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学習・認識合わせ・失敗・作業量あたりのメンタルモデル
(業務上の)学習・認識合わせ・失敗・作業量などにおけるコストの最適化をどう考えるべきか?という事について、2024/11/16時点の、私の最新の考え方についてのメモです。
結局何がいいたいのだ、という事については骨子の骨子(結論)を参照してください。
骨子
- 学習方法が間違っていない場合、学習に必要な時間は学習する人に最も大きく依存する
- 記号接地の時間は省略できない
- 教える方法や内容への依存度はあるが、それが同じ場合の個人差は学習する人ほどではない
- 公教育が実際にそう、教師の個人差もあるが、それを圧倒的に超える生徒側の差がある
- 教師の差も、時間や集中して勉強させる事の方が本質
- 公教育が実際にそう、教師の個人差もあるが、それを圧倒的に超える生徒側の差がある
- 一度記号接地するレベルで学習したことについて、無になることはほぼない
- 忘れることもあるが、記号接地していればすぐに思い出せる
- 複数人いるとき、何もしなければ人の認識は必ずずれる
- 認識合わせには常に一定のコストを払い続ける必要がある
- このコストが無になることはない
- 細かい作業指示をしないといけない時点で負け戦だが、認識合わせコストは必要
- 知的作業について、認知が合わないと1:100の差が生じたりするが、認知が合っていても数倍〜10倍ぐらいまでの差は生じ得る
- 作業量が多い人と少ない人が2人で作業をする時に、認識合わせをすると、2人の合計作業量が1人の作業を下回る事はありえる
- 作業量が下回る状態は根本的に学習で埋められず、その2人で作業をすることだけを考えれば、永続的に1人よりも作業量が少なくなる事はありえる
- 作業が早くない・作業量が少ない人も認識が同じであれば教育はできる
- 教育に必要な時間は学習者依存であり、作業量が多いからといって早く教えることはできない
- 2人では永遠にペイしなくても、教育・再生産を含めればペイする
- 直近のコストを優先して認識合わせをしてない人をそのままにすると、他に人がいる場合は逆教育を発生させてしまう
- 逆教育は"地位"のようなものに依存しない
- 逆教育によって受けるダメージは深刻
- チーム内での衝突は認識合わせの重要な機会
- 衝突は認識の差によるものなので、衝突してそこから認識を修正することを高速に繰り返した方が衝突しないよりずっといい
- 認識の差が発生していなければ衝突せずに済むが、認識差があるなら高速に是正した方がよいということ
- 衝突は認識の差によるものなので、衝突してそこから認識を修正することを高速に繰り返した方が衝突しないよりずっといい
- 失敗は基本的には事実との認識のずれで生じる
- 「誰か」の認識がずれていることにより、物理法則に従わない事をやろうとして発生する
- 学習の観点だけで言えば、失敗して修正することを高速に繰り返した方が、失敗しないよりずっといい
- ただし失敗にはダメージがあり、致命的な失敗をしてはいけない
- 具体的に何が致命的かは、リカバリできるかできないかで変わってくる
- 実際に致命的な事象を引き起こさなくても、それが失敗だという事を認知できるならば成長できる
- トラウマにならずに済むので、その方が成長が速い場合もある
- 言葉だけで学習しても、実際にやった時に発生する失敗をすべて学習仕切るのは原理的に難しい
- すべてを言葉で表現できるわけではない、シミュレーションには限界がある
- 百聞は一見にしかず(聞いておくべき事ももちろんあるのだが)
- 安全に失敗できる環境があると学習効率が向上する
- 専門家と同じ質のアウトプットができることが学習の結果
- 学習において模倣することは重要
- 特に認知の模倣、同じことを考えられるようにすることは重要
- 守破離の守の部分
- 講師役と認知を合わせようとすると、講師役に対して反論しにくくなってしまう
- 専門家も自動化されていない検討・考え事の初手については当然間違えることがある
- どれぐらい間違えるかを学ぶことも重要
- その意味でも講師役が複数いた方がよい
- 成果の品質を上げるには、この間違いをチームとして是正できないといけない
- 一人で講師役をしながら仕事をすると、講師役がした仕事に対する修正を受けにくくなる
- 講師役とリーダーはできれば別でとりたい
- 開発の専門家以外にも業務の専門家の概念があり、業務については他の人からも学習できる
- 純粋な開発だけではない業務の学習の設計が必要
- 承認は色々な人から受けることができる
- 開発組織の設計に承認の設計もあった方がよい
- 講師もリーダーも承認しにくい場面がある
- 思考の整理や共感を持てないと苦しい場合がある
- 思考の整理や共感の設計もあった方がよい
骨子の骨子(結論)
つまり、
- 認識合わせのコストは常に必要で、かつ対作業量で成果がマイナスになることは普通にある
- 人数あたり効率で、例えば2人なら50%を切る状態、3人なら33%を切る状態ということ
- でも認識合わせをせずに放置してはいけない
- 作業と学習(教育)でコスト構造が異なり、作業量でペイしなくても学習の手助けはできる
- 本質的な「ペイ」は年単位〜で考えないといけない、普通に数年かかる
- 複数人で教育できる構造がよい
- 講師役とリーダーはできればわけたい
- 業務の知識はさらに別の人からも学習できる
- 以下の要素の設計が必要
- 学習(長期計画)
- 開発に限ったこと
- いわゆる業務知識
- 組織の考え方について
- 特にこのメンタルモデル自体
- 承認
- 思考整理・共感
- 学習(長期計画)
作業量が必ずしも線形に増えるわけではないのは自明だが、しかしN人で作業量が1を下回る、つまり作業効率が1/Nを切るような状態が小さいNでは普通にあって、でもNを増やすとやがて効率が1/Nを超える(それが実際にどこまでいくかは?本質的にコンフリクトのない作業であれば線形に漸近する??)というモデルがある、という事に気づいたのがポイント。
この事が示唆しているのは、作業量が人によって変わるタイプの仕事と、そうでない仕事(説明とか教育は人によって量が変わらない)を区別して戦略を立てる必要がある、ということ。
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