採用めも

これまで常々「自分のための努力」に対して、私はあまり優しくないと思っていたが、優しくないどころか相当厳しいのではないかという事を客観的に理解できた。
つまり、「自分の中に答えがある」と信じている人をマネジメントするタイプではないという事が分かってきた。私がマネジメントをする前提で考えると、それをどう扱うかというところからだろうな...
なぜ2020年はうまくいったか、という事がようやく言語化できてきているかもしれない
たぶん私は内省的だけど、内向的ではないんだろうな
単純に友人として接する分にはどうでもいいけど、仕事をしようとすると、おそらくここが大きなハードルになる。
つまり、てきとー管理によってメンバーが内省的であることが前提になっているし、一方で成果や周囲とのあり方に対しては外向的である事を求めている。
「内省的だけど内向的ではない」というのはけっこう捻れているので、割と数がすくない。
「自分のための努力」をどこまで肯定すべきか/肯定できるかというのは結構なテーマだな...
必ずしも私自身が納得をしていなくても、組織設計で防げるのではという気もする反面、根本的な部分では防げない気がする。
この部分を言語化/可視化して事前に説明することで、確認はできる気がするが、それをどこまで受け入れられるのか
(駆逐:自分が同格の相手をしばしば論破して最終的に退職まで行き着いた現象について)
さっきの内向/外向みたいなことと絡めて駆逐現象を説明すると、私の感覚では答えは外にあるので、外から答えを投げ入れるといつかは辿り着くし受け入れるだろみたいな所がある。
内向的だと、自分の中で答えを見いださないといけないし、極論答えが見つからない可能性も全然あるので、大体それで相手がすり減って駆逐されちゃう。
一方で私自身が内省的なので、てきとうに投げ入れた答えは相当考えないと理解できない場合もある。単に外向的なだけでは根本的に理解できない可能性もある。
いずれにしても、結果的に駆逐が発生してしまう。別に駆逐したいわけではないのに
「答えが出ないと絶対に進めない」という構造が発生しがちで、そこで躓くと死ぬ、みたいな事はあるね。
いや、実際、「究極的には仕事はしなければならないことの集まり」という価値観があるので、何らかの代替手段を用意するとしても、致命的な問題については確実に漏らさず解決しないといけない、という仕事の仕方で、それを強く課している部分はある。基本的に逃げ道とか、寝かしておくという事がない。それが厳しいという説はあるな。
組織構造がしっかりしていれば、担当A個人はしばらくできないままでもOK、みたいな構造があるけど、それがないので自分が出来ない事については直ちに向き合うと同時に、納期までに自分の力で出来るようにならないといけない、という事がある。できないままで居る事は基本的に許されない。
なるほど、それが厳しい可能性はあるな
「できないという結果がゆるされない」というのはそういう事なんだな...
そのような意味では、偏った人はむしろ組織に属した方がよいという事もあるな
※この辺は【コスト意識】でまとめられる話でもある。
より正確に言うと、努力して最善を尽くした結果の失敗は許容されるけど、そうでなくて「できない」ままで居る、みたいな事はまず間違いなく許されない。
厳密な意味での結果に関わらず、「できない」を直ちに脱するための措置を取る事・取れる事が強く求められる。仕事において「できない」ままにしないという事への要求水準はおそらくめちゃくちゃ高い。
なるほど

これは私が契約文化的であることも影響しているな...
役割分担はあるけど、役割分担で自分がやるとなった部分については、徹底的に自分の責任を全うする事が求められる。それについては妥協を許さない。契約文化なので。
過去にいろんな人から出てきた「やりたい事を自由にやれる」というのは間違いなくそうなんだけど、その裏側にあるのが「相応の責任を求める」というより【宣言した事については、"運"以外の要素で出来ない事は許されない】なんだな。これが価値観の根底にあるんだと思う。
このとき、どこまでを"運"に含むかという事についての判定は、おそらく一般の開発組織の中ではシビア。
私が不確実性云々という考え方に否定的であることもわかって、もちろん不確実性を根本的に否定しない一方で、「今の時点で考えればわかること」に対してはかなり厳しく考える事を求める。考えれば分かる事は不確実性には入れないし、それを理由に失敗することは許さん、みたいなのは確実にある。
「"運"以外の要素で」というのが、人によって心理的安全性にめちゃくちゃ影響するんだろうな。
手を抜かない人は自由にのびのびやれるし、そこで無意識で手を抜いてしまう人にとっては、場合によっては毎回詰められる事になって心理的安全性が全くないという事になる。
これで、実際に一部の人はのびのびやれるのに、一部の人は全くワークしないという事の原因が一つわかった...
「"運"以外の要素で出来なくても許される人」の枠、ファームみたいなものを、技術水準と別で用意するかどうかだな。
ファームの運用自体は(課題はあれど)できる、過去のインターンはファームと思って80%の精度までを割り切ってやっていた。
社員には100%までできる人だけを求めていたが、それも更にファーム枠を作るかどうか。社員ファームは、将来的にずっとそこに留まる人がいる可能性を考慮しないといけない。
自分で意図してそこに留まるなら、私は必ずしも否定はしない。
サービス運用に関しては、今考えてる事をやらなきゃいけないだろうなと思っていたけど、ただの開発作業も含めて整理して、かつそれをきちんと説明した方がいいな。多分。
80%まではできる人
→量、開発スピードで評価
100%までできる人
→量、開発スピードだけでなく、やりきれるという事を評価
自分がどの枠の人かは宣言してもらう
・スピードがある、問題解決能力がある
・技術的に高度な事ができる
・ターゲットが何であってもとにかくやりきる
別に一部欠けててもいいけど、評価の対象はこういうことだよ、という事をきちんと示して、また組織としても自己評価に合わせて評価するというあり方にしてみる。

