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ポエム:ただし摩擦はないものとする

2024/12/06に公開

https://adventar.org/calendars/10164/

はじめまして

都内で情シスをしています。いもがすきと申します。
情シスになってから4年が経ちました。そろそろ、いつまでも初心者気分でいてはいけないのかなと思い始めています。

よわよわ初心者が「弱いなりに一歩を踏み出すために考えたこと」を書いてみようと思います。
ご笑納ください。

はじまるよ

自信がない時こそ素早く出す

半端な成果物を出したら、自分の無知がバレてしまう。
そういう恐れを持つことが未だにあります。
長くやってきた技術に対してでも同じです。自分より強い人は世の中に必ずいるからです。

とはいえ、そんなことを言っていたら世界の頂点に立つまで成果物を出せなくなります。
世界の頂点に立つ日は来ませんし、成果物が十全の状態になるには長い時間がかかることでしょう。
そんな時こそ素早くアウトプットを出すべきです。

「ガワを作りました」「たたき台です」「分かるところだけ埋めました」「途中経過です」「WIP」
なんでもいいので、途中だと分かるようにしてサッと出しましょう。
自信がないからしまっておいた資料は、時間経過とともにますます出しにくくなります。

https://x.com/wel0ve1m0/status/1853726068789932313

タイポには気をつけてね

前提をつける

前提とは何か?
たとえば物理や数学の試験に「ただし摩擦はないものとする」「空気抵抗は考えないこととする」みたいな前提がつくことがありますね。あれです。

自分もあるときから前提をつけて考えるようになりました。
「ただし無知は罪ではないものとする」 です。
知識が求められる情シス職においては大胆な前提ですね。

仮に無知が罪だとしても、無知のまま今日まで来てしまったことは変えようがありません。過去を責めても何も変わらず、変えられるのは未来だけです。
それなら無知は一旦セーフということにして、最後につじつまが合うようにすればいいのではないでしょうか。
「今はできませんが、これからできるようになります」という気持ちで行動していれば、それを許してくれる世界はあると思います。

無知が許されない世界にぶつかったら、それは「ご縁がなかった」というやつなので、気にせず次に行きましょう。
無知であることに対してマサカリを投げられたら、成長痛ということにして「ありがとうございました!」の気持ちで受け止めてこっそり泣いて次に行きましょう。
自分が動く点pになるために、摩擦はないものとしましょう。

孔子に学ぶ

_人人人人人人人_
> 突然の孔子 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄

自分が好きな言葉の一つに「過ちて改めざる是を過ちと謂う」というものがあります。
とても勇気づけられる言葉です。

つまり

if ( 過ち && !改め ) {
    return 過ち;
} else if ( 過ち && 改め ) {
    return 過ちではない;
}

なわけです。

「間違えても改善すればノーカンにしてあげるよ」と師が言ってくれているわけです。素晴らしい免罪符ですね!(※個人の感想です)
致命傷さえ避ければ、一度は誤っても大丈夫。そう思えると気が楽になります。(※個人の感想です)

自分の信仰(*)を大切にする

一般的な宗教でなくても、人は何かしらを信じていると思います。
迷ったときには、どちらがより信仰に沿った行いかを考えるとよいかもしれません。
*信仰・信条・信心・信念・ポリシー、呼び名は何でもかまいません。何かそういう"自分を正しいところへ連れて行ってくれるやつ"のことです。

人の判断能力はすごく雑なので、その場の感情・空気・体調などなどで簡単に変わってしまいます。
(「ファスト&スロー」や「欠乏の行動経済学」を読むと、自分を含めた人間なんて信じちゃいけないなという気持ちになれます。もう駄目だ人類滅ぼそう!)

そういうふらつく自分を正しい方向に向けるために、自分の信仰を言語化しておき、ことあるごとに取り出して眺めてみることはとても有用だと思います。

https://x.com/wel0ve1m0/status/1808298506064744609

マジでいる

実はよわよわじゃないかもしれないという視点を持つ

自分はいまだに「何もできない、何もわからない」と言ってしまいます。
しかし冷静に考えてみましょう。
数年の間ひとり情シスとして働いてきましたし、その前はもっと長いあいだ開発者をやっていたわけです。本当の意味で「何も」できないわけがない。虚無ではないはずです。

それなのになぜ「何もできない」という認識になるのか。
主にネット上に生息するつよつよを見て無意識に比べてしまうからです。比べても仕方がないというのに。

比較基準を変えてみましょう。
「(小学生よりは)できる」「(初見の時よりは)できる」
これなら自信をもって言えそうです。

自分がいかに自分を信じていなくても、誰かを安心させるために落ち着いたふるまいを見せねばならないときがあります。
もし周りに未経験者しかいなかったら自分が一番の有識者です。ひとり情シスはまさにこれですね。

必要な場面では堂々と「できます」と言えるようにしておきましょう。
ただし嘘はだめです。

https://x.com/wel0ve1m0/status/1859378878558634092

基準が高すぎてもいいことはない。分かってはいるんですけど。

まとめ

つよつよと自分は何が違うのか考えたとき、単に知識量だけではないんだろうなという気づきがありました。
今の自分に知識だけインストールしても多分つよつよにはなれない。
では何が違うのか、というようなことをつらつら考えた一年でした。

それでは皆様、よいホリデーシーズンをお過ごしください!

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