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0902 繰り返しの中に光る。自分という存在を深く知るために。

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繰り返しの中に光る発見

毎日同じことをしていると、ふと「これは意味があるのだろうか」と思ってしまう瞬間がある。

朝の決まった時間に机に向かうこと。

同じコードを何度も試し、修正し、また試すこと。

刺繍の同じ模様を繰り返し縫うこと。
あるいは、同じ道を歩きながら考え事をすること。

一見、同じことの繰り返しは停滞のように見える。「昨日と何も変わっていない」と感じ、焦りを覚える。

しかし実際には、繰り返しの中にしか見えない「発見」がある。それに気づけるかどうかが、習慣の持つ力を決める。

  1. 同じ行為の中に生まれる違い

繰り返しは退屈と隣り合わせだ。
毎日同じ操作をしていると「もう飽きた」と思うこともある。

だが、人間の感覚は完全なコピーをつくることができない。昨日とまったく同じ状態で、今日を生きることはできない。

同じコードを打っていても、タイピングの速さが微妙に違う。同じ図案を縫っていても、糸の張り具合や手の動きは日によって変わる。

同じ散歩道を歩いていても、風の向きや足取り、気づく景色は少しずつ変化している。

つまり、繰り返しの中には必ず「違い」が含まれている。その違いを見つけられるかどうかが、成長や発見につながる。

  1. 違いを見つける力が「上達」をつくる

繰り返すことは、ただ慣れるためだけにあるのではない。むしろ「違いを感じ取る力」を鍛えるためにこそ、繰り返しが必要だ。

たとえば楽器の練習。同じフレーズを100回弾いた人と、10回しか弾いていない人の違いは何か。それは「微細な差に気づける感覚」を持っているかどうかだ。

10回では「できる・できない」でしか判断できない。
100回繰り返すことで「前より音が澄んでいる」「この指の動きがスムーズだ」と細かく観察できる。

繰り返しは「違いをすくい取る感性」を磨き、上達をもたらす。

  1. 退屈の先に訪れる「気づき」

繰り返しには退屈がつきまとう。最初は新鮮だった作業も、同じことを続けるうちに「つまらない」と感じる。

しかし、この退屈を越えた先に「光る発見」がある。退屈に耐えながら続けていると、ふいに「あ、こうすればいいのか」と思う瞬間がやってくる。

それは突然のひらめきのように見えるが、実際は繰り返しの中で脳が情報を積み重ね、静かに熟成させていた結果だ。

退屈は無駄ではない。むしろ、発見が生まれる土壌なのだ。

  1. 発見を「記録」することで価値が深まる

繰り返しの中で見つけた違いや発見は、放っておけば忘れてしまう。だからこそ記録が大切になる。

たとえば「今日は糸の張りを弱めたらきれいに縫えた」「コードを分けたら処理が理解しやすくなった」「朝の歩きは頭がクリアになる」そんな一言の記録が、未来に残る財産になる。

同じ繰り返しに見えても、自分なりの気づきを拾い上げることで、習慣は「意味のある繰り返し」に変わる。

  1. 繰り返しは「自分を知る」方法

繰り返しの中に光る発見は、外側の技術だけでなく、自分自身の内面にも向けられる。

「今日は集中力が続かなかった」「気分が沈んでいたけれど、手を動かしたら少し楽になった」「小さな進歩でも、自分を認められるようになった」

同じ作業を繰り返していると、自分の感情や思考のパターンが見えてくる。それは「自分を知る」ための大きな手がかりだ。

繰り返しは、自分という存在を深掘りする作業でもある。

まとめ

繰り返しは停滞ではない。そこには必ず「違い」があり、「発見」がある。退屈の中で気づいた小さな差異は、未来の上達と成長につながっていく。繰り返しを恐れず、その中で光る発見を拾っていこう。

記録し、味わい、自分の歩みとして積み重ねる。それが「続ける力」となり、静かな成長を支えるのだ。

今日も同じ作業を繰り返しているなら、ぜひ心を澄ませてみてほしい。きっとその中に、小さな光が隠れている。

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