今回は番外編です.前回のSVP を元にして,衝突困難関数を構成します.
全3回通しでの目次
第1回
- 本論文全体の流れ
- 前提知識
- 今回出てくる予備知識のまとめ
- 1の3乗根
- 3分整数
- p分整数
- m分整数
- イデアル
- 衝突困難関数とSVP
第1.5回
- 記号の整理
- 衝突困難関数の構成
- 衝突困難関数の計算例
- 構成の証明の方針
- 構成の正当性の証明
第2回
第3回
今回は第1.5回です.番外編です.
前回放棄した,SVPを使った衝突困難関数の構成を行います.
具体的な内容としては,次のようになります:
- 記号の整理
- 衝突困難関数の構成
- 衝突困難関数の計算例
- 構成の証明の方針
- 構成の正当性の証明
記号の整理
初めに記号の整理をします.
論文とは違うものもあるしれませんが,数学的に一般的だと思われる方を採用しています.
以下では,正整数 m に対して,n = \phi(m) としています.
\bullet [a, b] : a 以上 b 以下の実数からなる区間(a 以上 b 以下の実数全体)
\bullet (a, b] : a より大きく b 以下の実数からなる区間(a より大きく b 以下の実数全体)
\bullet a \equiv b \ (\mathrm{mod} \ n) : a を n で割った余りが b
\bullet a \ \mathrm{mod} \ n : a を n で割った余りで0以上 n - 1 以下の値で取る,a が円分整数の場合は,各係数に対して \mathrm{mod} を取る
\bullet [a]_n : a を n で割った余りで - \frac{n}{2} より大きく \frac{n}{2} 以下の値で取る,a が円分整数の場合は,各係数に対して []_n を取る
\bullet \mathbb{Z} : 整数全体の集合(有理整数環)
\bullet \mathbb{Z} / p \mathbb{Z} = \{0, 1, \cdots, p - 1 \}
\bullet \displaystyle \mathbb{Z}^{(p)} = \left( - \frac{p}{2}, \frac{p}{2} \right] \bigcap \mathbb{Z}
\bullet \mathbb{Z}[\zeta_m] = \mathbb{Z} + \mathbb{Z} \zeta_m + \cdots + \mathbb{Z} \zeta_m^{n - 1} = \{ a_0 + a_1 \zeta_m + \cdots + a_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} \ | \ a_0, a_1, \cdots, a_{n - 1} \in \mathbb{Z} \}
\bullet (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_m] = (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z}) + (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z}) \zeta_m + \cdots + (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z}) \zeta_m^{n - 1} = \{ a_0 + a_1 \zeta_m + \cdots + a_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} \ | \ a_0, a_1, \cdots, a_{n - 1} \in \mathbb{Z} / p \mathbb{Z} \}
\bullet \mathbb{Z}^{(p)}[\zeta_m] = \mathbb{Z}^{(p)} + \mathbb{Z}^{(p)} \zeta_m + \cdots + \mathbb{Z}^{(p)} \zeta_m^{n - 1} = \{ a_0 + a_1 \zeta_m + \cdots + a_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} \ | \ a_0, a_1, \cdots, a_{n - 1} \in \mathbb{Z}^{(p)} \}
\bullet I_g = \mathbb{Z} g + \mathbb{Z} g \zeta_m + \cdots + \mathbb{Z} g \zeta_m^{n - 1} = \{ a_0 g + a_1 g \zeta_m + \cdots + a_{n - 1} g \zeta_m^{n - 1} \ | \ a_0, a_1, \cdots, a_{n - 1} \in \mathbb{Z}^{(p)} \}
具体例を解説します.
まず,[a, b], \ (a, b] は共に集合です.5 \in [3, 5], \ 5 \in (3, 5] や 3 \in [3, 5] は成り立ちますが,3 \notin (3, 5] です.
次に 7 \equiv 3 \equiv -1 \ (\mathrm{mod} \ 4) などが成り立ちます.余りは負の数にも定義されることに注意してください.
ただし,7 \ \mathrm{mod} \ 4 と書いたら,この値は 3 と一意に定まります.これは,7を4で割った余りのなかで,0以上3以下のものは3しかないからです.また,円分整数 -6 + 5 \zeta_3 \ \mathrm{mod} \ 4 = 2 + \zeta_3 については,各係数について \mathrm{mod} を取っています(そして,あまりの範囲も制限している).
