0827 自分と向き合い掘り続ける作品とは?
他のゲームを参考にせず、掘る時間
ゲーム開発をしていると、つい他の作品を参考にしたくなる。あのゲームの操作感、このゲームのUI、あの演出の流れ。
参考にすること自体は悪くない。むしろ、学びやすい近道でもある。けれど、その方法ばかりに頼ってしまうと、「自分のゲーム」ではなく「誰かの影をなぞったゲーム」になってしまう。
気づけば、模倣の中に閉じ込められ、本当に作りたいものが見えなくなっていく。だからこそ必要なのが、「他のゲームを参考にせず、自分だけで掘る時間」だと思う。
何も見ない時間が育てる感覚。参考資料を閉じ、動画も記事も見ず、ただ自分の中から出てくる発想に耳を澄ます。
最初は手が止まる。「どうしたらいいんだろう」と戸惑う。でも、その空白こそが、自分の感覚を掘り出す時間になる。
「この操作は気持ちいいのか?」「どんな音が鳴ると、自分は楽しいと感じるのか?」誰かの答えではなく、自分の問いに向き合う。
これは効率的ではない。だけど、効率だけを求めていたら、たどり着けない景色がある。
掘るとは、時間をかけて問うこと。他の作品に触れずに開発していると、どうしても不安になる。
「これで正しいのだろうか」「誰かに笑われないだろうか」そうした揺れは避けられない。
でも、それを抱えながら続けると、不思議と自分の感覚が浮かび上がってくる。時間をかけて掘り続けることで、他のゲームからは得られない「自分なりの問い」が形になる。
表面の正解より、内側の確かさ。たとえば玉を転がすゲームを作るとき、操作方法はいくらでも真似できる。
でも「なぜ転がすのが面白いのか?」という問いは、自分で掘らないと見えてこない。その答えは、人によって違う。
「物理の重みが心地いい」かもしれないし、「坂を降りる爽快感」かもしれない。あるいは「障害物をよける緊張感」かもしれない。他のゲームを見れば参考はできる。でも、心の底から納得できる答えは、自分で掘るしかないのだ。
掘る時間が生む自分だけの道。他のゲームを参考にしない時間は、決して孤立ではない。むしろ、それは「まだ誰も踏み入れていない場所」を掘り進める時間になる。
そこにあるのは、未完成で不格好なアイデアかもしれない。でも、その不格好さにこそ、自分らしさが宿る。あとで振り返ったとき、誰かの真似ではなく、確かに「自分が選んだ道」が見える。
その道のりは、自分の作品を唯一無二のものにしてくれる。
他のゲームを参考にしない時間は、非効率で、不安で、孤独な作業かもしれない。けれど、その時間があるからこそ、自分にしか掘れない「核」が見えてくる。
効率や完成度よりも、まずは掘ること。掘ることでしか得られない問いと答えが、未来の自分を支えてくれる。今日もまた、ほんの少しの時間でいい。
誰の背中も見ず、自分だけの手で、掘り続けてみよう。その静かな積み重ねが、必ず作品を強くしてくれるから。
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