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そろそろ「成長」とか「育成」とか言うのやめません?

2024/07/31に公開

私は「成長」という言葉が嫌いです。
どれくらい嫌いかといえば「昇り階段」という言葉より嫌いです。

個人の能力向上自体は否定しませんが、それを「成長」という曖昧な(しかも不適切な)言葉で表しているのが嫌いです。

ITエンジニアに限らずですが、現在の日本の会社ではトップから新卒・アルバイトに至るまで猫も杓子も成長成長成長と語ります。

この記事を読んだ皆様はぜひ考えを改めてより適切な言葉選びと目標設定を行っていっていただければ幸いです。

「成長」はごまかしの言葉

本来の意味での成長は

  • ツバメの雛が成長して巣立っていった
  • 息子がつかまり立ちをして成長を感じる
  • 塩の結晶が成長して10cmを超えた

といった使い方をします。
つまり成長とは結果であり、また「適切な環境下で時の経過とともに勝手にそうなるもの」です。

それに対して現代で労働している諸君が言うのは

  • 成長できる会社に入りたい だの
  • エンジニアとしてもっと成長したい だの
  • 成長のためにあえて試練を課す

だのと。単なる結果である言葉を手段や目的にしています。
そもそも会社・管理者側からすれば個々のメンバーが成長したかどうかは業績的には直接のかかわりがないことです。
「メンバーが成長した結果、コストが下がった/生産性が上がった」なら百歩譲って意味が通りますが、それなら「成長した結果、もっといい会社に巣立っていった」だってありえます。
「メンバーの成長」は「生産性を上げろ」「ムダを減らせ」「もっと難しくて儲かる仕事をやれ」などが実際の意味です。それを「成長」という甘ったるい言葉で誤魔化しています。

メンバーの側も同じです。「成長したい」は「将来もっと給料が上がるスキルが身につく」「新しい技能を身につけること自体が快感」などとより正確な表現がありますが、あまりズケズケ言うのも角が立つから「成長」でぼやかすわけです。

別に互いの本心がそうなのは個人の自由なのでいいんですが、それを表す言葉として「成長」は適切ではありません。もともとそういう言葉じゃないからです。

成長は効率化できない

植物の芽に10年分の栄養を一気に注ぎ込んだところで即座に実をつけることはありません。
生まれたての赤ちゃんにどんな教育を施したって100mを10秒で走るようにはなりません。

野菜なんかの成長は多少早めたり大きくさせたりはできますが、そのためにできるのは「障害を排除する」「必要なものを適切に提供する」という大変かつささやかなアクションだけです。

成長内容は選ぶものではない

オタマジャクシはカエルに成長します。ちょうちょにもゴリラにもなりません[1]
カエルは陸に上がれますが「歩行の遅さが課題。成長のために走り込みしよう」なんて思いませんし(たぶん)、未経験のGoやRUSTを覚えることもしません[2]

仕事をうまくできるようになるのは「熟達」です。
GoやRustを使えるようになるのは「習得」です。

曖昧な言葉はトラブルのもと

経験を積んだエンジニアは自ずと不明瞭な定義や暗黙的な意味付けに警戒心を抱くようになります。(これは本来の意味の成長と言ってもいいかも)
にも関わらず「成長」という言葉には鈍感です。

「成長したい」は何も言ってないのと同じ

私は開発リーダーとしてメンバーに関わってきましたが、仮にメンバーから「エンジニアとして成長したいんです」と言われても何も伝わりません。

では本心では以下のようなことを思っているのでしょうか?

  • 上流工程もこなせるようになりたい
  • 後輩に指導できるようになりたい
  • なんとなくで書いているロジックを深いところまで理解したい
  • 同期のあいつより評価されたい

実は1on1などで掘り下げてみても、多くの場合は生返事しか返ってきません。
「あー言われてみればフロントエンドもうちょっとちゃんと理解りたいかもです」
ぐらいです。

ふわっとした言葉に自分が振り回される

「成長したい」で完結した気になって、それより深い思考にそもそもたどり着いていないのです。
実際には「今よりマシなエンジニアになりたい」という意味しかないのに!

