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2021年の半期の振り返り...だったなにか(6ヶ月遅れ)

2021/12/28に公開

今年は半期(〜6月)の間に色々な事があったので振り返りをします。
(とりあえずリリースしたサービスが稼働しているのを確認したこのタイミングで)

...などと書いていたら、なんと本当に半期の振り返りがなくなってしまった!
5月ぐらいまで書いてあった文章に、2021年12月28日深夜の今、追記しています。

目標に対しての概要

<自分が作業を引き取らない構造を目指す>
→ 5/50ぐらい。
<最初に持っていないベストな答を拾いにいく>
→ 30/50ぐらい。

前半は35点!
2年前といい、サービスリリースしてなんとか案件としてまとまった年は、点数が低くなりがち...

ダイジェスト

1月

前年から取り組んできた案件について、明らかに要員が足りないので、マネージャークラスを業務委託で探す。一応、当時それまでに面談した人の中では一番行けそうかなと思った人に依頼する。失敗だったけど...
人員不足で顧客に泣きつくという実績を解除。あたらしい...

一方で、プロジェクトの内容というか、出てきた要件には個人的には満足している部分もあった。
これまで業務メンバーが主体的に要件を出すプロジェクトというのをそこまで経験していなかったので、業務メンバーが要件定義書を作ってフローまで整理するという事ができたのは、個人的には非常に嬉しいポイントではあった。しかし、やはり素人の整理した結果ではあるので、システム的に足りない部分もあった。
この反省は色々今後に生きるだろうなという気がする。私自身が「要件定義」という言葉に対して雑だったなという事を案件を通して思い知った部分がある。やはり、いわゆる標準成果物を一通り網羅できる程度の要件定義が必要になることはある。

2月

開発要員も増やして、業務委託の参画者数が5名になる。開発チームの業務委託としてはこれまでで最大(インターン10名以上はあったけど)
2月の参画者は、結果的に全員が法人成りしている人たちであったため、なんというか笑ってしまった。

3月

CDKがとても快適。
以前、インターンの人に本番環境構築の手順書を作ってもらっていたが、その手順書を読みつつ実際の本番環境を見つつCDKに落とす、という事をチームメンバーに依頼。これが非常によく、インフラに関する知識展開も進んだし、新環境をすぐ作れるようにもなった。CDKすごい。
CDKにするという判断をしたのは構築直前だったが、これは良い判断だった。
CDKはこの後、別のシステムで本番環境を構築するときにその威力を遺憾なく発揮することになる。

外注のマネージャー候補から身を引く連絡。ほえー。
まあ、元々1月から想定されていた事ではあったので、他の案件のコストを削って、彼が担当するはずだった領域を進めるしかない。
途中からの参画という事で中々難しいので、テスト(計画書・シナリオ・ケース)の雛形作成、業務メンバーへの展開、管理、みたいな事を依頼したかったんだけど、結局その業務は1mmも進まなかった。

4月

世間の情勢により、案件のエンドが伸びる。伸びてもタイトだったので伸びていなければ死んでいた。
結局、かなりの量の作業を引き取ることになってしまった。
作業指示をするコスト+確認するコストと、実装するコストを天秤にかけてしまうと、どうしても実装するコストの方が低くなってしまい、作業せざるを得ない場面があった。業務委託でなければ、長期的に...という事も考えられるのだけど、業務委託チーム編成だと難しい。

5月

なんだかんだ連休はそれなりに休みつつ、足りないところの実装。当初、4月が決戦になる可能性があると思って、3月が決戦と思って勝負していたが、実際には3〜5月が決戦になってしまった。。。

6月

だいぶ作業が緩やかになり、コロナも当時としては比較的収束して、無事リリースを迎えることができた。
とはいえ、オリンピック前後にはまたコロナは拡大するのだが...

