エンジニアの給与が上がらなくても幸福な生活はできる。 – 年収と幸福度は比例しない –
ベストとベター
- もちろん給与は低いよりは高いほうが良いだろう。(悪いことなんてあるんだろうか)
- 給与を稼げるエンジニアは、どんどん稼いだほうが良いだろう。エンジニアの地位向上をしよう。
- だけど、どうしても給与が上がらない場合、なおかつ、あえて自らその状況を「選択する」場合であれば、悩むより悩まないほうが良い。
あくまで年収アップを望むなら、Qiitaにも給与関係、年収関係の良い記事がたくさんあるので、読んでみると良いと思う。
マトリクス
- 「お金を稼いで、お金に縛られない」のがベスト。
- 「お金は稼げないが、お金に縛られない」のはベター。
- 「お金を稼いで、お金に縛られる」のはワース(より悪い)。
- 「お金を稼げず、お金に縛られている」のがワースト。
給与と幸福度
- これはとても有名な話。
- 生活の最低基準を満たすことができれば、給与と幸福度は比例しないのではないかと考えられている。
- 統計的には、ある一定の収入以上からは、収入と幸福度は比例しなくなる。それどころか少し落ちることもある。
- 収入が幸福度に影響する度合い自体もかなり小さいらしくて、それよりも家族や友人との関係など「コミュニティへの関与度」が幸福に大きな影響を及ぼしているらしい。
参考
カバーだけ見るとなんだか自己啓発チックだが、真面目な本。
これは1個のツイートだが、似た話や似た研究はどころどころで見聞きする。
「収入と幸福度の相関」でさえあくまで平均
- 収入と幸福度については、あくまで平均の話なので、さらに、個人個人でばらつきはあると思う。
- 僕らが「収入=幸福」という錯誤にとらわれており、なおかつ統計的に関係度が低いのだから、「錯誤」から脱出できた人の関係度は、さらに低いのではないかと思われる。
- たとえば生活費を極限に低く抑えても、慎ましい生活で満足できるなら、幸福に必要な最低収入はさらに低くなるのではないだろうか。
- 逆にとてもお金がかかる趣味を持っていて、どうしてもその趣味が大好きなら、幸福に必要な年収はもっと高くなるかもしれない。
平均や統計がもたらす錯誤については、以下の本が詳しい。
エンジニアの生活にお金はかからない
- PC一台と快適なWi-fi環境さえあれば、どこでもだいたい、1日中楽しめる。
- たとえば月額400円払えば、マクドナルドでWi-fiがつなげる。(mobilepoint)
- 100円の「ホットティー」で1日中過ごすことだって出来る。(お腹はすくだろうけれど)
- 休日を100円で楽しむマクドナルドでの過ごし方。 – Yuma Inaura ( 稲浦悠馬 ) – Medium
- プログラミングをするのはほぼ無料だ。
- GithubでOSSに貢献したりするのも、かなり楽しい「遊び」だ。
- たとえば「MacBookを触ることを一切禁止する」「かわりに年収を500万円上げてやる」と言わても、僕は首を立てに振らないだろう。
給与の問題は実は「人との比較」の問題
給与問題の根っこは、実は「人との比較」の問題だったりする。
僕らが「お金がないと困る」と感じているものの実態は、実はお金とは関係がないかもしれない。
たとえば年収2900万円の銀行員が、年収3000万円の銀行に対して「自分は思うほど稼げていない」と不満をもらしたらしい。なんていう小話もあったり。人間ってそういうものだよね。
実際の生活上は困らない額をもらっていても、自分より他の人の方が稼いでいたりすると、なんだか「生存がおびやかされているような感覚」に落ちるのだった。
これは脳の誤解だと思う。
僕の場合、お金の問題について悩んでいた時期があった。
けれどよくよく考えると、ミニマリストだし、特にお金のかかる趣味もないし、1日1回スターバックスで抹茶のティーラテが飲めれば十分満足であることに、最近ふと気づいた。
「人と比べ」さえしなければ、たとえ今の額が生涯続いたとしても、なにひとつ問題のない状態ではあるのだ。
個人的な具体例
- 「34歳の上場企業のWeb開発エンジニア」としては、給与が低いように思われる。
- 自分で書いておいてなんだが、このようなプロフィールはほんの上っ面で、数字と文字の羅列に過ぎない。「さんじゅーよんさいのじょーじょーきぎょうのうぇぶえんじにあ」と何度かひらがな読みすると、ゲシュタルト崩壊を起こせるかもしれない。
- 「31歳で人生初就職して、これだけのお金がもらえている」ということは幸福だとも思える。(この場合は数字と文字を味方につけて、あえて自己説得に使う)
- もし仮に35歳でエンジニアとして初就職できて、今の給与がもらえたりしたら「この年齢なのに、奇跡だ!」と思って喜んだことだろう。
欲張りモンスター
「人間は欲張りモンスターである」 by 某友人
欲さの功罪。
欲がプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。
- 僕が今の会社に就職した最初のときは「この会社に拾ってもらった!」「本当にありがたい!」と思っていた。
- だが時間が経つと次第に、給与や待遇に不満を持つようになる。人間、次第に初心を忘れて欲深くなるものである。
- かといって「満足できない給与に甘んじるべきだ」という話ではない。会社的な評価を上げるための努力、給与を上げるための努力はひととおりおこなったが、きっと情勢的に難しいのだろうなと思っている。
会社が親なら、社員は子供だ
