🧑‍🦰

おい、ゲームにしろ - 消耗を避ける継続のやり方

に公開

仕事をしていると、精神がすり減ってしまう・消耗してしまう時があります。これは、実は技術的にある程度避けることができるので、そのコツというか方法を記録しておきます。
一つ先に言っておくと、完全な方法ではありません。ただ、人によっては大きく対人関係や物事の推進方法が変わると思います。

書いていて気付いたのですが、これは教え方を教える: ソフトウェアエンジニアリングと中学受験という記事における

この際、一番問題になるのは報酬系である。多くの場合、何かをできるようになるのは退屈なのである。

という事についての一つの具体的な提案になっています。元々は消耗ということをテーマにして書き始めたのですが、広く物事を習得するノウハウとしても機能します。

以下、いくつかの事象から着想を得ていますが、合成や再構成を経ており、特定の具体例に基づくものではありません。

打ち合わせ・対人で圧倒されない為の具体的なアドバイス

ビジネスで打ち合わせをするときに、強い語気で発言してくる人がいます。詰問口調、敵対的で、当初想定していた話題とは異なる話題について、その人の考えを通すように切り込んできたとしましょう。その人に対して、自分は専門家として応答することが求められていますが、話題が当初想定と異なっていて答えにくい内容になっています。専門家としての責務を全うしようにも、いちいち口調が敵対的で、混乱して余計にどう応答すべきかがわからなくなります。そうすると、この打ち合わせを自分が壊してしまうのでは...?といったことまで頭にチラついて...

めのまえが まっくらに なった!

このようなとき、どうすればよいのか?一言で言うと 「ゲームにしろ」 です。

自分と相手を相対化して、ゲームにする

敵対的な相手、令和の世には減ったかもしれませんが、時には怒鳴り散らしてくる相手などもいます。怒鳴りを直接受ける自分は疲弊しますが、このようなとき、まずは怒鳴る相手と疲弊している自分を少し俯瞰して考えます。具体的には、自分のコピーを物理的に一人作って、その自分が今の状況を上や横から眺める姿 を物理的なイメージとして想像します。次に、その上や横から眺める神視点の自分から、相手がなぜ怒っているのか、自分はどうそれを受けているのか、を観察します。
そんなことを考える余裕はない!と思うかもしれません。大丈夫です、混乱して思考停止するような状況であれば、仮に観察のために停止してしまったとしても大した問題ではありません。人と人で会話をしているときに、仮にちょっと停止する時間が入ったとして、それが原因で会話を続けられないとしたら、そもそも普通に会話を続けられる相手ではなく、何をしていても関係ありません。もし会話を続けられるならば、停止した時間に応じた価値を後で提供できれば問題ありません。いずれにしても、それぐらい考える余裕はあるのです。特にやり始めは時間を要するかもしれませんが、慣れると物理的なコピーを作らなくても状況を俯瞰して考えられるようになります。自分のコピーを作るのは、あくまでも俯瞰するということのイメージを具体的に作って慣れる為です。
この観察をすると、それだけで相手と自分を相対化することができ、不必要に慌てることはなくなります。また、客観的に見て、例えば相手がおかしいことを言っているのでは?といったことも空気に飲まれずに判断できるようになります。もちろん1回目からすぐにうまくはできないかもしれませんが、冷や汗をかくような場面で常にこれをやるようにすると、だんだん自然にできるようになります。この成長過程も含めてゲームにします。 つまり、同じような場面が出たときに、コピーを作って俯瞰する作業をしたときに、どれぐらい自然にできたか・客観的に分析できたかということを都度採点して、次の目標を立てます。これを苦しい振り返りにせず、ゲームにするということが重要です。自分のコピーを作って脇において、そこから自分たちを眺めるゲームをします。観戦ゲーム と言えるかもしれません。
これは目の前の相手に誠実に向き合わない、ということでは決してありません。むしろ、誠実に向き合うための取り組みです。つまり、空気に飲まれて適当なことを言うのは相手にとっても専門家の職業倫理としても誠実でないので、浮き足立たず地に足をつけるために、 技術的に自分のコピーを作って眺めるという動作をする ということです。そのような目的を持った意味のある行動を、あえてゲームにする と呼んでいます。怒鳴っている相手、あるいは敵対的な相手に対して誠意を忘れろという話ではないです。

