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新卒で年収280万から年収840万までアップまでにやってきたこと

2024/04/07に公開

自己紹介

賢一と申します。30歳の現役システムエンジニアです。現在子供1人います。
理系の大学を卒業後大手のIT会社に入社したのですが新卒時代は年収280万とかなり低かった。
生活も苦しく、クレカもリボ払いでなんとか凌ぐ日々・・・。
そこから徐々に成長を重ねて現在は年840万を達成!
経済的にも精神的にも余裕が出来て順調な人生を送っております。

ここに来るまでにどのようなことをやってきたのか
これからシステムエンジニアになりたい人、なったばかりの人にとっては
参考になるお話だと思うので書いていこうと思います。

新卒年収280万時代

社員数数万人で新卒が600人以上いる大手のIT会社に入社して、親も大手に入って安心みたいな社会人生活をスタートしました。しかし年収は・・・280万と激安!
「え・・私の年収安すぎ??」みたいな状態でした。
大手だけあって、早稲田とかマーチ系の大学を出ている人も結構いて、そんな人達でも同じ給料と考えると大学の差ってあんまり無いなと思ったこともあります。
その会社は等級が5段階あって5段目でも年収が600万らしい。ランク5は40代とかでようやく到達できるラインなので非常にコスパが悪いと思っていました。
30歳の先輩社員とかでランク3とかで年収400程度。あの会社にい続けたら賢一の年収は半分だったということですね。
新卒の割には仕事っぷりを評価してもらえ、インフラ系の仕事だけでなくプログラムの仕事とPMのこともやらしてもらえて年齢の割には幅広く出来たことをスキルシートに書けたということもありフリーになって仕事が取りやすかったことには感謝しております。
2年半ほど経ってからちょいちょいストレスもあり、そろそろ転職しようかな~と考えていた時期にちょっとしたトラブルがありその日にDudaの相談を受けに行ったことを覚えております。行動の速さは大事。仲の良い人からは暖かく送ってもらえてとても良かったです。
※賢一はこのときはかなり問題児だったのですがその話は割愛しておきます。

SES転職

転職活動を開始、人生初の転職だ!とワクワクしておりました。HPを見てもなんかぱっとしない感じが多く、その中でも唯一無二社員の雰囲気が良さそうな会社を見つけ転職が決まりました。期間は2週間程度ですぐ内定が出てその会社に決めました。このときは年収300万で決定でほんの少しアップした感じでした。ただ、会社の飲み会は会社が負担してくれたり色々補助があって実際はもうちょい出費が減らせるといった非常に良い会社でした。
小さいSESの会社だったのですが、社長からも超気に入られて順調でした。
入社した日に簡単なクイズを出されてそのクイズに全問正解したこともあって、将来のヴィジョンが明確だったり今までやってきたことの理由付けとかも評価してもらえた感じです。
クイズの中には、源泉徴収・年末調整・ふるさと納税・確定申告とか社会人なら常識のことを聞かれて当然という感じで答えたのですが割と知らない人もいるみたいでなんか褒めてもらえた。

通常会社で3ヶ月研修をしてから現場に面談に行くという流れなのだが、一応経験者ということもあり1ヶ月研修だけですぐ現場が決まりました。
この現場に入ってからがおもろいのですがぶっちゃけ何も仕事をしていませんでした。
というか仕事が何も無かった感じです。多少はあったのですがそれくらい。
朝の30分くらいの定常作業をしたらあとは定時までずっとネットサーフィンww
暇だったのでずっとTwitterAPIを使ったプログラムを書いておりました。
こっそりGdriveを使って共有して家と会社でプログラムを仕上げておりました。
毎日勉強できてお金もらえるという最高の現場でした!
しかしより年収を上げるためこの現場は半年でおさらばすることに