同様に,[7]_4 と書いたら,この値は -1 と一意に定まります.これは,7を4で割った余りの中で,-1以上2以下のものは-1しかないからです.また,円分整数 [-6 + 5 \zeta_3]_4 = 2 + \zeta_3 については,各係数について []_4 を取っています(そして,あまりの範囲も制限している).
p としては,素数を想定することが多いのですが,例えば,p = 11 なら,\mathbb{Z} / 11 \mathbb{Z} = \{ 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10 \} ですし,\mathbb{Z}^{(11)} = \{ -5, -4, -3, -2, -1, 0, 1, 2, 3, 4, 5 \} となります.
また,例えば m = 3 なら n = \phi(m) = 2 なので,
-2 + 3 \zeta_3 \in \mathbb{Z}[\zeta_3], 9 + 3 \zeta_3 \in (\mathbb{Z} / 11 \mathbb{Z})[\zeta_3], -2 + 3 \zeta_3 \in \mathbb{Z}^{(11)}[\zeta_3], -2 g + 3 g \zeta_3 \in I_g
となります.
衝突困難関数の構成
早速構成してみましょう.
自然数 m をとって,n = \phi(m) とします.B = (\mathbb{Z} / 2 \mathbb{Z})[\zeta_m] とします.つまり,B に含まれる円分整数は,係数が 0 or 1 です.
また,k を自然数,p を素数として,k 個の円分整数 a_1, \cdots, a_k を (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_m] から取ります.
このとき,H : B^k \rightarrow (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_m] を H(z_1, \cdots, z_k) = a_1 z_1 + a_2 z_2 + \cdots + a_k z_k とします.
*論文だと,H の定義でわざわざ mod p と書いていますが,右辺は (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_m] 内で計算することは定義より明らかなので,今回は省略しています.
といっても,少し経つと忘れてしまうので,今後はどこの環での演算かは毎回明示するようにします.今回なら「a_1 z_1 + a_2 z_2 + \cdots + a_k z_k \ \textrm{in} \ (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_m]」みたいな感じで.
そして,次の定理が成り立ちます.この定理を証明することが,今回の記事の目標です.
*関数が衝突困難であることの定義は,第1回「衝突困難関数とSVP」 を見てください
\underline{\mathrm{Thm}}
上記で構成された関数 H は,SVPがNP困難であるという仮定のもとで衝突困難関数である.
衝突困難関数の計算例
m = 3 の場合で考えます.このとき,n = \phi(m) = 2, \ \zeta_3 = \frac{-1 + \sqrt{-3}}{2} です.また,k = 6, p = 5 とします.
まず,6個の \mathbb{Z} / 5 \mathbb{Z} 係数のランダムな円分整数として,
\begin{align*}
a_1 = 2 + 3 \zeta_3, \ a_2 = 4 + \zeta_3, \ a_3 = 1 + 3 \zeta_3, \ a_4 = 1, \ a_5 = 3 + 2 \zeta_3, a_6 = 2 + 2 \zeta_3
\end{align*}
を選びます.
また,6個の \mathbb{B} 係数の入力を
\begin{align*}
z_1 = \zeta_3, \ z_2 = 1, \ z_3 = 0, \ z_4 = 1 + \zeta_3, \ a_5 = \zeta_3, a_6 = 1 + \zeta_3
\end{align*}
とします.
このとき,(\mathbb{Z} / 5 \mathbb{Z})[\zeta_3] 内での計算として,
\begin{align*}
H(z_1, \cdots, z_6) & = a_1 z_1 + a_2 z_2 + \cdots + a_6 z_6 \\
& = (2 + 3 \zeta_3) \cdot \zeta_3 + (4 + \zeta_3) \cdot 1 + (1 + 3 \zeta_3) \cdot 0 + 1 \cdot (1 + \zeta_3) + (3 + 2 \zeta_3) \cdot \zeta_3 + (2 + 2 \zeta_3)(1 + \zeta_3) \\
& = (2 \zeta_3 + 3 \zeta_3^2) + (4 + \zeta_3) + 0 + (1 + \zeta_3) + (3 \zeta_3 + 2 \zeta_3^2) + (2 + 4 \zeta_3 + 2 \zeta_3^2) \\
& = 7 \zeta_3^2 + 11 \zeta_3 + 7 \\
& = 7 (- \zeta_3 - 1) + 11 \zeta_3 + 7 \\
& = 4 \zeta_3
\end{align*}
を得られます.
構成の証明の方針
暗号方式が安全であることの証明ですが,基本的に対偶を示すことになります(何かのNP困難性に基づいて,その方式が安全であることを示すため).