勝手に相手の背景を想像して、ゲームにする

相対化と関連して、相手の性質や発言傾向から、相手の背景を想像するというゲームをします。
例えば、敵対的な発言をしてくる人が、リーダーなどの一定の役職・水準にあるとしましょう(ここまでは事実そうであるとします)。一般論として、全く仕事に対して向き合わない人間であれば、リードするような立場にはなれないはずです(ここは推測)。そうすると、目の前の人は自分の仕事に向き合って信頼を得られるような人間でありながら、敢えて敵対的な発言をしてきているということになります(これも推測)。それはなぜか?ということを考えてみます。
例えば、その人は転職して日が浅くて、信頼してもらえるようになるために焦っているのかもしれません。プロジェクトの進捗が悪い中、上司・マネージャーがうまく機能しているように見えず、軌道修正を図りたいのかもしれません。実はその人は社長で、普段はついてきてくれる社員のことを深く考えて優しい人だったのに、その社員たちを食わせるために必死に仕事を取って回すことをした結果、オラついてベンダーコントロールする方法をバッドノウハウとして身につけてしまったのかもしれません。
もちろん、たまたま昼食を食べてなくてお腹が空いて気が立っている、みたいな下らない理由もあるかもしれませんが、実は目の前の人にはそれぞれの人生があって、一定の理由で任されてその場に存在していて、そのような行動を取る経緯・背景も必然性も存在しているわけです。それを当てるゲームをします。
つまり、この人はどのような背景があってそのような行動を取っているのか。それを勝手に考えて、勝手に肉付けします。勝手なのでもちろん沢山外れます。ただ、外れたら必ず修正をして、自分で採点します。採点して、次に新しい人が出てきたときにまた勝手に考えるゲームをします。これも、成長過程・上達を含めてゲームにします。
一斉を風靡したドラゲナイという曲では、このように歌われていました。

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ

「彼」に肉付けをすると、心の中でなんとなく親近感が持てるというか、ただの敵として切り捨てたり、衝突を繰り返して疲弊するのではなくて、一緒に解決に向かうにはどうすればよいか、ということを前向きに考えやすくなります。やたら敵対的なオッサンだな、ではなくて、社員を食わせるために必死に考え事をしながら、ああでもないこうでもないと苦労した結果、ここでオラついて来ているのだ、という勝手な仮説を立てると、まあそういうこともあるかもね、と思えます。
注意事項として、これも、目の前の相手と誠実に向き合わないでよい、と言っているわけでは決してありません。妄想に生きろということではありません。ゲームの中の妄想は常に正しくなくて、 目の前の相手が常に現実です。それを理解したうえで、ごく一般的に行われる「相手がなぜそう考えるのか」について仮説を立てて検証することを、ゲームにしてやろう、ということです。

