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0926 未完成と削る勇気が育てるもの

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未完成と削る勇気が育てるもの

創作をしていると、完璧に仕上げたいという気持ちに縛られる瞬間があります。僕は、あえて完成を遠ざけることに価値を感じています。未完成だからこそ余白があり、その余白が対話や成長を生むからです。

同じように、アイデアも最初から完成していることはありません。むしろノイズだらけです。だからこそ、いったん出し切って削る。その過程で、どうしても残したい核が浮かび上がる。作品も習慣も、削ったあとに残るものこそが本質なのです。

完成を遠ざけることは、終わりを恐れるのではなく「まだ育っている途中だ」と認めること。削ることは、諦めるのではなく「大切なものに集中する」と決めること。両方とも、自分らしい表現や生き方を育てる営みです。

つまり、未完成の余白と削る勇気。この二つが合わさるとき、創作はただの作品づくりを超えて、自分自身を磨く旅になるのだと思います。

①発想は、削ったあとに残るもの
アイデアは足すより出し切ってから削る。多くの人は、アイデアをひらめきと思っています。突然、頭に電球が光るように浮かんでくる。たしかにそういう瞬間もあります。

僕の実感は違います。最初に出てくるアイデアは、たいてい雑多なんですよね。どこかで見たことあるフレーズだったり、これ使えるかも?という思いつきだったり。

大事なのは、最初から正解を探すことじゃない。とにかく出し切って、それを削っていくこと。出し切ると、余分なものが山ほど出てきます。

その山を削っていくうちに、これだけはどうしても残したいという核が浮かび上がる。それこそが、発想の正体なんです。

削ることで芯が見えてくる
文章を書いているとき。最初に2,000文字を書いたとしても、そこには言い訳や蛇足がたくさん混じっています。それを少しずつ削っていく。これ、なくても意味は伝わるな。ここは同じことを繰り返してるな。

余計なものを消したとき、残った言葉は驚くほどシンプルで、でも強い。シンプルに書くと良いとよく聞きます。まさにそれで、削ったあとの一文に、もっとも大きな説得力が宿る。

生活習慣も削った先に残るものが自分をつくる
これは創作だけじゃなく、生活習慣も同じです。やりたいことが増えすぎると、毎日のスケジュールはパンパンになる。朝活もしなきゃ。筋トレもしたい。勉強もやらなきゃ。

気持ちはわかります。僕もそうでした。全部を完璧にやろうとすると、どれも中途半端になるんですよね。そこで、あえて削る。やらないことを決めて、手放す。

不思議と残った習慣に集中できる。シンプルなルーティンの中で、深い呼吸が生まれる。人生もまた、削ったあとに残ったものが本当の自分を形づくる。そう実感しています。

削る勇気が、未来を開く
ここで大切なのは、削る=諦めるじゃないということ。むしろ逆です。削るからこそ、エネルギーが一点に集まる。たとえば、ゲーム開発。最初は要素を盛り込みすぎて、結果として遊びにくくなることが多い。

勇気を出してシンプルに削ると、本当に面白い部分だけが際立つ。この体験をすると、削ることはネガティブじゃなく、むしろポジティブな選択だとわかります。

完成度を高めるために削るのではなく、本当に必要なものを残すために削る。未来を開く余白になるんです。

削って残ったものが、あなたの発想になる
僕が気づいたのは、発想は、削ったあとに残るものだということ。最初から完璧なアイデアなんてありません。だから、どんどん書く。どんどん作る。

そして、容赦なく削っていく。余計なものを消すたびに、心の中にあった本当に言いたいことが浮かび上がる。他人の目を気にしていたら見つからなかったもの。

一晩寝かせて、翌朝の自分で見返したからこそ出てきたもの。削っても残るものこそ、あなたの発想の核。そこにこそ、唯一無二の価値があるんです。

まとめ
・アイデアは最初、ノイズだらけでいい
・削ることで芯が浮かび上がる
・生活も同じように削っていく
・やらないことを削ると、自分らしさが残る
・削ることは諦めではなく、ポジティブな選択
・発想は、削ったあとに残るもの

今日の問い🙋
👉あなたのノートや頭の中にあるアイデアの山。
もし全部を削っても、最後に残るのは何でしょうか?その残り続けるものが、きっとあなたの本当の発想です。

②完成を遠ざけることで育つ余白
完璧に仕上げたいという想いは、多くの人に共通する創作の願いです。僕はあるときから、あえて完成を遠ざけることに価値を感じ始めました。それは、未完成の中にこそ余白があり、その余白が、成長や対話を生むからです。

完成を目指すと、動きが止まる
人は完成をゴールだと思いがちです。たとえば、ブログ記事。音声配信。映像作品。どれもこれで完成だと思った瞬間、なぜか投稿する手が止まることがあります。

なぜでしょうか?答えはシンプルで、完成=ジャッジされる瞬間だからです。人の目に触れ、評価され、比較される。だからこそ怖い。だからこそ、もう少し直したくなる。その結果、ずっと編集して、出せなくなる。完成という言葉が、自分を縛ってしまうのです。

余白があるまま出すという選択
そこで僕は、考え方を変えました。完成させないまま、出してみようと。たとえば、こんな言葉を添えて発信します。まだ途中ですけど、今ここまできました。作りながら整えてます。この辺りに違和感がある気がしてて、よかったら意見ください。不思議なことに、そう伝えると、見てくれる人の目も優しくなります。そして、未完成のままでいいんだと感じてくれる人が、少しずつ集まってくる。これは共感の芽です。完成ではなく、成長の途中で見せることで、人と人がつながれる。

未完成は関係性を生む
完成された作品には、美しさがあります。けれど、完成されたものには、入り込む隙がない。一方で、未完成のものには、対話の余地があります。

たとえば、ここの色味、どうするか迷ってます。この展開、他の選択肢もありそうですか?そういう余白があると、人は自然と私ならこうするなと思考をめぐらせる。

そして、コメントをくれたり、感想をくれたり、気にしてくれる。つまり、未完成のまま出すことは、一緒に作るという関係性を育てるのです。

完成の手前が、いちばん豊か
創作には、手を止めたくなる瞬間が必ずあります。ここが納得いかない。なんだか整ってない。でも、それが育っている証拠です。

実は、完成に向かう途中が、一番創造性にあふれた時間なんですよね。仮説を立てて、試して、直して、また戻ってくる。その試行錯誤の中にこそ、自分の感性が磨かれていく。

だから、僕はこう考えます。完成を急がず、あえて遠ざけてみよう。余白を持ったまま、何度も見直してみよう。すると、そこに今の自分らしさが現れてくる。

完成させないのではなく、完成を見極める
大切なのは、完成させないことではありません。完成のタイミングを、自分で見極める力を育てることです。その感覚は、余白を意識する力と深くつながっています。

ここまで整えたら、一度出してみよう。反応を見て、また磨いてみよう。何度でも戻って、整えていけばいい。そんなふうに、自分の中に見極めの感性を育てていくこと。長く創作を続けるうえで、最も大切な技術だと思います。

完成とは、途中で止めること
僕の好きな言葉に、こんな一文があります。完成とは、それ以上いじれなくなった瞬間ではなく、ここで止めると自分で決めた瞬間である。

どんな作品にも終わりはありません。音声でも、記事でも、イラストでも。どこまでも改善できる。どこかで一旦、ここで区切ると決める。

その区切りの感性は、きっと経験の中で育っていきます。だからこそ、焦らなくていい。未完成のまま、今日も手を動かす。その積み重ねが、作品を育て、自分自身の表現を育てていくのだと思います。

質問🙋
👉未完成で育てているものを教えてください。

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