安易な正解は思考停止に繋がります。
変数名にstr_1とかつけるのが妥当ではないように、自分のやりたいことを表す適切な言葉を探しましょう。

逆に、自分の中にもっと詳細な掘り下げがあったうえで便宜上「成長」と表すのはアリです。
例えば「もっと成長したいので転職します✨️」とかです。
私自身、メンバーの評価シートとか書くときにはめんどくさいので「日々成長を感じます。A評価。」とか普通に使います[3]

会社・管理職側の「成長を期待」は何の参考にもならない

「問題おこすな」
「手間かけるな」
「もっと稼げ」
のどれかでしょう。何も中身がありませんね。
具体的にどんな点をどう改善すればいいか指導できるようぜひ「成長」いただきたいです。

「成長」は「良いこと」という誤解(というか欺瞞)

「成長」を振りかざされると批判しづらくなります。
でも「メンバーのマインド成長を目的とした教育」の中身が「新宿で名刺100枚交換させる」とか「不眠不休で3日間山奥を走らせる」とかだったらどうでしょうか。
「営業として成長した」が実は「毎日深夜まで働き続ける」かもしれませんし「顧客にいらないオプション契約をさせる達人」かもしれません。
言い方ひとつで印象は随分と変わります。

本来の意味であれば成長してめでたいのは自分の子供ぐらいです。後は種が芽吹こうが花が咲こうが自然の営みというニュートラルなものです。

「育成」なんかできるわけがない

「(部下や後輩を)『成長』させること」の意味で「育成」が使われます。これもとても嫌いです。
スポーツ選手に使う分にはいいですが、それはプロの指導者が「試合に勝つ」という限定的な目的のなかで行う前提だからです。

「矯正」の言い換えとしての「育成」

「苦手を克服する」「できないことをできるようにする」というのは不可能ではありません。ただし多くの場合、「ムリヤリ」が途中に入ります。
「一人前の営業になるため、1日中飛び込み営業させる」といった類です。体罰に近いものを感じますね。

こうした「育成」は、少なからぬ確率で心身を壊すことにつながります。
私は新卒で営業職として入った会社で先輩の熱心な「育成」を受け、潰されました。結果として壊滅的だったプレゼン能力が人に見せられる程度になったりはしましたが、いまでも不意に良からぬ考えが浮かんでくることがあります。

些細な短所をムリに解決しようとして悲惨な結果に陥ることを「角を矯(た)めて牛を殺す」といいます。
「育成」は本当にいいことでしょうか?
「成長」と引き換えの副作用やリスクは考慮されているでしょうか?

実態は「選抜」な「育成」

新人が数年経って目覚ましい「成長」を遂げたとして、それは本当に「育成」のおかげなのでしょうか?
元から適性のあった個体だけが「育成」を通過でき、偽相関として「成長」したっぽく見えるだけではないでしょうか。

もちろんこれは悪魔の証明ですが、「大量に採用して過酷な『育成』に放り込み、生き残ったヤツだけ使えばいい」というのが「選抜」というカスみたいな発想です。
そしてその蠱毒を生き残った生存者バイアスがマシマシ状態の人間が管理者となり、次の「選抜」ループのゲームマスターとなります。

「圧倒的成長」を母校の学生が求めていたとして、どんなアドバイスを送るのがいいでしょうか?

管理職がやるべき本当の「育成」とは?

では正気の育成・光の育成はないのかと問われれば、それはあります。少数ですが私も尊敬できる同僚や上司と出会ったことがあります。でも彼らは決して「育成」を押し付けてはいませんでした。

私自身も大いに未熟ですが、優秀な上司・メンターは以下をやっていると感じます。

  • メンバーの自己肯定感を高める
  • 足りないものは自分で気付かせ、自発的な行動を待つ
  • メンバーの相談をちゃんと聞いてくれる
  • 指図はしない。アドバイスや勇気づける言葉はくれる
  • 自主的な「成長」を妨げない。機会や手本を与える
  • こうしたお膳立てを陰からごく自然にやる

必要な材料は与えるけど自分のエゴは出さず、本人を優しく見守るという感じです。(これ育児の記事だっけ?)
意識してやってるのが分かる人もいるし、天然で結果的にこれに近くなる人もいます。

逆に「俺が育成するぞ〜〜!!!」と肩に力が入ってる人はことごとくダメです。
0点ではなくマイナス。有害です。

「育成」は計画できる?

無理です。
でも無理だと理解していない有害な人たちはいます。

まとめ

みなさまぜひ「成長」とかいうまやかしの言葉に振り回されず、「育成」とかいう偽りの言葉を振りかざさずによきエンジニアライフを生み出していっていただけたらいいなと思います。

本文がだいぶブチギレになってしまったので締めでなんとか中和できないかなってしばらく考えたけど無理っぽかったので終わります。

脚注
  1. 子供の頃にニョロモをミュウにしたことはあります ↩︎

  2. ニョロモだったミュウは何でも覚えました ↩︎

  3. これは評価制度のことも嫌いだからです ↩︎

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