打ち合わせを「話の流れを変えて、持っていきたい話をする」ゲームと捉える

ビジネス的な打ち合わせには、原則として目的があります。会全体で共有されている目的もありますし、参加者個人が持っている目的もあります。例えば、製品の導入にかかる開発の打ち合わせをしているとき、打ち合わせ全体ではクライアントの要求を達成するためにどうすればよいかを決める・状況を共有するという目的があり、例えばベンダーにはできる限り開発をしないですむようにしたい(あるいは逆に、実験的な開発をどんどんやっていきたい)といった目的があり得ます。全体の目的と個々の目的は直接矛盾しませんが、相手の目的や話の流れによっては個々の目的が達成されなくなったり、それによって結果的に全体の目的が達成されなくなったりもします。このような目的達成を自分の成長過程も含めてゲームにします。 実際、敵対的な発言もこの目的達成のために生じているもののはずで、発言が生じるメカニズムや対処法も目的達成の観点で説明できるはずだからです。
打ち合わせゲームでわかりやすいのは、話題転換や、どうやって持っていきたい話に持っていったかということです。これを、リアルタイムであったり、議事録を通して採点します。 打ち合わせが終わったあとに流れを振り返って、ここでAさんが話題を大きく転換したとか、議論が混乱しているときにBさんがヒントを与えてCさんが決定的な発言をしたとか、キーになる発言を抽出して採点していきます。具体的な点数を与えることが難しければ、次に自分もこうしたい、あるいはこうしてはいけない、といった振り返りでもよいでしょう。これも、苦しい辛い反省ではなくて、ゲームです。サッカー観戦と同じノリで打ち合わせ観戦をするのです。サッカーがわからなくてもシュートやドリブルで抜くといった個々のプレーはある程度はわかるはずで、最初はそれと同じことを打ち合わせに対してやります。最低限、自分たちが事前に持っていた目的を達成できたか。また、逆に相手は目的を達成できているか。最初は、自分たちが目的を達成できていない、つまり決めないといけないと分かっていたのに決められなかったこと・報告できなかったことなどが上がってきます。これは、明らかに余裕のある決定機でシュートを打てなかったことと同じですが、ゲームをやっているとこのレベルのミスは段々と無くなってきます。そうすると次の段階が見えてきます。つまり、そもそも目的を事前にきちんと出せているか。打ち合わせ中(試合中)にいきなり発生した目的がなかったか。試合中に発生した目的を事前に拾っておけなかったか、事前に拾えなかったのはなぜか。ゲームをやっていると、プレーや準備のレベルが上がってくるということです。そうやってゲームを続けていれば、やがて「相手が目的を事前に出せているか」といったことにも目が向くようになります。これで相手のレベル感がわかるようになりますし、また全体の目的を達成するにはどうすればよいか、といった算段も立てられるようになります。
打ち合わせをゲームと思っていない人もいると思いますが、実は打ち合わせゲームはそのようなゲーム性のある対象で、得点を意識してプレーしていると上達するようなものだったのです。ただ、具体的な得点のポイントを意識していないと、なんとなく意見交換をして終わり、あるいはその場で専門家としての責務を果たせたか否かという0/1の値だけが残って終わり、となります。
こう考えると、議事録をつけること、あるいはアジェンダを作ること自体もまたゲームです。今回はよい議事録がかけた、前回と比べてどうよくなった、あるいは前回かけたこれをかけなかった、みたいなこともゲームとして楽しみます。「苦しくてつらいテストの採点」ではなくて、「楽しいゲームの採点」です。これらのことは継続的にやらないと意味がないので、継続可能で楽しみ甲斐のあるゲームにします。

ゲームにするのは不謹慎・不適切でしょうか?色々な考え方はあると思いますが、大前提として良い仕事をするという倫理の下であれば、ゲームにして実を取るという判断は効果的であると私は思います。もちろん、この前提が崩れてゲームのためのゲームになりきってしまうと、その限りではないかもしれません。

プロジェクト推進の構造も本質的に同じ

ここまで、打ち合わせで圧倒される場合へのアドバイスとして、「ゲームにする」ということを述べてきました。実は、プロジェクトやその他物事を推進するという点においても、本質的に同じような構造があります。
つまり、プロジェクトに関わる登場人物の整理をゲーム化する。個人の掘り下げをゲーム化する。プロジェクト自体をいろんな人が共同作業するゲームと捉えて、その計画や進捗過程を採点して遊ぶ。打ち合わせやそれに類する対話は合意形成が一旦のゴールですが、プロジェクト推進は実際にそれが遂行されること・完了して提供されることまでがスコープの、より範囲が広いゲームと捉えられます。プロジェクトや物事が進捗しなくて困る・うまく進められず圧倒されるような場合も、ゲームにして遊んでいく、というのは有効な対処法です。全体としては苦しいことも、部分部分を楽しめるような形で切り出して採点しながら継続できるようにして、練習を積むことでやがて全体的に楽しめるようになる、といったことがあります。精神的な消耗を避けて、ゲームにしていく。ただし、前提になる倫理は大事にする。習得・継続・切替のための技術としてのゲームを利用するが、本来の目的は忘れない。といったことです。

おい、ゲームにしろ。

完全な方法ではないと思いますが、多くの物事でワークする方法だと思います。

Discussion