今更あけましておめでとうございます2019! スティーブ・ジョブズの言葉や人生最後の日について考える超ポエム
今更あけましておめでとうございます2019! スティーブ・ジョブズの言葉や人生最後の日について考える超ポエム
死ぬことについて考えてみる。1日1回は自分がもう35歳であることを考えて、うたた寝の中で、なんだかすごく恐ろしくなったりするぞ。ある意味甘美な感覚なのだけれども。
さてなぜ自分の死について考えることがエンジニアリングに役立つのか。ちょっと思い出してみてほしい。かのスティーブジョブスは毎日自分の死について毎日考えていたと言うぞ。例えばウェブ開発者の多くはApple製品を、そしてスティーブ・ジョブズを信奉しているかもしれないが、彼のように毎日が人生最後の日だと、肉体的感覚でそう感じることができているだろうか。
閑話休題。死ぬことを超越すると言う事はどういうことだろうか。それは死ぬことを感じつつも、死ぬことを恐れずに、受け入れると言うことだ。こういうとかなり抽象的な表現になってしまうなぁ。
アプリケーションが死ぬと言う事はどういうことだろう。それはこの世界から行動が消え去って、たった1人の利用者もいなくなる時だろうか。
サービスが死ぬ時と言うのはどういうことだろう。それは世界人類の全てがサービスの利用を止めて、記憶から消え去った時なのだろうか。
しかしそこにアプリケーションやサービスが存在したと言う事は、何らかの影響を人間に対して与えたと言うことであり、その影響力の話はたとえどんな小さなものであったとしても、確実にこの世界に波紋を投げかけ、影響を及ぼしたはずだ。その影響の波紋は、決して完全に消し去ることはできない。
たとえ僕らがどんなに素晴らしいエンジニアになろうとも、どんなに素晴らしいサービスアプリケーションを作り上げようとも、サービスもアプリケーションもエンジニアも全て形あるものはいつかは崩れ、消滅するものであろう。
逆に、僕らが作っているサービスやアプリケーションが、どんなに小さく、矮小なものであったとしても、この世界に御神の影響も及ぼさないと言う事はありえないのである。
つまり人間が死ぬと言う事、人が死ぬと言う事、エンジニアである自分が死ぬと言う事について考える事は、いずれ死ぬ人間が使う所のものであるアプリケーションについての死を考えることでもあるんではないだろうか。
ちなみにこの話は全く理論的な話ではない。筋道が全く立っていないのがわかるだろうが、まだ人間が死ぬと言うことと、サービスやアプリケーションにも終わりがあると言うことと、自分が35歳と言う年齢で人生がもう半分終わっていることなどなど、まだ人生やアプリケーションやサービスを統合的な理解でまとめることが、この脳みそにはできないでいる。2019年である。
あけましておめでとうございます。僕らは今年、どんな人生を生き、どんなふうにエンジニアリングと遊び、どのように世界と戯れ、自分が生きると言うことと死ぬということを感じることができるだろうか。
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公開日時
2019-01-13
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