未来についての妄想--デジタルヒューマン的な
ふと、もし自分が死んだときのことを考えつつ、未来のことを妄想してみた。
多分何番煎じか分からんくらい、いろんな人が妄想してることかもしれんけど、とりあえず自分への備忘録
デジタルヒューマン化的な妄想
・自分自身の声、姿(3D形状)だけでなく、考え方や体験してきたことなどを全てデータ化してデジタルヒューマンにしてしまえば、もし自分が死んだとしても、自分の子供はバーチャル父さんと会話できたりするなあ。とか思う。
・なんなら今この時代にそういう仕組みがあれば、自分のじいちゃん、ひいおじいちゃんとかと話してみたい。どんな経験したのかとか話してみたいよね。
・あるいは過去の偉人と会話してみたり。そしたら教育のあり方自体変わって、先生という名のそこらへんの大人の話聞くより、デジタルヒューマンだったとしても、例えばある数式を発見した偉人から直接授業受けたりする方が良さそう。
物体&空間のデジタル化的な妄想
・あと、人のデータ化だけでなく、今のGoogleストリートビューが過去のものが閲覧できるようになったように、過去の空間をVR上でデータ化して、そこに友達と一緒に行ったり、なんならデジタルヒューマンの、リアルでは亡くなった人とか、有名人と一緒に観光とかドライブ、ツーリングするのも楽しそう。もう、そうなったらある意味過去へのタイムスリップできるよね。あと過去に乗ってた車とかバイクとかがリアルに再現されて、VRで乗れたらすごい楽しいよなあ。
それらに対して思うところ
・自分自身をデータ化するのも、今でいうちょっと写真撮ったり動画撮ったりする感覚になるのかな。
・そんな感じで赤ちゃんの時の自分とか、小学生の自分とバーチャルで話ししたり。遊んだりできたら人間ってどうなるんやろ?楽しそう、と思う一方ちょっと病みそうな気もする。慣れればそうでもないか?
・そんな時代、同性結婚で子供産みたい人的にも、二人の容姿や性格をランダムに取り入れたバーチャル赤ちゃんとかできそうよね。
・マジでそんな時代になりそうな気がするなあ。んー、そうなった時今よりも現実社会から逃げる場所増えちゃって日常生活ままならない人も出てくるんかな。
・自我はないはずだけども、自分の意識っぽいデータが、デジタルの中で生き続けることになるんかな。それは人間の衰退とも言えるけども、ある意味生まれ変わって進化とも言えるかも。ほんと面白い時代生きてると思う。