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短針だけの時計を作らない

2021/12/16に公開

自分の設計や考え方の傾向を、本当にジャスト一言で表現する事例が今日見つかりました。
「短針だけの時計」

おそらく、時計を使用する多くの人にとって、短針だけの時計はクソUIであると思います。
私自身も客観的に普通はそう思います。
しかし、短針だけの時計には、いくつかの優れた点があります。

  • 短針だけで何時何分何秒なのかは一意に決まる
    • 針が複数なくて混乱しない
    • アナログの数字に対して時刻が自然に対応する
  • 歴史的には短針が光の影のアナロジーである
    • ただし、日時計は日の出から日没までで約半周なので厳密には異なる

実際、今日私が時計のことについて考えていたのは、子供が時計を読むにあたって長針の11->55という実質掛け算のような計算をいつごろ覚えられるのか?という事を考えていたからでした。子供にとって長針の規則は難しく、短針だけであれば最近は正確に読めるようになってきたので、長針無くても本質的には問題ないよな...と考え始めたのがきっかけです。
明らかに、一般人にとっては長針がある時計は無い時計よりも良いUIであると思えますが、ある種の美学や原始的な原理のみに従うと、それが逆転する判断をしてしまう可能性があります。
そして、もっと込み入った条件の場合には、機能Aを持つモノが存在する場合と存在しない場合でどちらが良いUIになるか、自明ではありません。そのような時に自分がどのような答えを優先的に選ぶか?ということ。これは当然人によって異なるものですが、私の場合は明らかに機能や記述が少ない方を選びます。少ない状態が洗練されていて、その状態から多少手間がかかるとしても、それは手間がかかる人間の方が解決すべき問題であると考える傾向があるからです。
私のこの傾向を作ったのは大学受験とそれにまつわる独学だと思いますが、なるほどと深く感じ入ってしまいました。
私は短針だけの時計を作っていて、短針だけの時計を使いこなすこと/理解することを求めている。
なるほど。

短針だけの時計を作らない。この一言だけで、様々な事柄が端的に表現されてしまった。
(というこの言葉もまた、短針だけの時計なのですが...)

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