今回だと,「SVPがNP困難 \Rightarrow H は衝突困難」ですから,「H は衝突困難でない \Rightarrow SVPがNP困難でない(多項式時間で解ける)」ことを示します.
SVPが多項式時間で解ける,は一見すると何をすればいいか分からないかもしれませんが,衝突困難ではない(と仮定している)H を使って,実際にSVPを解くアルゴリズムを構成すればいいのです.
一旦,SVPの定義を振り返ってみましょう.
参照:第1回「衝突困難関数とSVP」
\underline{\mathrm{Def(最短円分整数問題)}}
自然数 m を取って,n = \phi(m) とする.f_0, \cdots, f_{n - 1} \in \mathbb{Z} として f = f_0 + f_1 \zeta_m + \cdots + f_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} と置く.イデアル I_f と 0ではない円分整数 g = a_0 f + a_1 \zeta_m f + \cdots + a_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} f \in I_f \ (a_0, \cdots, a_{n - 1} \in \mathbb{Z}) が与えられているとする.
このとき,c_0, \cdots, c_{n - 1} \in \mathbb{Z} で g = c_0 + c_1 \zeta_m + \cdots + c_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} であって,g の大きさ ||g|| = \sqrt{c_0^2 + c_1^2 + \cdots + c_{n - 1}^2} が最小な (c_0, \cdots, c_{n - 1}) を求めよ.
g = c_0 + c_1 \zeta_m + \cdots + c_{n - 1} \zeta_m^{n - 1} なる (c_0, \cdots, c_{n - 1}) は,一般には複数あります.ですが,
a. 上記の (c_0, \cdots, c_{n - 1}) を1つ見つける(存在性を示す)
b. その (c_0, \cdots, c_{n - 1}) から長さが短い (c_0^{\prime}, \cdots, c_{n - 1}^{\prime}) を構成する
c. 2のループは (c_0, \cdots, c_{n - 1}) の長さが有限だから,有限回で止まる
d. 最終的な出力値が求める答え
ということをイメージできれば,bのイテレーションの操作で,H を使って,(c_0^{\prime}, \cdots, c_{n - 1}^{\prime}) を見つける多項式時間アルゴリズムを考えればOKなわけです.
では,実際にどうアルゴリズムを構成するかですが,まず,分かりやすい部分から考えましょう.
衝突困難でないと仮定すると,H(x_1, \cdots, x_k) = H(y_1, \cdots, y_k) なる (x_1, \cdots, x_k), (y_1, \cdots, y_k) \in B^k を取れます.
つまり,a_1 x_1 + \cdots + a_k x_k = a_1 y_1 + \cdots + a_k y_k \ \textrm{in} \ (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_n] であるので,a_1 (x_1 - y_1) + \cdots + a_k (x_k - y_k) = 0 \ \textrm{in} \ (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_n] になりますから,(x_1 - y_1, \cdots, x_k - y_k) \in B^k として H(x_1 - y_1, \cdots, x_k - y_k) = 0 となります.
これは何をいっているのかというと,衝突困難でないと仮定すると,そこから H(x) = 0 \ \textrm{in} \ (\mathbb{Z} / p \mathbb{Z})[\zeta_n] なる x \in B^k が取れる,ということです.
↑の話は初めの方針a-dいずれにも直接は役立たなさそうです.
結論から書くと,以下のようにして,1と2のループ中の操作を実現できます
1:領域 U(g, g \zeta_m, \cdots, g \zeta_m^{n - 1}) からランダムに元を取る
2:1の元を丸めこんで円分実数に整形する
3:2までの操作で得られる円分実数をm個取る
4:3でのm個の円分実数を引数にして,衝突困難関数を作用させると0に移るベクトルを取る
5:4までの結果を使って,gより短い円分整数を取れる
1
まずは領域 U(g, g \zeta_m, \cdots, g \zeta_m^{n - 1}) の内部および周(論文でいう基本領域)を考えます.それは,
\begin{align*}
u_0 g + u_1 g \zeta + \cdots + u_{n - 1} g \zeta_m^{n - 1} \ (0 \leq u_i \leq 1)
\end{align*}
と表すことができます.ここで,u_i の範囲を考えてみると,一見すると実数で良さそうなのですが,実数だと計算機上でシミュレートすることができません.
よって,パラメタ \sigma を取って,N(0, \sigma) に従う正規分布からランダムに実数(実際には有理数)を取ります.もちろん,Nは「離散」な正規分布です.
この試行をn回繰り返して線型結合の形にすることで,U(g, g \zeta_m, \cdots, g \zeta_m^{n - 1}) から適当に元を1つ取ることができます.
