Qiitaの記事には絶対コメントを書いてはいけない (わけがない)
「愛の反対は無関心である」
マザーテレサが言ったとか言わなかったとか噂される伝説の言葉。
コメントを 付けちゃいけない 理由など
あるのだろうか ないのだろうか。
だけど現状を見ると、まるで、そんな理由が存在するかのように振る舞っているように思える。
it behaves like ... xxx
なんのオブジェクト指向なんだ。なんのダックタイピングなんだ。
そう感じることがある。
「僕らはもっと、Qiitaのコメント欄を使って良いはずだ」
こちらが本当のタイトルだ。
たとえば優れた技術記事に対してだって「ただの感想」「受けた印象」を書いたって良いじゃないか。
なぜいけないんだ。それが世界を悪くするとでもいうのか。
いいね問題 〜ドアと切手と花束と〜
「いいね」に比べて、Qiitaのコメント欄は使われなさすぎる気がする。
これはなんとなく「ドアだけ叩いて、そのまま立ち去って行く大勢の人達」というような感じを受ける。ドアは叩かれただけ、それは人がいたということで、嬉しいことなのだけれど、ドアを開くとそこにはもう誰もいない。
旅人たちは、直接花束を渡して「ありがとう」と伝えることはないのだ。ただ、ドアに「いいね」と書かれた、小奇麗な切手を貼っていくだけだ。(その昔は、この切手には「ストック」と書かれていた)
アンバランスな関係 〜カロリーとビタミン〜
- 記事に誤りがあると、コメントでの指摘や編集リクエストが飛んでくる。
- Qiitaの世界のセーフティネット。いつもお世話になっております。
- これ自体は良いことだと思っている。自分の考え間違えも訂正してもらえる。
- Qiitaガイドラインに違反すると思われる記事には、一瞬でコメントがつく。
- ここでいう「違反」には個人的解釈も含まれる。
- 個人的には「エンジニアに役立つことなら、なんでも書けば良いじゃないだろうか」と思っている。
- Qiitaガイドラインには HRT原則も書かれているはずなのだが、こちらはあまり振り返られない。HRTに関しては後述する。
- ユーザーが感情的になりやすい記事には、無数のコメントがついて議論がおこなわれる。これは人間心理手はあると思うけれど。
- 例: 「ゴミ記事が多すぎる問題」に対する私見 - Qiita
- 「燃えやすい記事」やのコメントは多いが、他のごく平凡な記事、ちょっといい記事にコメントが付く例は奇跡的に少ない。
- 飛び抜けて優れた記事には、数百個、数千個のいいねがついてバズったりするが、コメント数は意外に少なかったりする。例えば1000いいねに対して0個ということもある。
カロリーは十分だけれど、ビタミンは足りていない。
カレーのルーはあるけれど、ライスがない。
なんだか、そんな感じがしないだろうか。
なぜ僕らはコメント欄に感想を書かないのだろう
たとえば、コメントを書こうかどうかと迷ったあげく、やめてしまった時の、自分の心理を見返してみる。
- 「技術共有サービスなので、何か技術的な知見や、情報を書かなければけない」とハードルを上げてしまう。
- 「間違ったことを書いてしまうのではないか」という恐れ。
- 「取るに足らないことを書いてしまうのではないか」という遠慮。
- 「周りと外れたことを書いてしまうのではないか」というQiita世間体。エンジニア世間体。
- 「いいね」機能があるので、あえて「いいね」をコメントにする必要がないんじゃないかと思ってしまう。
- 短い文章で感謝を表そうとするが、短いがゆえに内容のなさを感じたり、小さなニュアンスに困ったり、失礼にならないか迷ったり、考えすぎて結局コメントをやめてしまう。
上のようなことを気にして、何度心に思ったことを形にせずに、そのまま記事を立ち去ったことだろう。何度ドアに切手だけを貼って、花束を渡さずに枯らしてしまったことだろうか。
自分で自分に反論するバリエーション
- Qiitaは技術共有サービスだが、コメント欄にまで必ず技術情報を書かなければいけないわけではない。
- たとえ取るに足らないことを書いてしまったとしても、世間は自分のことなんかまるで気にしない。考え過ぎは自意識過剰から起こる。
- 周りから外れたことを書いてしまったとして、それが何だというのだろう。周りの99人が「悪い」と言っている記事なら、僕らは「悪い」と言わなければいけないのだろうか。
- 確かにQiitaには「いいね機能」があるが、自分自身の手でキーボードを打って伝えることに、意味と手応えがある。
- ユーザーインターフェイス的にも、いいねは単純に数がカウントされていく画面の一部領域に過ぎないが、コメントは「縦幅」をとる、厚みのある存在だ。
- 「いいね」は固定された三文字の日本語だが、コメント欄にかく文章は、たとえそれが三文字の「いいな」であったとしても、無限の日本語の組み合わせから、選び合わされたものだという部分で、意味がある。
- 短い文章はたしかにニュアンスを伝えるのは難しいが、3秒迷っている間に書いて、コメントを送ってしまった方が良い。
Qiitaのガイドラインには HRT もあるんだぜ
コメント欄で「ありがとう」「良かった」を伝えることは、Qiitaにも承認されている行為だ。(と僕は憲法解釈をする)
記事を書いた人に対する尊敬の思いを表現として含めることが大切です。
HRTとは、書籍『Team Geek――Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか』で紹介されている「Humility(謙虚)」、「Respect(尊敬)」、「Trust(信頼)」を示す言葉です。
ソーシャルにも心理的安全性を
仕事や開発チームにだけじゃなくて、ソーシャルサービスにも「心理的安全性」ってやつが必要なんじゃないだろうか。
それは感謝を伝えたり、お互いを尊敬し合うことによって生まれるんじゃないだろうk.
