(が、もう1人の自分は全く認めていない。)と言ってから、自らの肉体に鞭を打っていく。

1 / 茹でガエルのように死んでいく

最初は誰もプロダクトを創ったことがない状態から始まった。にも関わらず、構想した事業は機械学習が必須。構想に見合う技術スタックを持つ人もおらず、最初の顧客と約束した期日にはギリギリで未完成の成果物を出していた。

当時は、顧客が許してくれることに感謝する雰囲気を社内で作ってしまっていたが、あの雰囲気がいけなかったのかもしれない。振り返れば、反省だらけで、話が進まなくなる。

大所帯の組織で経営企画をさせていただいたばかりに、理想の経営から逆算してしまうが、構造的に優先度を付けて落とし込むことができない状況に嵌り、言うことは大きいがやることも大きいというMVPもへったくれもない最悪の創業期だったと思う。

👇の図でいうところのリソース効率性重視の開発スタイルで進み、高速な方針転換...

引用:事業価値とエンジニアリング・リソース効率性とフロー効率性 / Business Value and Engineering

引用:事業価値とエンジニアリング・リソース効率性とフロー効率性 / Business Value and Engineering

私を信頼してくれたり、自分が成長したいという動機で参画した人が多かった結果、トップダウンでハイスピードに「やること」が決まり、残るは実働だけという環境。
もはや、プロジェクトの成否は判断の精度で決まるわけだが、戦略や初手どころか、思考の起点から外しているという散々なものだった。

この頃は、とにかく思考の粒度が大き過ぎた。BIを開発するとなったら構想したBIすべてをスコープにしたりするなどだ。これは、まだ未熟だった(ことにも気付けなかった)友人のエンジニアの「設計がすべて」の助言に従い、ビックピクチャーを設計に落とし込もうとしたためだった。

  • 課題の優先度を決める、無理ならまず問題領域の優先度を決める。
  • 頻度と強度のマトリクスで整理する。
  • 開発せずに解決する手段を探して、検証する。

とても単純な行為を積み重ねられるかで、数ヶ月後の生死に影響していたなんて想像が付かなかった。とにかく学ぶことに必死だったのだが、こうやって企業は死んでいくんだろう。

本当に競争によって死ぬのではなかった。自らの手によって絞め殺されていくんだ。

2 / 意味を成さなかった方針転換

とまあ、前章ではやたらめっったらと結果から振り返って失敗を書き連ねたが、私たちにも戦略はあった。

  • 事業化の成功確率を1%と見積もって、100個の事業案を試す。
  • スタートアップが潰れる要因TOP1のNO MARKET NEEDを回避するために、顧客を見つけてからプロダクトを開発する。
  • スタートアップが潰れる要因TOP2のCASH OUTのリスクを軽減するために、B2B市場で勝負する。

という簡単なアイディアで、戦略と呼ぶべきか分からないが、とにかく"戦略"があった。

結果的に、ここまでは"成功"した。問題はその先だったんだ。(上述)

ふと、「大きな市場で勝負する」という数年間聞き続けていた"正解"が、どこか幼稚に思えてきて「大きければ良いのか」「お前はやり切れるのか」と問いかけて、ただの資金運用者でしかない幼稚な投資家に煽られて、自分と仲間の時間を無駄にすることの無意味さを感じた。愚かな起業家になるのを恐れたのだ。

我に返って、著名企業の創業期を調べてみると、キャッシュエンジンを立ててから本業に挑戦しているケースもあることに気付き、まずはお金を稼ぐことに目標を決めて走り始める。

とてつもない5年以上の長い時間軸で、自分や仲間の人生を捧げられる程の課題を見つける自信がなかったからである。

自分が大きな志から絶対に逃げない社名を付けることを免罪符に、守銭奴になろうと誓った。
(またここで反省してしまうと、守銭奴とは支出もきっちり管理するものである。振り返れば、自分は人生で一貫して、愚かなドリーマーであった。人は変わらないものだ。)

そして、自分の課題感を思い返して、24時間ジム業界に参入を決める。

元来備え付けた「どうにか信じてもらう」という資質で、最初の顧客に出会い、次の大きな取引規模に発展しそうな顧客に出会い、売上を立て、1000万円の借入を行い、有頂天だった。