この元を(記号 u_i の乱用ですが) y_i = u_0 g + u_1 g \zeta + \cdots + u_{n - 1} g \zeta_m^{n - 1} とします.
2
y_i はまだ円分整数ではありません.u_i が有理数だからです.
ここで,w_i = p y_i / g とします.このことから、
\begin{align*}
w_i & = p(u_0 g + u_1 g \zeta + \cdots + u_{n - 1} g \zeta_m^{n - 1}) / g \\
& = p(u_0 + u_1 \zeta + \cdots + u_{n - 1} \zeta_m^{n - 1}) \\
& = u_0^{\prime} + u_1^{\prime} \zeta_m + \cdots + u_{n - 1}^{\prime} \zeta_m^{n - 1}
\end{align*}
を得られます.
このとき,u_i^{\prime} を四捨五入した整数値を a_{i, 0} とすると,
\begin{align*}
a_{i, 0} + a_{i, 1} \zeta_m + \cdots + a_{i, n - 1} \zeta_m^{n - 1}
\end{align*}
となります.これをa_i と置きます.
3
2で得られた a_i を i 回目の操作とみなして,a_0 から a_{k - 1} まで取ります.
4
ここでやっと衝突困難関数の話が出てきます.3での a_0 から a_{n - 1} に対して,z = (z_1, \cdots, z_k) \in \mathbb{Z}^{2}[\zeta_m] であって H(z_1, \cdots, z_k) = a_1 z_1 + \cdots + a_k z_k \ \mathrm{in} \ \mathbb{Z}^{(p)}[\zeta_m] なるような z を取ります.
5
最後に
\begin{align*}
\displaystyle
h = \left( \frac{g(w_1 - a_1)}{p} - y_1 \right) z_1 + \cdots + \left( \frac{g(w_k - a_k)}{p} - y_k \right) z_k
\end{align*}
とします.この h こそが,bのイテレーションで求めたかったものになります.
構成の正当性の証明
円分整数 g \in I_f を固定する.
0 \leq i \leq n - 1 とする.
i 回目の操作
実数 \sigma をパラメタとする,離散正規分布 N(0, \sigma^2) から,0以上1以下の n 個の有理数 u_{i, 0}, \cdots, u_{i, n - 1} を選び,y_i = u_{i, 0} g + u_{i, 1} g \zeta_m + \cdots + u_{i, n - 1} g \zeta_m^{n - 1} とする.
w_i = p y_i / g として,各係数を四捨五入することで得られる円分整数 a_i を取る.
以上の操作で得られる円分整数 a_0, \cdots, a_{n - 1} を考える.
この a_0, \cdots, a_{n - 1} に対して,z = (z_1, \cdots, z_k) \in \mathbb{Z}^{2}[\zeta_m] であって H(z_1, \cdots, z_k) = a_1 z_1 + \cdots + a_k z_k \ \mathrm{in} \ \mathbb{Z}^{(p)}[\zeta_m] なるような z を取る.
ここで,
\begin{align*}
\displaystyle
h = \left( \frac{g(w_1 - a_1)}{p} - y_1 \right) z_1 + \cdots + \left( \frac{g(w_k - a_k)}{p} - y_k \right) z_k
\end{align*}
とする.後は,
\bullet h \in I_f
\bullet h の長さが g よりも短い
以上の2つを示せばよい.ここでは前者のみ示す(後者は準備が大変なので・・・).
\begin{align*}
\displaystyle
h & = \sum_{i = 1}^n \left( \frac{g(w_i - a_i)}{p} - y_i \right) z_i \\
& = \sum_{i = 1}^n \left( \frac{g(p y_i / g - a_i)}{p} - y_i \right) z_i \\
& = \sum_{i = 1}^n \left( y_i - \frac{g}{p} a_i - y_i \right) z_i \\
& = \sum_{i = 1}^n - \frac{g}{p} a_i z_i \\
\end{align*}
であり,\displaystyle \sum_{i = 1}^n a_i z_i = a_1 z_1 + \cdots + a_k z_k = H(z_1, \cdots, z_k) \ \mathrm{in} \ \mathbb{Z}^{(p)}[\zeta_m] であったから,このことより h \in I_f が示される.
よって,与えられた g \in I_f より短い h \in I_f を構成でき,この操作を十分回数繰り返す(g の長さは有限なので有限会の操作で止まる)ことで,I_f に属する最小の長さの円分整数を構成できる.
以上より示された.
今回の内容はここまでです.ここまでご覧になってくださった方々ありがとうございます!
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