Twitterは日本語でも140文字の制限を撤廃してブログみたいになるべきなのか?でも完全な自由はTwitter独自の生態系を壊してしまうか
Twitterは日本語でも140文字の制限を撤廃してブログみたいになるべきなのか?でも完全な自由はTwitter独自の生態系を壊してしまうかもしれないな。

Twitterとブログを使い分けていきたい。だけどたった2つのサービスを使い分けるだけで、ものすごくオーバーヘッドが高くて、この組み合わせに常に悩んでいる気がする。
それだけサービス2つを組み合わせて使うと言う事は、簡単なようであって、高度な技術を必要とされると思う。
Twitterとブログの違いは、単純に、根本的に言うと、長い文章が書けるかかけないかの違いだ。
それで1番大事なのは、自分のエネルギーの状態というか、どのぐらいの大きさの文章を書きたいかと言うモチベーションに敏感になることだと思う。
例えばこれをゲームのロックマンに例えると、小さな弾丸をたくさん打ちたい時もあるし、大きなショットエネルギーを貯めて貯めてショットしたい時もある。
大きなちょっと打てない時、エネルギーが足りないときは、Twitterでたくさんの弾丸をちょっとずつ射撃したい気持ちだ。
たくさんエネルギーがあるときは大きな弾丸のブログを射撃したいけれど、だけどそうすると、Twitterのリアルタイムの流れには乗れずに、固定したものを最初からTwitterに投げることになる。Twitterにブログを共有する場合の話だけれども。
かといってTwitterでどんどんツイートを連鎖させて、ブログのように書いていくと、いっこずつのツイートの140文字と言う制限がだんだんと重く感じられて、どんどん書きたい文章のトピックが溢れてしまって、全然Twitterと言う器に入りきらないことがある。
このように、単純に文章の文字数の制限が元になってはいるのだけれど、それよりも膨大な複雑なことが起きてしまう。TwitterにはTwitterの生態系があるし、ブログにはブログのインターフェイスがあるし。この2つの全ての要素を調和させようとすると、なかなかパズルのように頭を使ったり、完全な状態にはなかなかできずにもどかしい気持ちがする。
Twitterも12年以上のサービス。多くのユーザから要望があるように、そもそも今の時代に合わせて140文字の制限を撤廃してはどうだろうかと言う考えもある。だけどそれはそれで、ユーザの自由度が増す代わりに、Twitterらしさと言うものはある程度消滅してしまうかもしれない。
ユーザにとっては140文字の制限を撤廃したらより自由度が増すと思えるかもしれないけれど、制約が作るTwitter独自の生態系と言うものがあるので、この制限の文字数を変えるだけで、確実に僕らが予想だにしないところで、生態系とTwitterの国の中の様々な反応や、現象が連鎖的に変わっていくはずなのだ。風が吹けば桶屋が儲かるの世界である。
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公開日時
2019-01-15
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