🪷

メンタルを病まないために続けてること

2025/02/23に公開

経験の浅いエンジニアがメンタルを病みがち、みたいなポストが少し話題になっている。

自分は若いときに、鬱とか双極症とかやった経験があるから、病んでしまう気持ちはわからないこともない。

特にここ1年の間は、「二度と病まないために健康を取り戻す」をテーマに生活してきた。

その結果、今のところ健全な精神を維持できているので、現時点でメンタルについて思うところを、少しまとめておこうと思う。

自分を「表現」できずに病んでいく人

恥ずかしながら30過ぎるまで、「自分」がどこにあるのかずっとわからなかった。

人と話すなかで 「自分が言おうとしていること、思っていることは正しいのだろうか?」とずっと自信が持てなかった。

だから何か感じたことや思ったことがあっても「言葉に出したり、態度で出す」ということが、ずっとできなかった。

何かしらの負の感情が生まれたとき、そういうことをどうやって表現していいのかが、ずっとわからなかった。

自分は新卒で入ったベンチャーを実質半年で辞めている。

意識が高まった国立の大学院生が、まんまと新卒ブランディングに騙されて、Webマーケのセールスを朝の8時から夜の22時までやらされていたわけだが。

当時の自分は、「ただただしんどい」ということすら、誰にも打ち明けられずにいた。

そういう弱音を吐くことが、駄目なことだと思っていた。

自分がいる環境が、そもそもブラック過ぎるということすら考えなかった。

他の先輩社員たちも同じように頑張っている。

成果が出ていないのは、自分が未熟で努力が足りないからだ。

特に人からそんなふうに言われたわけでもなく、勝手に自分で自分を追い込んでいた。

平日だけでは仕事が終わらないから、土日も働いた。

友達と遊びに出かけることも、好きだったゲームをやることも、スポーツで汗を流すこともなくなった。

やがて私は、朝起きられなくなった。

目は覚めている。

そして頭の中で仕事の内容がぐるぐる回る。

だが、身体が言うことを聞かない。

そのうち会社に行くこともままならなくなり、精神療養のために休職して実家に帰って、しばらくしてから退職して無職になった。

人間から「表現」を取り上げると死ぬ

結局今になっても「自分」がどこにあるのか、「自分」とは何なのか、についてはわからない。

だが、一つわかったことは 「自分を表現しないと、自分は死ぬ」ということだ。

新卒で病んだ私は、自分自身から「表現する」ことを取り上げていた。

辛い、しんどい、そういった感情に蓋をして、自分の感情を表に出すことを自分に禁じていた。

愚痴を言うのは好きじゃなかったし、弱音を同僚に吐いたり、ムカつくことを上司に伝えることは、会社の雰囲気を悪くするダメなことだと思っていた。

周囲からは、国立の大学院生が入ってきて、真面目で優秀そうなやつに見えただろう。

だけど、彼自身の中身はボロボロだったわけだ。

抑圧されて、行き場を失った感情はどこへ向かうのか?

それは、死にたいという方向に向かうほかない。

どうせ社会に出ていっても、そこで生まれる感情は、本人によって無視される。

結果として、それらは死にたい気持ちにしか向かわないのだから、起きられないほうがマシである。

だから、当時の私は、朝起きても布団から出られなかったのだろう。

「表現」をするには体力がいる

あなたは、感情を素直に表現したことがあるだろうか?

感情を表現すると、疲れる。

怒ると疲れる。

泣くと疲れる。

笑っても疲れるし、

楽しい時間も結局疲れる。

表現するには体力がいる。

精神的なエネルギーを使うには、結局体力がいる。

鬱のとき、そもそも生理的に体力が足りていないことも多い。

食欲がなくなったり、眠れなくなったりしているからだ。

だから、まずは体力をつけることが大事。

ここ1年、私は食事と睡眠を徹底的に見直した。

数年前、眠れない夜は何度も続いた。

今でも時々、季節の変わり目やとても寒い日は、眠りにくい日もある。

でも、眠れないことを気にしないことにした。

代わりに起きてる間に、しこたま働いて、動いて、体力を使い果たすようにした。

少しでも自分が充実したと思える日中を過ごせたら、夜は割と眠れることに気づいた。

それから腹が減ってなくてもメシを食うようにした。

朝も、昼も、夜も。

最初は空腹でもないのに食べるのは苦痛だった。

でも続けていると、自然と腹が減るようになってくる。

身体が「腹が減る」ということを覚えてくる。

意味のないことにこそ「表現」が宿る

意味のないことをしよう。

ゲームをする。

友達とお茶に行く。

好きなアニメや映画を見る。

同僚と愚痴をこぼしながら酒を飲む。

SNSに鬱憤を書き連ねる。

好きだったスポーツをするサークルに行ってみる。

全部、1円の得にもならないかもしれない。

でも、そういう意味のないことをしているとき、確実に「感情が動いている」。

人間と機械の違いはなんだ?

感情だろう。

感情が動くとき、あなたは間接的に表現をしている。

コンテンツや時間を消費しているとき、自分自身が能動的に何かを表現しているようには思えないかもしれない。

でも、何か上記にあげたようなことをしたときに生まれる感情は、

「あなた自身の無意識が刺激を受けた結果の表現」

なのだと思う。

自分の中にいるもう一人の自分が表現したもの。

それこそが、あなたの感情の正体なのではないだろうか。

であるならば、

あなた自身の感情に耳を傾け、目を向け、それを言葉でもって外に出してやればいい。

それがもしかしたら、「自分を大事にする」っていうことなんじゃないだろうか?

自分を生かすための「表現」とは

沸き起こる感情を好き勝手表現していては、社会生活がままならない。

何でもかんでも感情的になって、言いたい放題する人は、世間では「子ども」扱いされる。

だからといって、自分を押し殺しては自分が死ぬ。

「大人」のは、多分、「自分を殺さず、相手も殺さない」、そんなコミュニケーションが取れる人のことを言うんじゃないだろうか。

自分がピンチなら、適切にヘルプを出せる。

自分の感情が損なわれたら、それとなく伝えつつも、きちんとこうしてほしいと要求できる。

逆に相手の感情を損なったら、誠実に謝れる。

相手がピンチなら、手を差し伸べられる。

そういうことを、いつも100%できるようになるには、自分はまだまだ修行が足りないが、そういうことを、さらっとできる人間になりたいと、時々思う。

まとめ

  • 自分の心の声に、自分だけは耳を貸してやろう
  • 世間の常識や理性的な物差しで、自分の感情を計るのをやめよう
  • メシを食って、動いて、寝て、体力をつけよう
  • 意味のないことをしよう

睡眠とか食事とかいった側面からの、メンタルを病まないための生活習慣は、最近4万PVぐらい読まれたこちらの記事に書いてる本に則って全部やってる。

気になる人は読んでみてほしい。

https://zenn.dev/yusuke1225math2/articles/b019400d9e7879

※この投稿は、私のはてなブログから抜粋したものです『週報36 メンタルを病まないために続けてること - キムチのきもち

Discussion