いくつかの断片で...
- 仕事は与えられるものか、自分で作るものか?
- 大きな道はみんなで考える、具体的な実現は自分で考える
- 内向的/外向的 → 外向的(丁寧に説明)
- 内省的
- 【個人では答えは出せない】
- 個人で詰めるべきことが無い、と言っている訳ではない
- 個人の技能や執念は評価したい、しかしそれが最上位ではない
- 大きな道はみんなで考える、具体的な実現は自分で考える
- 自主性、裁量ということについての考え方
- 裁量はあっても、最低限守るべき制約・品質はある
- 手順ではなくて内容(我々のやり方は、手順を守ればOK、という形式ではない)
- 事前にすべて列挙できるものではない
- 評価軸
- 作業のスピード、精度
- 技術的に高度な事ができる
- 問題解決能力、ターゲットが何であってもとにかくやりきる
- 過去の参考事例:インターン(80%理論)
- プロ意識・コスト意識(要素還元主義的)
- シナジーを生むための組織構造ではあるが、評価では完結性をより評価する
- 完結性がなければNGという事ではなく、居場所も提供するが、完結性に対する尊重は強く求める
- 実際にお客様の手に渡ること、実際の現場・利用者の経験を最重要視する
- シナジーを生むための組織構造ではあるが、評価では完結性をより評価する
- なぜそのような評価軸で考えるか?
- 「開発者は特別な人間ではない」
- サービスに関わる全員がサービスを作っている、設計やコーディングはただの機能役割
- お客様の手に届くまでのすべての過程を省略できない、職に貴賎なし
- できる事によって評価は変わるが、どこまでやるかによっても評価が変わる
- 「我々が気持ちよく働くには、努力が必要」
- 辛く苦しい努力でなくてもよい
- 土壇場では踏ん張らないといけないときが必ずある
- 「開発者は特別な人間ではない」
- 常に相談に応じる
- 具体的なあり方については、常に相談して作っていく(個人では答えは出せない)
- 補足
- 「個人では答えは出せない」というのは、それなりに個を追求した上での答
- 一般的な多くの会社よりは、個としての力をずっと求める

ルックバックを読んで考えた事をもとに、とうとう開発チーム理念が完成してしまった。
やったー。

まだドラフト段階だけど、一旦以下の内容でまとめた。
- 任務
- 仕事観
- 心構
- 自主性・裁量
- 責任
- 業務評価軸
このスクラップには、任務と心構については書いていなかった。あとは、細かい追加はあるけど大筋は記載のとおり。
任務
- サービスが顧客に届き、実際に使用され続けるまでに必要なすべてのことへの対応。
- チームの自己組織化に必要なすべてのことへの対応。
これの具体的なイメージは、添付の図。
心構
- 影響に対する自負を持ち
- 泥臭い事をさぼらずに
- 相談・対話を重視して
- 楽しく意味のある仕事をする
結局は、WHO YOU AREじゃないけど自分自身の価値観に基づいた一種の文化になってしまったけれど、相談してみて問題なければこれを理念/principleとして据えたい。

理念の全体像を追加。

表現や体裁はさておき、根本的にはズレがなかったのでよかった。
ルックバックのおかげで理念ができた開発チームは、世界中にうちだけだろうな...

asisを超える理念があるべきではないか、という考え方はあるが、理念は根本的なあり方だからtobeは必ずしもなくても良いかもしれない。とりあえず嘘のないasisでやってみる。

組織構造、採用、育成、業務スタイル、ムード、業務強度、業務難度
完全に独立ではないが完全に従属でもない
理念は
組織構造、採用、業務スタイル、(ムード)
の規定かな
組織構造、採用、育成、業務スタイル、権限委譲/責任、ムード、業務強度、業務難度
全体としての権限委譲のあり方の規定は組織構造的、個人としての具体的な権限委譲の段階は業務スタイル的
職位とか職責とか言うべきなのか
業務強度とか業務難度も個人の話と全体の話とある

まあ、先に「こういう要素を相談で自由に決めましょうね」と説明しておいた方が良いのかもしれない、私はなんでも相談で自由に決めれば良い派だけど、みんな最初からそう思っているわけではない
・権限があればやるのに、という事はありますか?
・過剰にやらされている、荷が重い、という事はありますか?
・仕事の量は少ないですか?多いですか?
・仕事の難しさは易しいですか?難しいですか?
・楽しく仕事をしていますか?
・一番の悩みはなんですか?(他に大きなあれば、それも)
(これ前聞いた事ある気がするな)
・とりあえず質問があればなんでも聞いてください。どうしても聞きたくない場合は、次のことを考えてください:自分が停止する時間が、人から奪う時間の3倍を超えるなら、無条件に質問する。
・独力で答を出す事が重要だと思われがちですが、検索や調査なども含めて定着/理解しつつ終わらせるという事が重要であって、必ずしも少ないヒントで自分の中から答を生み出す事が大事なわけではありません。相対性理論も量子論も、アリストテレスの時代には誰も根拠ある理論としては思いつきませんでした。先人の知見を利用する事は重要です。
※これを言うとパワハラになるやつ...は、客観的に考えて聞くことが効率的であれば、それをしないこと・自分一人でやろうとする事は怠慢であって、働いていないのと同じです。仮に聞いた時に何か悪感情が呼び出される事があるとしても、仕事はそうやってやらないといけないものです。
このへん、聞きやすくするという事もあるんだけど、聞きにくい時に聞かない人は結局いざと言う時に聞けないという脆弱性が残ってしまうのがある。それについて、まあそういうもんだ、と思うかどうか。