優秀な仲間も続々と集まり、勝手に期待して、勝手に失望したりもしたが「間違いなく、仲間と最高の人生を歩んでいる」と確信していた。が、という話である。

3 / 市場の重力を失う

ここまでたくさんの失敗を繰り返し、愚かなドリーマーとして生きていかざるを得ない自分を少しでも制御しなければ、来月には死んでいるかもしれない状況で何を問うべきか。

「昨日は何を問い、今日は何を問い、明日は何を問うべきか」を問い続けた。

売上を立てないといけない、ユーザーに役立つプロダクトを作らないといけない、セキュリティを堅牢にしないといけない、開発効率を高めないといけない、クライアントとコンセンサスを取らないといけない、そして私たちは上場企業の稟議という魔境に踏み入り、虎の尾を半分踏んだ。

大所帯で経営企画を担わせていただいたにも関わらず、草の根的なコンセンサスは仲間に丸投げしていた結果、すべてのステップをすっ飛ばして結論ファーストに上場したばかりの企業に、法務部が必死で守ってきた機密情報が散りばめられた文章を送った。

実験パートナーの社長が言うなら良いかと思い、事を急いたばかりに、接触から4ヶ月もの期間を顧客からのフィードバックなしに開発を進めることになったのだ。

顧客からのフィードバックがない、つまり市場からのフィードバックがなくなった私たちは、当初の顧客を見つけてから開発するという戦略の効力を失い、市場ではなく主観のメトリクスでプロダクトの価値を測り、無闇矢鱈に誰にも使われないプロダクトを創った。

緊迫感も失い、仕事は遊びに変わり、PMFには全く生産性のない会話で盛り上がり、文字通り若者の戯れへと変わってしまい、リスクが膨れ上がり、数ヶ月後に顕在化したのである。

ここまで書き連ねると、現実を直視することの痛みが薄らぎ、逆に現実を直視できている自分が誇らしくなってしまうのは、楽観的な性格が故なのだろうか。続ける。

4 / リスク検証の積み重ね

茹でガエルのように死んでいくと気付いた瞬間に、レスキューファイナンスを求めてEquityを真剣に検討始めたわけだが、そこで初めて、経営企画・事業企画の普遍的な原理を理解した。

Equityのシリーズという概念は、先人達の叡智が結晶化されたもので、シードから繰り上がっていく度に検証するリスクの種類とサイズが異なるという概念である。

結局、リソースを投資するというのは、期待していた効果が出るか分からない危険性を抱えることであり、どれだけ不確実性が軽減されているかどうかで危険性の大小が決まる。

チームが解散するかもしれない、プロダクトを作れないかもしれない、使ってもらえないかもしれない、売れないかもしれないというようなリスクを巨万に孕むスタートアップでは、地道にリスクに備え、検証して進むことが求められているのだと気付いた。

だれがジャングルに裸で突っ込むのかという話である。蛇が出るかもしれないから、素肌を隠せる服を着て、ナイフを携えて...というように、具体的にリスクを想定して備えてから、ジャングル(シード期)を抜けるという目標を達成するために全力で駆け抜けるのである。

とはいえ、私たちもリスクを検知し、回避・軽減を試みなかったわけではない。

リスク検証をできなかった理由の1つに、セキュリティのようにリスクは検知したが軽減するリソースを保有していないことが多かった。

想定していたマイルストーンの直前になって、リスクが顕在化してしまい、苦肉の策としてMust・Better・Bestで業務を切り分け、その度に「最低限はここまで」と決めた結果、歯抜けのシステムが出来上がってしまっている。

そんなこんなで、HopinのPrologue(序章)は、1年半という歳月を、1300万円という資金(いのち)を、仲間の貴重な時間を溶かして、上場企業のベンダーのポジションを得られるかもしれない位置まで上り詰めたことだった。

ここからである。この失敗を活かせるように地道なリスク検証を重ねていく。

ps.日報を初めとして、想定外の利便性を持つ機能も多々あったので、やってきたことがすべて無駄だと思っているわけではない。だが、失敗は失敗であり、スタートアップで語られる失敗の神話化は避けなければならない。成功した方が数百倍学びがあり、数百倍利益を得られるのだから。

6 / プロジェクト失敗の要因

ここまで深く数値的に理解できていれば、もっと上手くやれたのかね...どうなのかしら。

引用:システム開発が遅れる真因、プロジェクト1700件を斬る

引用:システム開発が遅れる真因、プロジェクト1700件を斬る

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