僕はこの比喩が気に入った。
一時期は「お小遣いを上げてもらえない子供」として、不満を持っていたのだけれど、出ないものは出ない、出せないものは出せない。それなら仕方ないじゃないか。
今では「親もきっと大変なんだろうな」と思って、慈愛の心で見つめるぐらいの感覚を持ってて、この感覚がわりとベストかなと思っている。
(親が皿洗いをしているのを、子供が座りながら眺めるイメージ)
もちろん「会社」というもの自体、人の約束事の中にしか存在しない、形のないものだ。
「会社」というものは存在せず、給与について決めているのは、必ず「人」であり、その意思決定の集合体だ。
ではあるのだけれど「会社が幻想である」ということさえ理解していれば、それを比喩に使っても何に問題もない。自分が気に入った比喩を見つければ良いと思う。
お金を稼ぐこと != 評価されること
このふたつは似ているようで微妙に違う。
自分で言うのもなんだけれど、僕の場合は、周りからは今、それなりに評価してもらえている状態なのだと思う。だけど、お金はそこまで稼いでいないケース。
今の会社に入ってから、恩師や周りの人たちのサポートを受け、自分の仕事のやり方を大幅に改善して、ようやく「仕事ができない人」から「仕事が出来る人」になることが出来た。(「周りの協力を得て、成長して、本当に感謝」というと、あまりにも野暮ったい書き方になってしまうが)
それでも会社の待遇がいつまでも変わらないので、むしろ周りの人が「稲浦さんのケースは誰が見てもおかしい」と言ってもらえているぐらいの状態。
だけど、周りの人がそこまで首を傾げてくれるとても嬉しく、この充足感があれば、お金のことなんかはあまり大したことではないと感じられてくるのだった。
むしろ逆説的に、仕事や家族関係などを含めて、周りとうまくやれていない「時にこそ」お金の問題が頭をもたげてくるのかもしれない。
これもまた、お金の問題の皮をかぶった、別問題が存在する例だと言える。
僕らの生活には、本当にこの「皮をかぶった問題」というのが多いものだ。
なんだか人生論になってきてしまったので閑話休題。
仕事の楽しさ > お金 (これ圧倒的 )
お金という数字の羅列よりも「人と協力してながら働くこと」は楽しい。
お金を稼ぐことそれ自体よりも、エンジニアとして、僕の場合はアジャイル開発をしながら働くというのはなかなか愉快である。
エンジニアリングも奥が深く、仕事論も奥が深く、チーム論も奥が深く、組織論も奥が深い。たとえば無限の貯蔵庫の中から、ひとつずつフルーツを食べていくような感覚だ。しかも食べれば食べるほど甘くなるし、カロリーもないので太らない。
「仕事をすること」自体が、身体感覚として楽しい。「働くこと」自体がマルチプレイのゲームとして感じられ、面白みを感じる。
この満足感さえあれば、たとえば毎日、Call of Duty で遊んでいるような気分なのだ。
社内チャットで人と仲良くすることも出来るし、冗談だって言い合って笑える。連携プレーをしてゴールを決めて、ハイタッチすることだって出来る。時にはゲームに負けても、最善を尽くしたのだという満足感とともに、アルコールを摂取だ。
お金を気にしないと、お金を稼げなくない?
- お金に関して悩むことと、具体的な努力をすることは別。
- お金に悩むことは、お金を稼ぐ「きっかけ」にはなるかもしれないが、それ自体は技術力の向上や、仕事が出来るようになることにはつながらない。
- お金のことを「気に病まず」に、自分にとってベストな選択をできている感覚があるならば、それが一番。(もちろん、それがエンジニアとしてばりばり稼ぐことであっても良い)
マインドフルネスのトレーニング
「頭では分かっていても、割り切るのは難しい」
それが一番の問題だと思う。
だけど瞑想やマインドフルネスのトレーニングをすると「頭で分かっていること」を「意識」に落とし込みやすくなる。趣味としてもまったくお金がかからない。
トレーニングを積むことで、給与などの「情報空間にしか存在しないもの」の洗脳から解かれて、まったく別の世界に「自分の軸」を持ちやすくなる。
それでもお金の世界の洗脳はとても強力なので、すぐには脱出が難しいわけだけれど。
これは瞑想で仙人のようになって、お金と全く無縁の生活を送れば良いという話では、まったくない。
「お金の洗脳」から自由になって、さらに「お金」を使っていけば最高だという話だ。
お金は現代の神である — 脱洗脳のマインドフルネス – マインドフルネスやってみた Ⅱ – Medium
瞑想でEQが上がる
会社や諸々の事情があるので、給与に直結するかどうかは分からない。
だが少なくともマインドフルネスのトレーニングで「仕事が出来るようになる」「会社の人との関係が良くなる」という確率はすごく高いと思う。
僕自身も瞑想のトレーニングによって、計測してたわけではないが、おそらく各種のEQが上がったような効果があり、2年間かけて「仕事ができないエンジニア」から「周りが認めるエンジニア」にまでなれたという経緯がある。
瞑想するエンジニア ( by 稲浦悠馬 Yuma Inaura ) —GoogleやFacebookもやっている「マインドフルネス」のススメ— - Qiita
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公開日時
2018-10-19
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