とあるエンジニアの問題意識 2019-02-15
プログラミング言語の死。
死んだかどうか噂される時点で既に死にかけている。だが周りが思うよりしぶとく生き残る場合もある。枯れたスタンダードになる可能性も。ロック然り。紙の書籍然り。テレビ業界然り。いちど浸透したフォーマットはわりとしぶとい。枯れるか切るかも我次第。#エンジニア https://t.co/KWyHq4rOR2 http://twitter.com/YumaInaura/status/1096177831258742784
Twitterと著作権。
法律か何かが変わったらしい。それを注意喚起する人。だがその人の他のツイートを見ると思いっきり映画ホームアローンの模写イラストが描かれている。元のブログは削除されていた。何か指摘があったのだろうか。だから僕は著作権絶滅を支持する。プログラマならそう思う。#エンジニア http://twitter.com/YumaInaura/status/1096188907803136000
言葉はモジュール。
実験に成功すれば、たやすくメンタルモデルを構築できる。言葉は歴史を持っている。歴史あるもの同士が結合し発火する。例えば錯覚資産という表現。もともとの意味を知らずとも意図を推し量れる。優れた技術選択。巨大なモジュール同士が働きあいロボットが動く。#エンジニア #言葉 https://t.co/h2qrpi1B4T http://twitter.com/YumaInaura/status/1096207727880134656
焦らない技術。
会社に入ってから、焦る癖が露呈した。深刻な問題だった。マインドフルネスの技術でどうにか直した。むしろ周りと比べても落ち着きが最大化した。
だが時は経ちまた感じる。スピード感を上げると後遺症で焦りが生まれる。本当はハイウェイを降りているのに気づかない。
自分の身体感覚を反射しているだけなのに世界本体のように感じる。
日々の業務に流されずにいかに自覚的になるか。
僕には絶対に必要なこと。すべての人に理解されるとは限らない。
チームでのKPIなど振り返りの手法は受け入れられているが、個人的においての振り返り手法を説明できる自信はない。なにかと人に伝わらない事が多い。
タスクを次から次へと切り替えると、注意残余の起こり方が激しい。
人間はそもそもマルチタスキングは出来ないというが、僕の場合は顕著だ。ワーキングメモリが少ない。
だがディープワークではなくマルチタスキングの方が、偽りの刺激がある分だけ、誘惑が強い。テレビのチャンネルをザッピングするだけで、仕事をしている感じだけは出るからだ。
注力を担保したいときはSlackのサイドバーをそっと隠す。
単にウィンドウの端っこに持ってくる。これは一番手軽なやり方だ。前に自分で編み出した。
こうやって無限のワークハックを利用する。これを技だと思うだけで煩雑さが感じられて辛いが、世界をベールで覆う自己保全だと考える。
自分に起こっている注意残余をしみじみと感じる。
Slackのチャンネル一個を切り替えるだけで、脳の状態が変わる。
マインドフルネスの技術で、感情や体の状態だけではなく、意識状態にまで敏感になることができる。今ならば。余裕があるときは。
物事を理解するために絵や図を描くことを嫌う。時に。だめな習慣だ。
なんだか裏技を使うようでずるい気がする。頭の中だけで考えるものぐさをしたい。
なぜなのか。単に手近にホワイトボードを置いておらず、コストが高い。それに後から頭が言い訳をつけているだけなのかもしれない。
SQLのクエリをレビューするときは、Githubではなくてエディタにコピーしたほうが見やすい。
こんなごく簡単なハックさえ、夢のように世界を変える。脳に厳しい北風の世界から、優しい太陽の世界へ。
なぜ僕らは自分自身に優しくしないのだろう。もっと彩れよ color coder
SQLクエリのレビュー。クエリが粘土みたいに手にとれて、こねこねと出来たら良いのに。
柔軟性の高い物理世界で理解したい。平面からの立体理解にはかなりのコストがかかる。ずっと立ち止まってしまう場合もある。
そもそもコードリーディングは平面からの立体化技術なのだけれど。難易度が高い場合は。
体が弱ると涙もろくなる。
最近は会社でも。
数分間目を閉じて休めると、今日はニット帽の下でうっすらと涙がこぼれた。
給与問題もアイデンティティの問題よりも今は死の問題が浮かぶ。
いつか死ぬ命がまるで、永遠に続くかのように擬態している奇跡が、こわい。
エンジニアでも、コーダーに近い作業と、狭義のエンジニアリングに近い領域がある。
後者のエンジニアの生産性は一撃必殺。ためてためて撃つ。シャローワークでは無理な領域。
手を動かさずして勝つ。プログラミングしていない時間がエンジニアリングだ。
タスク切換えによる注意残余が起こると、それが体内のほんの1%ほどのゆらめきであっても、体が引き裂かれるFlavorを感じる。
注意残余をいかに減らすか。いかに注意力の波に乗るか。切実な課題だ。
マルチタスキングではなく、一本の物語のように、1日の業務を渡り歩く。細い糸。
頭は良くならない。絶対に。
汎用的な知性は存在しない。どこにも。
脳トレ時代に生まれた僕は、IQを高めようとしてしまう。無駄な努力。
存在するのは適応と戦略と工夫だけ。
Original by Github issue
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公開日時
2019-02-16
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