Webサービスというと、システムやユーザーインターフェイスの問題が取り上げられがちだけれど、それよりも「文化」というものが深く依経しているのではないだろうか。つまり、人間の問題だ。
コメントと雑談効果
ところで僕は、雑談から仕事は生まれる、雑談からひらめきは生まれると思っている。雑談効果だ。
もっと気軽にコメントを付けたりすることで、技術情報を書くことはもっと楽しくなるし、エンジニアリングも楽しくなるし、人と話しているうちに新しい着想も湧くだろうし、悪いことはひとつもなくて、良いことは起こる、そんな良い状態が作れるんじゃないだろうか。
実際にこの「ソーシャルにも心理的安全性を」という項目だって、コメント欄でもらったコメントからひらめきを得て、新しく追加したものだ。
もしコメント欄でのやり取りがなければ、生涯決して思いつかなかったか、思いつくのもずっと先になっていたかもしれない。
「こんなコメントの付け方はいかが」の具体例
最近の自分のコメント履歴から3つを取り上げてみる。
ペアプログラミングして気がついた新人プログラマの成長を加速する3つの習慣 - Qiita
[Vim] 全行ヤンクにggyG使うのはやめよう - Qiita
たとえば自分が記事を書いた時のことを、逆に考えてみよう
自分が書いた記事にポジティブな反応がついたり、もしくはフラットな感想がついたら、どう思うだろうか。僕なら嬉しい。少なくともプラスであって絶対にマイナスではない。
「コメントが付くと嬉しい」という話は、Qiitaの他の記事でもどこかで見聞きしたような気がする。まさか世界中で僕ひとりだけの感覚ではないだろう。
僕らは「いいね」機能などのお手軽なソーシャル文化に毒されていないだろうか。もっと昔ながらの、Web黎明期のような「自分のコメント」があっても良いんじゃないだろうか。僕ら人類は、昔からずっとそうやって「コメント」を活用してきたのだから。
具体例
こういうのが嬉しいんだよ。
ところでQiitaには「コメント一覧」というものもある
実はたった今気づいた。
自分だけが見られるのではなく、publicに誰でも見られるみたいだ。
この一覧を「特に感動した記事」「心に残った記事」として、「ストックの上位版」として使ってみてはいかがだろうか。
いいねだけじゃダメなの?
良いと思う。
- いいねと思ったときに、いいねを付けるのをやめない。
- なにかコメントが浮かんだ時に、コメントを付けるのを止めない。
- ポジティブなものであればなおさら、ためらう必要はない。
- ただし、ネガティブなものは立ち止まって考えてみよう。
「止めないこと」が大事だと思う。
はてなブックマークやTwitterでコメントする
全然ありだ。
いいねよりも近くて、Qiitaへの直接のコメントよりも遠い。絶妙な距離感を持てることだろう。
(余談。人間はデジタル空間にさえ「距離感」を感じられるのだから、本当に不思議だ)
ただQiitaの直接のコメントよりも、著者には届きにくいところはネックではある。
僕自身も、記事を書いてから2年ぐらいを経て、ようやく自分の記事についてはてぶコメントを見つけたという例がある。
次回続編
- 「なぜQiitaにポエムを書いてはいけないのか」
- 「あえて給与を気にせず働く”楽しさ5”のエンジニアになろう」
- 「”ずぼらヨガ"健康法 〜システムエンジニア編〜」
の三本立てにご期待下さい!
この記事は、ポエムタグの提供でお送りしました
ここまで書いて、その逃げ方?
だがこれは「自分の勝手だから、放っておいてほしい」というニュアンスではないのだ。
「ちょっとエモいこと言いたいんだけど、聞いてくれる?」というニュアンスでのポエムタグ。
理想的世界への情熱と言えば大げさな、ほんのちょっとしたビジョンを感じながら書いたわけだから。
(ここはひとつ。「ニューポエム」とかいうエモダサいタグでも作ってみようか。嘘だけど)
Thanks to
この記事はこの記事に寄せられた皆さんのスポンサーにより新しい着想が浮かび、編集してさらに良いものになりました。
(本文の「マザーテレサ」「心理的安全性」などについては、あとからリメイクされたものです)
まだQiitaでコメントしたことがない人へ
この記事に何かコメントを付けて、「弾み」にしていただければ。
(2018/10/20 追記)
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公開日時
2018-10-13
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