もはや半期の振り返りではなくなってしまっていること(ただのお気持ち)

進め方に色々と課題はあったものの、結局12月の今に至るまで大きなトラブルもなく、個人的にも思った以上に安定していた。これは運用の力が大きくて、営業を兼任しない運用専任メンバーがいるとやはり安定するのは間違いないなあと思ったりした。

最初の会社で、「自分の仕事は人様の仕事を作ることだ」という事を思ったが、その時と全く同じ意味でそれを思ったし、全く違う意味でもそれを思った。
同じ意味というのは、システム的に仕事の仕方・枠組みを規定するということ。全く違う意味というのは、新規事業を立ち上げて成立させるということ。
こういうことって、決して自分自身のためにやっている事ではないのだが、私は口がうまいので、こういう事を自分の功績として語ることはできる。つまり、自分自身で事業を作ったし、その事業を足掛け5年、緩やかではあるにしても右肩上がりで続けているし、仕組みに興味を持つ顧客が出てシステムそのものを提供する事もやって、顧客の新規事業構築に大きく貢献した。
たまに共同創業した社長のその後を検索すると、彼は彼で面白いキャリアを(炎上とかの笑い話だけではなくて真面目な意味で面白いキャリアを)歩んでいるが、とはいえ彼は事業を継続できなかったという事はあって、私は少なくとも今日までは続けることができた。(あと10年ぐらいは少なくとも続けると思っているが...)
一過性の流行りとか、特化した事業ではなくて、幅広く人間の行為に関わる事業に最終的にたどり着いたので、需要が無くなるという事は確実にない。あり得るのは、コロナも含めてルールが劇的に変わるか、圧倒的なゲームチェンジャーが出現するか、どちらかだ。しかしいずれにしても、即座に我々の息の根を止められるようなゲームチェンジャーはあり得ず、10年は確実に続く。そういう領域で勝負できているのは良かったと思うし、ライフスタイルとはいえそういう領域で勝負できなくなってしまった共同創業者たちには、悲しいという事ではないのだけど、なんとなく思うことはある。

実態としては経営的な事をやっているのかもしれないが、直接経営をする必要はない「開発者」になって、まあようやくここまで進んできた。事業は確実に成長して、それができるという実績も確実に積まれて、この実績をうまく使って個人的に得をしようとすれば、そうとう得をできるだろう、という事は強い実感がある。でも、幸か不幸か、私はそういうことに興味はなかった。必要であれば多少はできるにも関わらず。
ルックバックから実家より送られてきた全盲の人の本に至るまで、そういう根本的な価値観についても深まった一年だったが、この辺は後半(下期)に続く...

人様の仕事を作ること...でできたこととできなかったことと

このプロジェクトは、私個人の主観からすれば、システムに対する現場の希望はかなり強く引き出せた。とおもう。
少なくとも、私が最初の会社に居たとき、紛いなりにも業務メンバーが要件定義を自分たちの言葉で書き上げるという事はなかった。そして、私がやっている仕事はいわゆるDXで言えば遅れているが、遅れているなりの理由というものが確実にあって、それが声になった状態ではあった。
2020年の末頃、私はそれが本当に嬉しくて、この仕事にワクワクしていた。(今ワクワクしていないという事ではない)
ただ、私に時間がもっと与えられていればできるのに、と思ったことは実際には全然できなくて、この要望をシステムとして整えられれば...という事の山の前にどうしようもなく、結果的に個人的にはミニマムの内容に着地した。
本当は、もっともっとやりたい事はあって...

その状態は2017年からずっと続いていて、やりたい事を実現するだけの能力がまだない。
個人の能力の問題はすでに超えていて、組織的に人を増やして対応していかないといけない。
とりあえずプロジェクトとしては着地はしたものの、組織的な至らなさは強く感じて、やはり組織を作ることが最優先事項だと実感させられた。もともと実感してたけど。

能力的な壁と、それ以外で超えられる壁

私はつい自分の能力をベースに考えてしまうのだが、それを脱却しつつ、個人としての能力を超えた成果を出せるようにどうしていくべきか、という事を考えている。どこに答えがあるのか。

デザイン

ちゃんとしたデザインがやりたい。
これも後半の話か...

まとまりもなく、とりあえず上期の話はおわり。

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