フリーランスの道へ

エンジニア歴3年ほどですがいよいよフリーランスに挑戦することにします。
ブログとかを色々見ていると3年くらいでフリーランスになれることを知って思い切って会社を辞めて独立!
仕事が取れるか不安でしたが何なく2回目の面談で成約!
月額55万の契約でJavaのエンジニアとして働くことが決定!一気に年収600万のエンジニアになりました。
前職ではインフラエンジニアとしてやっていたのでJavaの現場は初だったのですがOKしてもらえました。未経験でも雇ってもらえるなんてありがたいですね
ここの現場でJava/SpringBootをしっかり学びコーディングスキルがめちゃくちゃ向上しました。

コロナで無職に

この現場はプロジェクトが終了して8ヶ月ほどで終了することになりました。
それと同時に緊急事態宣言が出てしまい求人がほぼストップしてしまいなんと3ヶ月無職になりました。
当時はこのまま仕事見つかるのかな・・・?なんて不安もありましたが国から100万円を貰いなんとか食いつないで行きました。フリーランスで仕事が一切無いなんてことはよくあるらしいのですが賢一はこのコロナの時くらいでした。ここを乗り切ったらあとは順調です。

なんとか持ち直し

無職の3ヶ月を乗り切ってなんとか次の現場にアサインが確定、単価は一緒で55万円。
しかし海外の会社が作ったソフトウェアの代理販売してそのテクニカルサポートという配属。エンジニアの知識は問われるものの、やっていることはひたすらメール返信という業務。古いシステムを使っておりミスが多発してしまい現場の人からも怒られまくってそこの現場は半年で終了。

いろんな現場を渡り歩いた

そこからはキャッシュレス決済の代行会社のシステムに携わり9ヶ月ほど仕事をしました。そこでがプログラムを一切しない現場でAsteriaというノーコードシステムでデータを納品するシステムを作り、その後もいろんな現場を渡り歩きましたが単価はずっと55万のままでこのまま上がるのかな?なんてちょいちょい将来大丈夫かなと不安がありつつじゃらんの開発現場に携わることが出来ましてそこで66万円の単価(年収732万)で仕事をすることが出来て一気に10万アップ!ということでなんとか順調に単価を上げて仕事をしてこれました。

★単価が上がらなくても現場のチェンジをコツコツ行いスキルの幅を広げていくこと
これは結構大事ということがわかりました。単価は急にガクッとはあがりません。エージェントも色々変えたりしてみましたが結局同年代で80万とか取っている人はスキルセットがめちゃくちゃ強いとかなので、地道にいろんなスキルを身に着けて着実に単価を上げることをおすすめします。
正直1つの現場に1年以上いる必要はないかと思っております。ですのでそこの現場である程度スキルを習得したら次の現場へという形でコロコロ現場を変えることが収入アップの秘訣だと思います。

結婚&子供が生まれる

ここで結婚&子供が生まれるというイベントが発生!Tinderで遊びまくっていてその中でいい子を見つけて結婚しました。賢一の仕事の仕方を理解してくれており、時には1ヶ月くらい仕事が決まらないこともあり、ヒモやってたりもしましたがそれでOKしてもらい最終的に結婚を決めました。

年収840万達成

ずっとJavaの現場だけだったのですが今までに色々やってきたことが評価されて全く異なる言語の現場に配属させていただくことができました。そこで更に単価6万アップして月70万(年収840万)を達成することができました。新卒で23歳からエンジニアを開始して30歳の4月には3倍もらえるとは思っていなかったです。賢一は特段なにかすごいスキルを持っているとかでもないしごくごく普通のエンジニアなのですがいろんな現場を渡り歩いてスキルセットをコツコツ積み上げていき、ここまで来ることが出来ました!
ですので若手エンジニアの皆さんも焦らず今の現場での経験を積み上げていけば年収800万は超えると思っております。頑張ってください。

最後に

よくプログラミングスクールで未経験から半年で月収60万達成!なんて広告見かけますがそれイケる人はごくわずかだと思います。変な期待感を高めず現場でコツコツやっていくことが大事だと思うという点と言語に関してはモダンな言語にとらわれずJavaとかの需要が多い言語からスタートして基本を積み上げてからシフトしていくのも良いと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。

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